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あほ草日記

暇人のすなる日記といふものを、わしもしてみむとてするなり

 自室で天井を見ていると、「32歳のおじさん」になっていたことに気が付いた。
 30代というのが若いか若くないかというのは差し置いて、この場合、自分がおじさんだと認識したのがまずかった。
 そうなると、32歳の部分に注目が行って、「はて、ワシはいったい全体なんでこうなっているのだろうか」と回顧し始めた。すると、32年の隔ての間に成し遂げたことを考えると、虚しさが去来した。

 本棚に読んでいない更級日記を見ていると、あの菅原孝標娘のように源氏物語に沼っていると婚期を逃しかけて平凡な人生を送ったみたいな感じにはなっていないかと思えば、そういうことでもない。
 むしろ、なにか沼っていた人生だったといったほうがいっそカッコ良かったかもしれないが、本当になにもしないままここまできてしまった感じがある。

なぜ、こういう人生になったのだろう。ターニングポイントは21、22の頃だろうか。
 学生の頃はそれなりに根気があったので、ほぼ一日猿のように勉強をしていたので、それはそれは充実の日々を送っていた。
 バカでも努力すればチャンスが来るのは本当で、なぜか海外に仕事にいく機会も得られた。
 イギリスの方で資料を持ち帰る期間契約みたいなものだった。誰も行くものがいないらしく、それで優先順位が低い、自分のところにやってきたようだった。まさしくラッキーだった。

 英語は軽い日常会話ぐらいしかできなかったが、向こうの担当(同僚?)は英語を話せないらしく、フランス語かスペイン語かしか喋られないで身振り手振りがあればイケるらしかった。外国に行ったら3か月ぐらいで喋れるようになるらしいので、心配もなかった。
 まあ、コミュニケーションも高度なものはいらないだろう。気合でどうにかしてやるつもりだった。
 半地下みたいなところで延々と資料を比較してパソコンに打ち込んで、日本に向けて送り付けるみたいな仕事だったので会話なんてほとんどしなくてもいいような仕事で、イギリスに行って仕事しますという割には学生が日頃やっているようなことの延長線上で大したものではなかったが、阿呆にはちょうどいい仕事だった。それまで、人としてすれすれの扱いをされていた底辺学生生活を送っていたのだから上等も上等である。
 金はほとんど持ち出しになるが、国からの補助を得られるし、大臣がうんたらかんたら言っていたので国の事業の一環なのかもしれなかった。乗り気も乗り気だったが、深い話を聞く前に、親父に相談するべきであろうと相談するが、電話口で親父は大反対であった。
 なんなら、お前の就職はどうでもいいといい、宗教と墓の話を始めた。日頃から、何かにつけてお前はしょうもないといわれてきたので、この仕打ちは聞き流していたが、ふと宗教の話がすぐ出てくるのが気になった。ここで、ふと、うちの家族は異常なほど信心が強いのではないかと思い始めた。
 流石に就職よりも宗教が上に来るのはおかしいと感じたワシは、一体なにが起こっているのか気になった。長男のワシは家に帰って色々調べてみるうちに元凶が龍であることを知る。

 ――龍(DORAGON)!?
 龍である。西洋においては暴力の象徴、東洋においては知恵の象徴、または風雨の化身のあれである。角が生えたでかい蛇。
 人生において、龍ほど自分に影響を与えているものはいないのではないだろうか。いつの間にか、龍に支配されていたのである。
 驚いたことに、わしの爺が龍の生まれ変わりで悪魔祓い師なのであった。知らぬ間に改名までしていた爺は未来視ができるといい、お前がこのままであると、このままでは先祖と爺は不幸になるといい始めた。
 生まれてこの方どうにも、家族が困るとこの爺に生贄にされているらしく、どうにも爺の都合が悪くなると家族に悪魔がついているせいであるとのたまうのだった。
 70を過ぎ、老後強まるヒステリーに駆られた祖父はついにはドラゴンアヴァタールエクソシストになり、ノンアポで高野山の阿闍梨に接触したり、近所の人にオリジナルドラゴンお祓いをしたりと暴虐の限りを尽くしていたことを知る。
 そして、家族はこの思いあがった爺の言うことを表面上では宗教狂いといっていたが、結局のところ唯々諾々と従っている状況であった。口では完全に祖父を否定しつつも、このドラゴンアヴァタールエクソシストのいうこと従い、自分を龍のお告げの通りになるように誘導していたのであった。
よく聞いてみれば、今までの進路決定に反対した理由が龍のお告げであったという驚愕の事実を知る。
じゃあ、そもそも、高校も大学も、趣味も読む本でさえ、干渉してきたのはなぜだ、何一つ自分で決めたことがない人生みたいじゃないか! というしょうもない思いに駆られている内にイギリス行きの切符はあっという間になくなってしまった。
あー! あほくさー!
後の記憶はほとんどない。
気がつけば25になっていて、追い出されるように大学を卒業すると、ピーマンみたいなスカスカの頭を抱えながら、廃人として社会生活をスタートさせたのである。

あーでも、正直ここまでどうでもええわ。

正直、世の中もっと悲惨な人が多くいるし、自分など恵まれているのも恵まれている方である。むしろ恵まれ度では上位層なまである。
瞬間瞬間にもチャンスにも恵まれていたし、世間的にマシに思われるような道を選ぶこともできた。
しかし、人に惑わされて、チャンスにめぐり合わせたときに「YES!」という言葉を自分の口から発せなかったから、このようになんにもしていない人生を送る羽目になったのだ。

言い訳はするまい。そもそもその瞬間瞬間でベストを尽くしていたのだから、公開なんて一切ない。
全てはドラゴンが悪いのである。ドラゴン殺すべし。

あの時に、なんかこう、うまいことしていれば、うまいことなっていたのだろうと思っているが、まあ、そんなときに「YES!」って言えるメンタルだったかを考えると、「NO!」だった。

意外と個人の頑張りはどうでもよくて、何かうまいこと才能とか努力とか環境とか運とかがうまいことかみ合ったところで「自分行けるっす!」って言えたらいいんだなあと思うと、深いことは考えずにやりたいことやり続けるのが最良なのだろう。

最近は多少何かにやる気が出てきたので、そろそろ人間になるためのリハビリをやっていきたい。そのために気が向いたらくだらないことを垂れ流しておくことにする。あほ草のあほ草によるあほ草による日記を付けていこう。暇だし。

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