おうがいがい


第一回
    壱
 古い話である。僕はそれが明治十三年の出来事だということを記憶している。どうして年をはっきり憶えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向かいにあった、上条と云う下宿屋に、この話しのふたりの主人公と壁一つ隔てた隣同士に住んでいたからである。僕のへやを挟むようにふたりの部屋はあったのである。その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人だった。その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外は大学の付属病院に通う患者なんぞであった。大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そういう客は第一金回りが好く、小気が利いていて、お上さんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。時々はその箱火鉢の向こう側にしゃがんで、世間話の一つもする。部屋で酒盛りをして、わざわざ肴を拵えさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我が儘をするようでいて、実は帳場に得の付くようにする。先ずざっとこういう性の男が尊敬を受け、それに乗じて威福をほしいままにすると云うのが常である。然るに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男たちは頗る趣を殊にしていた。一人はいい意味で、そしてもう一人の男は悪い意味でであるが。
いい方の男は岡田という学生で、僕よりも一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなければならない。それは美男だと云うことである。それも役者のような青白い美男ではない。その容貌は少壮の青年思想家を連想させた。
 しかし容貌だけで下宿屋で幅を利かせることは出来ない、その性行はどうかと云うと、彼ほど均衡を保った書生生活をしている男は少なかろうと思っていた。いつもきちんとした日課を果たしていて、上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠ってただされるのである。周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を誉め始めたのは、この信頼にもとづいている。それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与って力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞が、屡々お上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。かくの如くにして岡田はいつとなく上条の良い方の標準的下宿人になったのである。
そして僕の部屋の左に住んでいたのが岡田であったが、これは良い方の代表で右隣にはやはり医家大学の学生で三角という男が住んでいた。岡田が下宿代の払いの良いことで西の横綱なら、三角は下宿代の払いの悪いことで東の横綱をなしていた。したがって三角はいつも上条のお上さんの目をさけるように行動していた。いつだったか、僕が上条の玄関の前にやって来るとあたりを伺っている男がいる、最初はこそどろが下宿の中に忍び込んで何か盗もうと伺っているのかと思ったが、それが三角だということはすぐにわかった。彼はしばらく下宿代を払うのを滞らせていてお上さんの目を恐れていたのである。僕が上条のお上さんは外出中だと告げると喜んで家の中に入って行った。三角は医学を専攻していたが、学校で出会ったことはあまりなかった。たまに学校の図書館で彼に会ったことがあったが、彼はロシアに関係したものと食品に関したものを読んでいた。僕などがそばを通っても全く気付かずに医学の勉強とは関係のないそんな本の紙面に見入っていたのである。その容貌はおにぎりを逆にしたようで文字通り、三角という感じでやせていた。この三角に意外な嗜好があることを知ったのは岡田と散歩したときのことだった。
岡田は日々の散歩を一日の予定に繰り込んでいたが、その道筋は大抵決まっていた。下宿を出て鉄門の前を左に曲がるか、西に曲がるかという二者選択から始まった。だいたいが古本屋のある道筋を選んだのであるが。岡田には散歩の途中で古本屋を覗くという趣味があった。岡田が古本屋を覗くのは、今の詞で云えば、文学趣味があるからであった。しかしまだ新しい小説や脚本は出ていぬし、叙情詩では子規の俳句や、鉄幹の歌の生まれる先であったから、誰でも唐紙に摺った花月新誌や白紙に摺った桂林一枝のような雑誌を読んで、かいなん、夢香なんぞの香れん体の詩をもっとも気の利いたものだと思う位の事であった。僕も花月新誌の愛読者であったから、記憶している。西洋小説の翻訳というものは、あの雑誌が始めて出したのである。なんでも西洋の或る大学の学生が、帰省する途中で殺される話しで、それを談話体に訳した人は神田孝平さんであったと思う。それが僕が西洋小説をというものを読んだ始めであったようだ。そう云う時代だから、岡田の文学趣味も漢学者が新しい世間の出来事を詩文に書いたのを、面白がって読む位に過ぎなかったのである。
