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う〜ん、民藝をうっすら取り巻くあのモヤモヤしたもの…

民藝、好きですよ。
家具や食器や雑貨や服飾、家の中に色々あります。
使って嬉しい、見て楽しい。
画一的、商業主義的ではなく作り手の個性が伝わり、日々の生活にあって、心を豊かにしてくれる物。
故郷の県は陶芸や織物、竹細工などが古くから盛んだったこともあり、曽祖父母が若い頃からの物を今でも私が使っていたりする。
子どもの時は特に意識していなかったそれらが民芸/民藝というものだと認識したのは、大学生になってから。
在学中、学内に小さな博物館ができ、当時の学長が蒐集していた蕎麦猪口や野良着、古裂布を納めたコレクションも併設されていた。
初めて見た時は壮大な骨董屋だな、ぐらいにしか思わなかったが、キャンパスの片隅にあるその記念館、いつも閑散として静かで居心地がいいので休憩とかサボりがてら通ううちに、解説もじっくり読むようになり「ふ〜ん、民芸ってそういうものなのか〜」と、何となくわかったようなわからないような。

民藝、fennicaなどのセレクトショップや若者向け雑誌にも取り上げられるようになって20年くらい?
バブル期を経て、スローライフやていねいなくらしへの回帰に、土地の風土に根差した手仕事の作品は親和性があったのだろう。
3年前に国立近代美術館で『柳宗悦没後60年記念 展 民藝の100年』が開催され、今年は世田谷美術館で『民藝』展。

好きだからせっせと展覧会に行くし、駒場の日本民藝館にも時々足を運ぶのだが、ある時からどうもモヤモヤするように。
その事を、noteを始めて間もない頃に国立近代美術館での展覧会を見た時の感想に書いた。

民藝は元々民から生まれたものなのに、その生まれた時のまなざしから離れて、上から意味づけや定義づけがなされて何だか大層なものになってしまっているのが、私が感じるモヤモヤの素なのだろう。

そのモヤモヤが少しは払拭されるかなと淡い期待を抱いて行ってみた『アウト・オブ・民藝』展のトークイベント。

先月この展示見て
週末に「アウト・オブ・民藝の芋蔓まつり」

展示と同名の『アウト・オブ・民藝』(2019 誠光社)という書籍の著者、軸原ヨウスケと中村裕太はトークの中で、自分たちがやっている民藝運動の周辺を紐解く(彼らは「芋づる」と表現)活動は部活みたいなものと言っていた。
民藝運動に関する年表や人物相関図は細かく丁寧でれっきとした研究だと思うのだけれど、二人のスタンスは軽やかで謙虚、偉ぶっていないところに好感を持った。

特によかったのは、国立近代美術館の学芸員で『柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年』を企画した花井久穂氏のトーク。
彼女は「官」側の立場ながら、「民」藝をちゃんと「民」の目で考えているように思えた。
現代の民藝ファンなら畏れ多くて下手なこと言えない柳宗悦についても、きちんと根拠を挙げて批判して、業績は正当に評価し敬意をはらうけれど、矛盾点はちゃんと指摘する。
国立近代美術館だって堂々の権威だけれど、花井氏の語りにそれは感じられなかった。

柳宗悦ら民藝界重鎮たちによる「俺たちのお墨付き」(って商品なんかあったような)ラベル貼り、時に勿体ぶった意味づけ。
みうらじゅんのマイブームと違うのは、やっぱりそこに「偉そう」感が出ているからなのかな。
釉薬たっぷりかかったずっしり重くばかデカい大皿を何とも言えない佇まいと悦に入ってる裏では、それに作った料理を盛り付けて運んで洗ってしまう人がいたりすることは民藝運動からこぼれ落ちていませんか?
私だったら「ケッ、なーにが用の美だ!」と毒づきながら洗いそう。
軸原ヨウスケと中村裕太のトークには、柳宗悦が直接触るのはバッチイからとステッキでめくって見つけてきた古布を妻に洗濯させていたエピソードが紹介された。
こういうことがほんとのアウト・オブ・民藝だと思うのだけれど。

なんか父権主義、オールド・ボーイズ・クラブっぽいんだよなあと思いつつ民藝運動を取り巻く人々の人物相関図を眺めると、女性は柳沢兼子と羽仁もと子くらいしか大きく登場している人はいないのだった。
当時の女性の社会的地位や教育環境を考えるとそうなるのも仕方がないことなのだが、作り手には女性も当然多くいたのにね。

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