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金魚または赤い魚 - 多様性とキム・チュイの話

カナダ大使館で「多様性の時代を描く作家たち」の講演会。


ゲストスピーカーはカナダの作家キム・チュイ、楊逸、中島京子の3人。
楊逸と中島京子は好きな作家。一方、キム・チュイの本は読んだことがなく、名前は聞いたことあるという程度。
講演に行こうと思ったのも、楊逸と中島京子が話すからという理由だった。特に楊逸はインタビューでの受け応えがいつもおおらかで、楽しい。一度生で聞いてみたいと思っていた。

ただ、この講演会でのメインスピーカーはキム・チュイで、楊逸と中島京子はほとんど聞き役だった。

でも、行ってよかった。キム・チュイという人と作品を知ることができたので。

チュイは1968年ベトナム サイゴン生まれ。10歳の時に家族と共にボートピープルとしてカナダに難民として移住。その後カナダ国籍を取得し弁護士・作家としてモントリオールで暮らしている。難民体験を描いた自伝的小説『小川』(原題 "Ru")はカナダで最高の文学賞、カナダ総督文学賞を取り、2018年にはニュー・アカデミー文学賞最終候補になっている。

講演に先立ち著作の『小川』と、やはりベトナム難民の家族のクロニクル『ヴィという少女』を読んだ。カナダに辿り着くまでの壮絶な体験、受け入れてくれたカナダの人々の優しさ、そしてそれに応えて異国の地に根をおろし歩んでいく過程が生き生きと描かれていて、読後感は映画を観たかのよう。
描写も色や匂い、音に溢れている。

実際のキム・チュイは小柄だけれどパワフルで表情豊か、内面から溢れてくるものを惜しみなく目の前の人たちに差し出してくれるような印象。そして、ユーモアたっぷりのとてもチャーミングな人だった。

彼女の場合は幸いにも受け入れ先のケベック州と町の人々が手厚くケアしてくれたけれど、中島京子が書いた『やさしい猫』では、日本で在留資格が切れ入管で厳しく処されるスリランカ人や、クルド難民の家族が描かれている。
名古屋入管で亡くなったウィシュマ・サンダマリさんの件も記憶に新しい。
この差はなんなんだ?と思う。

楊逸は、日本はきちんとした国だと言っていた。きちんとも結構だが、多様性は?それは日本のどこにあるの?
LGBTQが隣りに住むのもイヤだなんて首相のスピーチライターもやってる秘書官が平気で言っちゃうような国では、多様性を見つけるのは難しい。

キム・チュイが語った金魚の譬え話。
日本語の金魚は英語でもgoldfish、でもフランス語だとpoisson rougeで赤い魚。
実際の金魚は見る角度によって赤く見えたり金色に見えたりする。
同じものでも視点が変わると異なって見えることがあるけれど、それは指摘されないと気付けない。指摘されても、自分の見方が正しいと主張を通そうとするかもしれない。けれど、話し合っていくうちに物事の本質が見えてくることもある。

大事なのは、なぜ同じ物が違って見えるのかに気づくこと。

あと、もう一つは魚と亀のたとえ話。
2匹の魚がいる水槽に亀がやってきて「水の中は気持ちいいね」と言ったら、魚たちは「水って何?」とキョトンとしていた。
他と交わらず、同類とずっと同じところに居続けるのは、疑問を感じる余地もなく時には心地よいかもしれない。
でも、外からの視点、外から入ってきた異質な存在がもたらす気づきも必要だ。
ケベックの人たちは、概念としての平和は知っていたかもしれないが、ベトナムから逃れてきた難民と出会うまでは平和の真の意味や価値をわかっていなかった。
チュイは、多様性を受け入れることは選択肢が増え、レジリエンスが増し、ひいては豊かさにつながるとも言っていた。

違っているっていいことだよなあ。

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