その日々の散歩で岡田は古本屋の軒先を冷やかすのを常としていた。不忍を右手に見るように無縁坂をくだって行くと神田明神前の鈎なりに縁台を出して、古本を晒している店があった。そこで岡田と僕の両人は唐本の金瓶梅を同時に見つけて、それが縁となって、人付き合いの悪い僕が岡田とつき合うようになったのである。それから岡田と僕はたびたび一緒に散歩をするようになった。二人の散歩の目的は古本屋通いばかりではなかった。その頃、名高かった料理屋として広小路に松源や末広庵、梅岩などという店があったが、学生の懐具合ではそんな店の中に入ることは大それた望みだったから、もっぱら蕎麦屋ののれんをくぐるというのが楽しみであった。僕たちの良く行く蕎麦屋はやはり広小路にある蓮玉という蕎麦屋で、蓮玉と太田屋が名前が高かった。蓮玉は瓦解の前からやっている店でそのかえしは絶妙な味があり、主人が彰義隊の大砲の音が鳴り響いたときには、蕎麦をこねる木鉢を抱いて江戸川の向こうに逃げたそうである。岡田と僕のふたりが打ち水のしてある蓮玉の店の中に入ると、蕎麦をすすっていた客のひとりが顔を隠すように向こうを向いた。岡田も僕も同時に気づいたが、それは僕の右の部屋に下宿している三角だった。いつも下宿代を滞らせていて下条のお上さんに催促されて逃げ回っている三角が入るような店ではなかった。あきらかに迷惑そうな三角のそばに行って
「きみはよくこに来るのかい」
と云うと三角は何か悪いことをして飼い主の叱責をおそれている子犬のような目をして
「故郷からたまたま送金があってね」
三角は残りの蕎麦をかき込むように口の中に入れるとそそくさと蓮玉を出て行った。あとでお多福のような顔をしている蓮玉の仲居に聞くと、三角はよくこの店に来るそうだ。

その頃から無縁坂の南側は岩崎の屋敷であったが、まだ今のような巍巍たる土塀では囲ってはなかった。きたない石垣が築いてあって、苔蒸した石と石との間から、羊歯や杉菜が覗いていた。あの石垣の上のあたりは平地だか、それとも小山のようにでもなっているか、岩崎の邸の中に入って見たことのない僕は、今でも知らないが、とにかく当時は石垣の上の所に、雑木が生えたい程生えて、育ちたい程育っているのが、往来から根まで見えていて、その根に茂っている草もめったに刈られることがなかった。坂の北側はけちな家が軒を並べていて、一番体裁の好いのが、板塀をめぐらした、小さなしもた屋、その外は手職をする男なんぞの住まいであった。店は荒物屋に煙草屋位しかなかった。中に往来の人の目につくのは、裁縫を教えている女の家で、昼間は格子窓の内に大勢の娘が集まって仕事をしていた。時候が良くて、窓を明けているときは、我々学生が通ると、いつもぺちゃくちゃ盛んにしゃべっている娘共が、皆顔を挙げて往来の方を見る。そして又話をし続けたり、笑ったりする。その隣に一軒格子戸を綺麗に拭き入れて、上がり口の叩きに、御影石を盛り込んだ上へ、折々夕方に通って見ると、打ち水のしてある家があった。寒いときは障子がしめてある。暑い時は竹簾が卸してある。そして仕立物師の家の賑やかな為に、この家はいつも際立ってひっそりしているように思われた。
 三角の意外な蕎麦屋通いの嗜好に驚いていた頃、岡田はいつもの日課の散歩で、夜中には幽霊が出るという噂のある解剖室の横をとおり抜けて、無縁坂を降りて行くと、例の仕立物屋の横の寂しい家に湯帰りの女が入るのを見た。もう時候がだいぶ秋らしくなって、人が涼みにも出ぬ頃なので、人通りの絶えた坂道を岡田が通りかかると、家の中に入ろうとしていた女が、ふいに岡田の下駄の音を聞いた女が振り返って岡田と顔を合わせたのである。
紺絣の単衣物に、黒繻子と茶献上との腹合わせの帯を締めて、ほそい左の手に手拭いやら石鹸箱やら糠袋やら海綿やらを、細かに編んだ竹の籠に入れたものをだるげに持って、右の手を格子にかけたまま振り返った女の姿が、岡田には別に深い印象をも与えなかった。色気があると言っても商売女のようでもなく、かと言って、ふつうの町娘という感じでもなかった。ただ鼻の高い、細長い稍寂しい顔が、どことなくひらたいような感じが刹那の印象として残った。しかし、無縁坂を降りてしまう頃にはその女の事は綺麗に忘れていた。
しかし岡田が散歩で二日ばかりたってから、例の格子戸の家の前に来たとき、例の湯帰りの女のことが、突然、記憶の底から浮かび上がって来たので、その家の方を見ると、趣味の良い格子戸の隙間から良い色の万年青の鉢が見えている。鉢の上には卵の殻が伏せてある。それを見ていると歩調がいくぶんゆるやかになった。
そして家の真ん前に来たときに、意外にも万年青の鉢の上の、今まで鼠色の闇に閉ざされていた背景から、白い顔が浮き出した、しかもその顔が岡田を見て微笑んでいるのであった。
それから岡田が例の散歩をするたびに、この女の家の前を通るたびに女の顔を見ないことはほとんどない。しまいには岡田の夢の中にも闖入して、勝手に劇中の人物の役割を演ずるようになっていた。
岡田が女の家の前を通るたびにあの女と顔を合わせるのは何故だろうかと考えてみた。始めてあの女が微笑みを返してくる前はいつもあの女の家の肘掛け窓の障子はしめたままのようだった。そうして見ると、あの女は近頃外に気を付けて、窓をあけて自分の通るのを待っていることになったらしいと、岡田はとうとう結論をくだした。
通るたびに顔を合わして、その間間にはこんなことを思っているうちに、岡田は次第に「窓の女」に親しくなって、二週間も立った頃であったか、ある夕方例の窓の前を通る時、無意識に帽を脱いで礼をした。そのときほの白い女の顔がさっと赤く染まって、寂しい微笑みの顔が華やかな笑顔になった。それからは岡田は極まって窓の女に礼をして通る。

岡田は窓の女と口も交わさない、会釈だけするようになってからも、女の身の上を探って見ようともしなかった。住んでいる家の様子やら、女の身なりで囲い者だろうとは察した。しかし、別段それを不快にも思わない。それ以上の詮索をしようとも思わない、よく夢の中に出て来る住人という立場に留まっていた。表札を見たら、名が分かるだろうと思ったこともあるが、窓に女のいる時には女に遠慮する。そうでないときは近所の人や、往来の人の目を憚る。とうとう庇の陰になっている小さい木札に、どんな字が書いてあるか見ずにいたのである。岡田は下宿の自分の机の上に好きな虞初新誌を広げて読んでいた。中でも武術の豪傑のことが書かれた大鉄椎伝は全文を暗唱することが出来た。岡田が競漕をし始めてから、打ち込んで、仲間から推されて選手になるほどの進歩をしたのも、この岡田の武芸好きの一面が進展したからである。
 同じ虞初新誌の中に、岡田の好きな文章がある。それは小青伝である。詩才に優れた美女小青の伝記で、天下の美女であるがゆえに薄命である、冷たい死という月光をあびながら美しい脂粉の装いを凝らすとでも云うような、美しさを性命にしているあの女が、どんなにか岡田の同情を動かしたであろう。女というものは岡田のためには、只美しいもの、愛すべきものであって、どんな境遇にも安んじて、その美しさ、愛らしさを護持していなくてはならないように思われたのも、それらの詩を読んで得られた影響かも知れなかった。岡田は虞初新誌を閉じると机の横にあった上条のお上が値踏みをしてくれと置いていった書物を取り上げた。いつとなく下宿の同居人の三角が蓮玉だとか、太田屋とか、砂場とか蕎麦屋を食べ歩いているという噂が上条のお上さんの耳にも入って三角は下宿の廊下のところでつかまったそうである。「三角さん、本所深川の方まで足を伸ばして蕎麦を食べまくっているそうじゃないですか、それだったら、たまっている下宿代を払ってくださいよ」と上条のお上さんは三角の耳をつかむような勢いで文句を言うと、窮した三角は下宿代は今は払えないが、この本を売ればそこそこの値段になると言って二冊の本を置いて行き、急な用を思い出したともっともらしいいいわけを並べて、そそくさと下宿を出て行ったそうである。その本を売ればいくらぐらいになるかと下宿のお上さんが岡田にはわからないと言うのにもかかわらず、その二冊の本を置いていったのだ。岡田は三角が数年前に官費でロシアに旅行したということを聞いたことがある。それがのちに大津事件で大審院長児島惟謙が手を染めたニコライ二世の前の治世のときだったと思う。皇太子時代のシベリア鉄道の開通式に日本に来て、巡査の津田三蔵に襲われた、あのニコライ二世の前の代のときである。そのロシアの旅行で三角が何を見て何を感じたのかはわからない。いつだったか、岡田がロシアの民謡の一節を口ずさんでいたら、三角は露骨に嫌な顔をした。岡田は自分の座り机の前にどかりと腰をおろすと自分の部屋の鴨居にさしてある暁斎や是真の画の描かれた団扇を眺めながら、三角が何故蕎麦屋通いをしているのかと考えてみた。それについて思い出したことがある。何の関連がないといえば、言えるし、あると言えばあるかも知れない。同じ医学生で猪飼という学生がいた。いつも身なりに少しも構わないと云う風をして、素足に足駄を穿いて、左の肩を二三寸高くして歩いていた。たまに二言、三言、話すぐらいの関係だったが、ある日青石横町の角で出くわした。これからおもしろいところに行くからついて来ないかと云った。どこへ連れて行くのかと思っていたら、猪飼は伊予紋へと押し掛けて行った。値のはることで有名な料理屋である。岡田が躊躇していると猪飼は無理に彼を座敷に引きずり上げると、豪傑気取りで金天狗をすぱすぱと吸って、そのうちに芸者が出てきた。猪飼はここでいい顔になっているらしい。猪飼の親は貴族院議員をやっていて、月に使い切れないぐらいの仕送りをして貰っているという話を聞いたことがある。それに比べれば三角の蕎麦屋通いなど罪のない方だ。その三角がお上に下宿代の代わりにさしだした本を手に取ってみる。緑色の表紙にphyiocratieと書かれている。これが重農主義のフランスの哲学者、ケネーの論だということはわかる。もしかしたら日本の食料事情を改善するために土地が悪い条件でも栽培が可能で短期間で成長する蕎麦の栽培を日本全国に広げようと思っているのかも知れないと岡田は思った。しかし、この本が古本屋で売ったらいくらになるのか、岡田にはわからなかった。そもそも経済論は岡田の専門の外にある。僕が岡田の部屋を覗くと岡田はそれを見てさかんに首をひねっているところだった。「三角くんの下宿代のかたにお上さんが受け取ったんだけど値踏みをしてくれと云われてね」僕はそんなことより、吹き抜き亭に円朝を聞きに行かないかと誘った。ついこのあいだまでは桃川如燕が自分の佃煮屋の宣伝も入れながら寄席に出ていたばかりだった。僕と岡田のふたりが寄席に行くと猪飼の話になった。猪飼のなじみの芸者の顔は僕も覚えていて、寄席の中入りのとき、二階席から、それらしいのを見付けて、二人でその連れの男が猪飼ではないかと思い、声をかけようとしたとき、向こうがふり返ったので、その顔がはっきりと見え、人違いだということがわかった。その顔は猪飼には似ても似つかない顔だった。猪飼の芸者通いの話から、歩きながら僕は岡田と三角の蕎麦屋通いの話になった。寄席を出た頃にはすっかり暗くなっていて、不忍の池のはしを歩いていると弁天の朱泥の祠が模糊として池の中央に立っている。そしてその祠の方を見ているふたり連れがあった。これが男女のふたり連れなら、そう気にもとまらないのだろうが、一人は西洋人で金色の髪の毛が夕方のために茶色に見える。もう一人は日本人だった。そのふたりとも僕も岡田も知っている人物だった。一人は三角だった。そしてもう一人はライプチヒ大学のWさんだった。二人は池の中央のあたりを光学機器のようなものを手にして見ている。「三角くん、こんなところで何をしているのだ」僕が云うと三角はしっと口に指を当てて静かにするように促した。Wさんも同意した。Wさんは岡田の洋行の話に一枚かんでいた。岡田はまだいつと決まっていないが洋行する可能性がある。掻い摘んで話すとこういう事になる。東洋の風土病を研究しに来たドイツのWさんが、往復旅費四千マルクと、月給二百マルクを給して岡田を雇おうと云う。ドイツ語を話す学生の中で、漢文を楽に読むものという注文を受けてBAELZ教授が岡田を紹介したのである。岡田は築地にWさんを尋ねて、試験を受けた。素問と難経とを二三行ずつ、傷寒論と病原候論とを五六行ずつ訳させられたのである。難経は生憎「三焦」の一節が出て、何と訳して好いかとまごついたが、これはCHIOと音訳して済ませた。とにかくなんとか信用を得ることが出来た。そのWさんが光学器械を三角と一緒にのぞき込んでいる。「岡田くん、あれをご覧なさい」光学器械と見えたのは外見はただの望遠鏡のようだったが三角の話によると手で持っても像がぶれずに見えるそうだ。僕の方は三角の持っている望遠鏡を与えられた。目標物は固定されていて岡田も僕もたぶん同じものを見ているのだろう。僕の見ているさきには雁が池の中で浮かんでいる。その雁が接眼部の視野いっぱいに映っている。「ほらおかしいだろう」
「どこが」「羽の付け根のところだよ」よく見ると納得がいった。羽の付け根のところに歯車が見える。「おかしい」岡田がつぶやいたと同時だった。その雁は空中にとび上がった。
「不思議だ」三角が云った。
Wさんがこれから下宿に帰ってもまかないが出ないだろうという話になって蕎麦をおごると提議した。三人はすぐに同意して、一しょに蓮玉庵に行くことにした。その頃下谷から本郷にかけて一番名高かったのはこの店である。蕎麦は昔はもり蕎麦しかなかったようだ。それがどんぶりに暖めた蕎麦と熱い汁を入れた、ぶっかけと呼ばれるものが出るようになり、そこにいろいろな具を入れるようになって、天ぷら、花巻、鴨南蛮、さらにおかめの顔に似させたおかめ蕎麦なども出てきた。とものの本には書いてある。蕎麦屋の椅子に座ると三角は満面の笑みを浮かべた。三角は鴨南蛮を注文した。僕には何かの目的があって三角が蕎麦屋めぐりをしているとはどうしても思えなかった。ただたんに蕎麦が食いたいから蕎麦屋通いをしていると思ったのである。岡田も同様なことを考えていたに違いない。
「三角くん、きみは下宿代も払わずに蕎麦屋通いをしているそうじゃないか」
「それで岡田くんは君の持っている本を値踏みをしてくれと上条のお上さんから云われて預かっているんだぜ。ケネーの農本主義と君がどういうふうに結びつくんだい」
Wさんはもりの蒸籠と一緒に持って来た薬味箱に美術的価値を見いだしているのか、その朱塗りの容器をさかんにいじくっている。Wさんは品書きに書いてある、霰蕎麦というのに興味をさかんに示したが、岡田がそれは大根の似たのが入っていると云うと、注文するのをあきらめた。もちろん、霰蕎麦はばか貝の貝柱が入っているのであるが、Wさんは昔ふろふき大根のにおいが鼻について食べられなかった苦い体験があったのである。岡田自身それを食べたことがなかったから勘違いをしたのかも知れない。
「下宿代も払わず、蕎麦屋通いをしている僕にきみたちが不審の念を起こすのももっともである。でもこれは僕が蕎麦が好きだから行っている行動というわけではないわけだ。三角はもっともらしい顔をしてつぶやいた。去年の冬だったか、東京に大雪が降ったのを覚えているか」僕もそう云われれば東京にひどく大雪が降って丸一日外に出られないことがあったのを覚えている。
「あの日、たまたま蕎麦を食い残して、外に出しておいたんだよ。そうしたら一晩のうちにその蕎麦の上に雪がふり積もって、どうなったと思う、きみ、蕎麦はぱりぱりに乾燥していたんだ。その蕎麦を再び、部屋の中に入れてお湯をかけたら、また食べられるようになったんだ。味は大部落ちたがね」それがケネーの農本主義とどう関わっているのだろうか、それに三角のロシア旅行の話もある。「それがどうしたと云うんだ。そんな現象は昔から知られているよ。雪国では野菜や柿を軒先につるしておくだろう。そうすると乾燥野菜や干し柿が出来るんだよ。僕たちは君のロシア旅行との関連を知りたいのだ」
岡田は二冊の本を上条のお上さんから預かっているのが気がかりで三角が乾燥した蕎麦にお湯をかけて食べていようがどうか、どうでも良いという調子で聞いた。「僕が官費でロシアまで旅行が出来るなんて信じられるかい。僕の故郷に河原猫造という政府の役人がいてね。君たち、このことは誰にも云わないでくれたまえよ。君にロシア旅行の費用をあげるからロシア宮廷の日本語教師として半年間、ニコライ二世のところに行ってくれないかと言われたんだ。もちろん、ニコライ二世に片言の日本語を教えるというのは表向きの理由で、ニコライ二世をスパイしてくれという話なんだ。たとえ、スパイだとしても僕が洋行出来るなんて、こんな機会を失したら、二度とないかも知れないからね」
PROFESSOR.,Wは蕎麦寿司を食べたがったが話に夢中になっていた岡田はこれも無視した。
「ニコライ二世をスパイしてくれと云われるなんて、結論としてはニコライ二世が日本にとって有害な人物だと云うことなのかい」
「そのとおりだよ。ニコライ二世はシベリヤに近い町の名称を変えた。ウラジオ・ストック、日本語では東方遠征だ。ニコライ二世はシベリヤ鉄道の建設計画を喜喜として語っていたよ。あれは日本侵略の前兆に過ぎないと。僕としては適当に話しを合わせておいたが、彼は日本を完全に支配したあとには日本支配地域の取り締まり役にしてやると云っていた。ニコライ二世は必ず日本に戦争を仕掛けてくるに違いない。僕はこの事実を冷徹に受け止めなければならないと思った。日本には僕が守らなければならない人もいるからね」
そういった三角の瞳にはきらりと光るのがあったのを僕は見逃さなかった。
(小見出し)藪蕎麦
「僕は日本に帰ってから、河原猫造さんにこの事実を報告した。そして自分自身、お国のために何か出来ないかと考えた。貧乏医学生である僕ではあるが。そして来るべき、ロシアとの戦争のときに、同胞が何を必要とするだろうかと考えた。マイナス十度にもなるシベリヤの地で戦う同胞のことだ。その地で二八蕎麦を食べられたらと僕は思った。何よりも食料が大切だからね。腹が減っては戦も出来ないといわけだ。酷寒の地でつゆをかけた蕎麦切りが湯気をあげて、日本兵があぶらげをはしでつまみあげている姿を想像してくれよ。その非常用蕎麦の開発のために、僕は神田連雀町の藪蕎麦から始めて、麻布十番の永坂更級まで蕎麦の研究に歩き回っているのだ」
僕も岡田も驚いた。三角は腹が減っているから蕎麦屋を巡っているのではないのだ。その高邁な理想を実現するために、下宿代を滞らせながらも蕎麦屋通いをしていたのだ。三角が日本に守る人がいると云ったとき、その瞳がきらりと光ったのは気になったが、それで三角は携帯用、二八蕎麦の開発は成功したのだろうか、そのことは岡田も気になっていたらしい。
「三角くん、それでその蕎麦の開発に成功したのかい」
すると三角は無言で黙ってしまった。
   四
無縁坂の窓の外の女の素性は、実は岡田と三角を主人公にしなくてはならぬこの話の事件が過去に属してから聞いたのであるが、都合上ここでざっと話すことにする。
まだ大学医学部が下谷にある時のことであった。灰色の瓦を漆喰で塗り込んで、碁盤の目のようにした壁の所々に、腕の太さの木を竪に並べて嵌めた窓の明いている、藤堂長屋の門長屋が寄宿舎になっていて、学生はその中で、ちと気の毒な申し分だが、野獣のような生活をしていた。勿論今はあんな窓を見ようと思ったって、僅かに丸の内の宿に残っている位のもので、上野の動物園で獅子や虎を飼っておく檻の格子なんぞは、あれよりははるかにきしゃに出来ている。
寄宿舎には小遣いがいた。それを学生は外使いに使うことが出来た。白木綿の兵児帯に、小倉袴を穿いた学生の買い物は、大抵極まっている。所謂「羊羹」と「金平糖」である。羊羹と云うのは焼き芋、金平糖と云うのははじけ豆であったと云うことも、文明史上の参考に書き残して置く価値があるかも知れない。小遣いは使い賃として二銭貰うことになっていた。
この小遣いの一人に末造と云うのがいた。外のは髭の栗の殻のように伸びた中に、口があんぐりと開いているのに、この男はいつも綺麗に剃った髭の痕の青い中に、唇が堅く結ばれていた。小倉服も外のは汚れているのに、この男のはさっぱりしていて、どうかすると唐桟か何かを着て前掛けをしているのを見ることがあった。
僕にいつ誰が始めて噂をしたか知らぬが、金がない時には末造が立て替えてくれると云うことを僕は聞いた。そしてその副業に精出すうちに、いつの間にか、末造は一人前の高利貸しになっていた。
とにかく末造は学校が下谷から本郷に遷る頃には、もう末造は小遣いではなかったが、池之端に越して来た末造の家へは、無分別な学生が金を借りに出入りが絶えなかった。
末造は高利貸しで成功して、金が出来てからは、醜い、口やかましい女房を飽き足らなく思うようになった。
その時末造がある女を思いだした。それは自分が練り塀町の裏からせまい路地を抜けて大学に通勤する時、折々見たことのある女である。屋台を引いて生活をしている飴売りの小商人の娘で十六七の可愛い娘のことである。名前はたしかお玉と云うと誰かからか聞いたことがある。母親もなく、父親と云っても昔は良い生活をしていたがすっかりと落ちぶれてしまった老人と云ってもいいような男で、その父親とつつましやかに生活していたが、いつも身綺麗にしていた。その娘が年老いた父親を抱えて末造の囲い者となったのには、わけがある。その顛末には三角も関わっているのだ。あめ細工の屋台を引いて生活しているじいさんの家に突然の侵入者が生じた。こわいものと云えばおまわりさんで、一軒一軒家の中を見てまわる巡査がその娘、お玉に目をつけたのだ。じいさんには法律の知識もなしで、長屋の中ではそんなこと相談できる相手もいなかったりで、巡査は小さな長屋のじいさんの家に入り婿という形でもぐりこんでしまった。しかし、長屋のものは巡査が怖いので誰も追い出すことも出来ない、その時三角と云う学生が長屋にたずねて来た。自分の親戚の女がその巡査の妻であるのに、巡査が重婚の罪を犯していると訴えに来たのだ。娘はその三角の姿をちらりとしか見なかった。その巡査を家から追い出してくれたという意味での感謝の念がわく前に、大騒ぎが起こった。そのときの経緯でお玉も父親も巡査が国に女房も子供もあるくせに娘を嫁にしたということを知ったからだった。お玉は井戸へ身を投げると云って飛び出したのを、隣の上さんがようよう止めたと云うことである。そこらへんの顛末は三角もよく知らないようだったが、下宿で僕もその話しを聞いたことがあった。
「世の中にはひどい巡査があるものだよ。結婚しているのに、十六七の娘と結婚するのだからね。その巡査の女房と云うのが僕の親戚でね。僕が法律的な手続きをとってその巡査を家から追い出したんだけど、その家には相談相手になるような人間が一人もいなかったそうだ。戸籍がどうなっているか、どんな届けが出ているか、一切無頓着で巡査まかせにしていたということだよ。僕もその娘を見たんだがおとなしそうな可愛い娘だったよ」
そう云った三角の顔は少し輝いていた。じいさんは世間に恥ずかしくて顔向けも出来ず、引っ越して行った。
そのことを末造も知っていた。その頃松永町の北角と云う雑貨店に、色の白い円顔で顎の短い娘がいて、学生は「顎なし」と云っていた。この娘が末造にこう云った。「本当にたあちゃんは可哀想でございますわねえ。正直な子だもんですから、全くのお婿さんだと思っていたのに、おまわりさんの方では、下宿したような積もりになっていたと云うのですもの」と云った。坊主頭の北角の親父が傍から口を出した。「爺さんも気の毒ですよ。町内のお方にお恥ずかしくて、このままにしてはいられないと云って、西鳥越の方へ越して行きましたよ。それでも子供衆のお得意のあるところではなくては、元の商売が出来ないと云うので、秋葉の原には出ているそうです。屋台も一度売ってしまって、佐久間町の古道具屋の店に出ていたのを、わけを話して取り返したと云うことです。そんな事やら、引っ越しやらで、随分掛かった筈ですから、さぞ困っていますでしょう。おまわりさんが国の女房や子供を干し上げて置いて、大きな顔をして酒を飲んで、上戸でもない爺さんに相手をさせていた間、まあ一寸楽隠居になった夢を見たようですな」と、頭をつるりと撫でて云った。
 

第二回
    伍
末造はお玉の居所を探し当てると、ある大きい商人と云う触れ込みで、妾としてほしいと、人を以て掛け合うと、最初は妾になるのはいやだと云っていたが、おとなしい女だけに、とうとう親の為だと云うので、妾になることを承知した。
末造は無縁坂のなかほどに湯島切り通しの質屋の隠居が売り出したと云うこざっぱりとした奥ゆかしげな、少し手の込んだ作りの家をお玉の家として購入して、お玉を相手に自分が金で買った女にお酌をさせて、浮き世のあかや、口汚い、醜い女房のことを忘れて、くつろぐ自分の姿のことを想像すると、気にいった自分ひとりの料亭とその献立を所有したような気分になり、一人悦に入るのだった。そして人から因業な金貸しとして後ろ指をさされようとも、金をためて来たのはこの日のためだったという感慨もあった。今までの金のためにしばられていた欲望のいましめがとかれる期待がすぐ自分の家の敷居の外近くで家の中に入って来るのを待っているような感じを持っていた。お玉の方では妾という言葉にある諦念を感じていた。それは自分の年老いた父親に対する滋味あふれる愛情の裏返しかも知れなかった。心のどこかには自分を無にすることで年老いた親の生活を安定させるという献身を感じていた。しかしやりきれない悔しさも感じたのである。しかし親の貧苦を救うために自分を売るのだから、買い手はどんな人でも構わぬと、捨て身の決心でいたのに、末造が色の浅黒い、鋭い目に愛嬌があって、上品な、目立たぬ好みの支度をしているのを見て、捨てた命を拾ったように思って、一時の満足を覚えた。しかし日陰でけなげに咲く花にもその心の中には小さな嵐は吹くのである。お玉は梅という、十三になる小女を一人置いて、台所で子供のままごとのような真似をさせていた。無縁坂にお玉が越して来てから三日目のことであった。それは越した日に八百屋も、魚屋も通い帳を持って来て、出入りを頼んだのに、その日には魚屋が来ぬのでまかないの梅を坂下へ遣って、何か切り身でも買って来させようとした時の事である。お玉は毎日肴なんぞ食いたくはない。酒を飲まぬ父が体に障らぬおかずでさえあれば、何でも好いと云う性だから、有り合わせの物で御飯を食べる癖が附いていた。しかし隣の近い貧乏所帯で、あの家では幾日立っても生ぐさげも食べぬと云われた事があったので、もし梅なんぞが不満足に思ってはならぬ、それでは手厚くして下さる旦那に済まぬというような心から、わざわざ坂下の魚屋へ見せに遣ったのである。ところが、梅が泣き顔をして帰って来た。どうしたかと問うと、こう云うのである。魚屋を見付けて入ったら、その家はお内へ通を持って来たのとは違った家であった。ご亭主がいないで、上さんが店にいた。多分御亭主は河岸から帰って、店に置くだけの物を置いて、得意先を廻りに出たのであろう。店に新しそうな肴が沢山あった。梅は小鯵の色の好いのが一山あるのに目をつけて、値を聞いてみた。すると上さんが、「お前さんは見付けない女中さんだが、どこから買いにお出でだ」と云ったので、これこれの内から来たと話した。上さんは急にひどく不機嫌な顔をして、「おやそう、お前さん、お気の毒だが帰ってね、そうお云い、ここの内には高利貸しの妾なんぞに売る魚はないのだから」と云って、それきり横を向いて、煙草を呑んで構い付けない。梅は余り悔しいので、外の魚屋へ行く気もなくなって、駆けて帰った。そして主人の前で、気の毒そうに、魚屋の上さんの口上を、きれぎれに繰り返したのである。
お玉は聞いているうちに、顔の色が唇まで蒼くなった。そしてやや久しく黙っていた。世慣れぬ娘の胸の中で、込み入った種種の感情がCHAOSをなして、自分でもその織り交ぜられた糸を自分でもほぐして見ることは出来ぬが、その感情の入り乱れたままの全体が、強い圧を売られた無垢の処女の心の上に加えて、体じゅうの血を心の臓に流れ込ませ、顔は色を失い、背中には冷たい汗が出たのである。こんな時には、格別重大でない事が、最初に意識せられるものと見えて、お玉はこんな事があっては梅がもうこの内にはいられぬと云うだろうかと先ず思った。
梅はじっと血色のなくなった主人の顔を見ていて、主人がひどく困っているということは悟ったが、何に困っているのか分からない。つい腹が立って帰っては来たが、午のお菜がまだないのに、このままにしていては済まぬと云うこと気が付いた。さっき貰って出て行ったお足さえ、まだ帯の間にはさんだきりで出さずにいるのであった。「ほんとにあんな厭なお上さんてありゃしないわ。あんな内のお魚を誰が買って遣るものか。もっと先の、小さいお稲荷さんのある近所に、もう一軒ありますから、すぐに行って買って来ましょうね」慰めるようにお玉の顔を見て立ち上がる。お玉は梅が自分の見方になってくれた、刹那の嬉しさに動かされて、反射的に微笑んで頷く。梅はすぐばたばたと出て行った。
お玉は跡にそのまま動かずにいる。気の張りが少し弛んで、次第に沸いて来る涙が溢れそうになるので、袂からハンケチを出して押さえた。胸の内には只悔しい、悔しいと云う叫びが聞こえる。これがかの混沌とした物の発する声である。魚屋が売ってくれぬのが憎いとか、売ってくれぬような身の上だと知って悔しいとか、悲しいとか云うのではないことは勿論であるが、身を任せることになっている末造が高利貸しであったと分かって、その末造を憎むとか、そう云う男に身を任せているのが悔しいとか、悲しいとか云うのでもない。お玉も高利貸しは厭なもの、こわいもの、世間の人に嫌われるものとは、仄かに聞き知っているが、父親が質屋の金しか借りたことがなく、それも借りたい金額を番頭が因業で貸してくれぬことがあっても、父親は只困ると云うだけで番頭を無理だと云って怨んだこともない位だから、子供が鬼がこわい、お巡りさんがこわいのと同じように、高利貸しと云う、こわいものの存在を教えられていても、別に痛切な感じは持っていない。そんなら何が悔しいのだろう。
一体お玉の持っている悔しいという概念には、世を怨み人を怨むという意味が甚だ薄い。強いて何物をか怨む意味があるとするなら、それは我が身の運命を怨むのだとでも云おうか。自分が何も悪い事もしていぬのに、余所から迫害を受けなくてはならぬようになる。それを苦痛として感ずる。悔しいとはこの苦痛をさすのである。自分が人に騙されて棄てられたと思った時、お玉は始めて悔しいと云った。それからたったこの間妾と云うものにならなくてはならぬ事になった時、又悔しいを繰り返した。今はそれが只妾と云うだけでなく、人の嫌う高利貸しの妾でさえあったと知って、きのうきょう「時間」の歯で咬まれて角がつぶれ、「あきらめ」の水で洗われて色の褪めた「悔しさ」が、再びはっきりした輪郭、強い色彩をして、お玉の心の目に現れた。お玉が胸に鬱屈している物の本体は、強いて条理を立てて見れば先ずこんな物であろうか。暫くするとお玉は起って押し入れを開けて、象皮まがいの鞄から、自分で縫った白金巾の前掛けを出して腰に結んで、深いため息を衝いて台所に出た。同じ前掛けでも、絹のはこの女の為に、一種の晴れ着になっていて、台所へ出る時には掛けぬことにしてある。かれはゆかたにさえ襟垢の付くのを厭って、鬢やたぼの障る襟の所へ、手拭いを折りかけて置く位である。
お玉はこの時もう余程落ち着いていた。あきらめはこの女の最も多く経験している心的作用で、かれの精神はこの方角へなら、油をさした機関のように、滑らかに働く習慣になっている。
(小見出し)
寄席
    陸
子供にもわかりやすくした仏法説話には因果応報という主題を取り扱ったものが多々あるる。それを辞書で調べてみると、過去における善悪の業に応じて現在における幸不幸の果報を生じ、現在の業に応じて未来の果報を生ずること、と出ている。しかし昨日良いことをやったから明日良いことが待っている、もう少し気長な話にして、一年前に良いことをやったから今日は良いことがあったと云って見ても、それに異議を唱える輩は多いかも知れない、だからこのたとえ話を作った人間は前世と来世というものを考え出して、その因果を検証不能にした。しかし、つい最近の行いが、良い結果をもたらしたのではないかという経験もないこともない。三角は自分の作った試作品を持って柳原の寄席に行った。寄席の裏口にまわるのは三角にとっては少し勇気のいることだった。寄席の小屋の人間が手招きをして三角を呼び寄せた。
「学生さん、こっちに来なさいな。師匠も会っても良いと云っているから」
三角は風呂やの脱衣場のような磨き上げた床の上を上がって、少し角を右に曲がると、燕ののれんがひらひらしている部屋の中で小柄な布袋さまのような桃川如燕が箱火鉢の前できざみ煙草をすぱすぱと吸っている。その布袋さまのようなにこにこ顔は寄席で見るのと少しも変わらず、如燕の丸いはげた頭が斜め上方を向いていて、そこからつやのある竹の管を伝わって、銀きせるから煙がある間隔をあけて空中に浮遊していた。
「学生さん、私に会いたいという話ですが、どういう用件なんですか」
「実はこれを見てもらいたいんです」
三角は太い孟宗竹を輪切りにした湯飲みのようなものを如燕にさしだすとかれは目の上より高い位置にかざして眺めすかして見た。それが湯飲みではないことは切った竹の容器の飲み口にあたるあたりに和紙が張ってあることだった。その竹も切られてからあまり時間が経っていないことは竹がまだ青々していることからわかる。如燕はこの竹は多分江戸川の河の端あたりから切ってきたのではないかとぼんやりと思った。
「この和紙をはがしてもいいのかな」
「もちろんです」
その和紙を張ってあることはその試作品の機能上の必要でもあったが、受け取り主にとっては中身のわからない品物のふたをあけて中身を確認するという、心理的に期待させるという効果もあったかも知れない。如燕がすっかり和紙のふたを開けようとすると、三角はあわてて制止した。
「そのふたを完全に開けないでください。三分の二だけ開けてください」
「なんでですか」
桃川如燕にはこの三角のような顔をした学生が何を考えているのか分からなかった。学生と言えば、最近は寄席の芸人の真似をする学生もいるということを知っている。いつだっか、如燕が料理屋の二階で夕涼みをしていると、三味線の音がしてきた。それからかちかちと拍子木を打つ音がして、続いて「へい、何か一枚ご贔屓を」と云った。下では、「へい、さようなら成田屋の河内山と直侍を一つ、最初は河内山」と云って、声色を使い始めた。銚子を換えに来ていた女中が、「おや、今晩のは本当のでございます」と云った。如燕にはそれが本当の声色使いだと云うことはわかったが、「本当のだの、嘘のだのと云って、色々ありますかい」
「いえ、近頃は大学の学生さんが遣っておまわりになります」
「やっぱり鳴り物入りで」
「ええ。支度から何からそっくりでございます。でもお声で分かります」
「そんなら極まった人ですね」
「ええ。お一人しか、なさる方はございません」女中は笑っている。
如燕は楽屋にやって来る学生などないものだから、最初そんな手合いが来たのかと思った。しかし、変なものを差し出したのでそうではないことが分かった。
三分の二だけあけられた竹筒の中をのぞき込むと絡まった海藻のような蕎麦が見えた。如燕の座っている前には箱火鉢が置いてあって赤ちゃんの頭の半分くらいの大きさの南部鉄瓶がその注ぎ口から湯気をたてている。三角はつつと前に進み出ると、その竹の容器を受け取ると、鉄瓶のお湯をそのあけた口から竹の容器の中に注いで、再びその和紙をしめた。和紙の表面には油が塗ってあるようだった。
「これで二百数えるんです。失礼」
三角はそれを畳の上に置いた。それからあたりを見回して、読み本のそばに煙草の道具一式とお茶の道具が置いてあるのを見付けた。
三角はそばにあった茶托を手にとると勝手にその竹筒の和紙の上に反対にして蓋のようにかぶせた。如燕はその動きを目だけで追いながら、三角に云われたとおり、数を数えていた。如燕が二百を数え終わるときには、三角は割り箸を竪に持って、それを割って如燕に差し出すところだった。
「二百数え終わったでござんすね。よろしいでしょう。よ、ござんす。蓋をあけて和紙をはがしてください」
如燕がそのようにすると竹筒の中には、絡んでいた蕎麦がお湯で戻って、しょうゆのしるの中で漂っている。すぐに三角は如燕に割り箸を渡した。
「食べてみてください」
如燕はおそるおそるその中にはしを入れるとはしのさきで十本ぐらいをからみ取って口の中に運んだ。如燕はしばらく無言だった。
「これを僕は竹筒蕎麦と名付けました。これならお湯があればどこでも食べることが出来ます。冬の雪に囲まれた狩り場の小屋でも、冷たい川風が吹きすさぶ渡し船の中ででもです。今までのように屋台の夜泣き蕎麦屋が重たい屋台を背負う必要もないんです。遠く外地で戦っている兵隊さんなら、特に重宝するでしょう。どんなものでしょうか」
桃川如燕は高座の始まる前と終わった後に寄席の前で植木棚のようなものを置いて、そこに自分の店で作った佃煮を九谷焼の容器に入れて売っていた。九谷焼の表面には如燕の二文字が書かれている。寄席に来た客が日に五六個買っていくのである。三角はそのことを知っていた。蕎麦屋通いをする軍資金を得るために、その植木棚の上に竹筒蕎麦を置いて見ることを考えてみたのである。もしくは寄席に来た客に高座を聞きながら竹筒蕎麦をすすらせることも考えてみた。
「どうです」
気の急いた三角は如燕に解答を求めたが、如燕は竹筒を箱火鉢の一角に置くとお茶受けを三角に勧めた。茶箪笥からブリキ缶を出して、菓子鉢へ玉子煎餅を盛っている。
「これは宝丹のじき裏の内で拵えているんです」
これは一種の口中清涼剤で、その販売をしている薬種商守田宝丹のことである。桃川如燕が何か云おうとすると、燕ののれんがひらひらと揺れてふたりの人物が顔を覗かせた。
「如燕さん、いますか」
ほぼ同時にふたりが挨拶をした。
「これはいいところに来ました。これを食べて見てください」
如燕は竹筒蕎麦をふたりに差し出した。ふたりは三角に目で挨拶をすると、そこに腰をおろして、少し真剣な表情になった。ふたりとも、竹筒蕎麦の中に箸を入れ、蕎麦を口の中に入れた。一人は袈裟を来た坊主で年齢は四十くらい、もうひとりは六十くらいの農家の隠居爺という感じで何故、竹筒蕎麦の中をこんなに真剣にのぞき込んでいるのか、三角にはわからない。
「これは誰が」
「こちらの学生さんが」
如燕が云うとふたりは三角の方を同時に意味ありげな表情で見つめた。
「学生さん、ご説明しなくて申し訳ありません。こちらのお坊さんが、松月庵、長寿庵、大村庵、の本家本元、道光庵庵主、第二十八代庵主、光譽松風和尚でございます。そしてこちらのご隠居が、藪蕎麦総本家、堀田芋兵衛さまでございます」
紹介されて坊主と田舎爺が三角の方へ黙礼をした。少なくとも蕎麦屋通いを一年余りに渡って続けている三角のことである。蕎麦を語るならこの二人を知らないはずがなかった。顔は知らなかったが、その名前は知っていた。昔浅草柴崎町に浄土宗一心山極楽寺称住院という檀家を持たない念仏道場があり、その院内に道光庵という支院があった。庵主は信州の生まれで、そば好きであるだけでなく、そば打ちの名人であった。だしは精進で魚類を使わず、辛み大根の汁で薄め、檀家に出していたが、評判が高まるにつれて、魚類のだしを使い、しょうゆも高級品を使うようになったので、ますます評判が高まり、庶民にも売るようになった。そして安永六年の評判記「富貴地位座」で並み居る蕎麦屋を押しのけて味、サービスともに頂点に立った。この名にあやかろうといろいろな蕎麦屋が道光庵の一字をとって松月庵、長寿庵などと名乗りだしたのである。しかし、その地位におごった道光庵は上質な白い御前粉を出していたものが、くず粉を使うようになり、その名に陰りが生じた。そこに現れたのが第二十八代庵主、光譽松風和尚であった。彼の唱えたのは道光庵の原点に戻ろうということだった。院の一部を蕎麦打ちの部屋に変え、仏道修行の一環として蕎麦作りを位置づけたことにある。そして道光庵の蕎麦の名前は再び、高まった。これが道光庵、中興の坊主である、第二十八代庵主、光譽松風和尚だった。江戸時代、将軍が鷹狩りを行っていた頃、腹の空いた将軍が藪の中にある百姓家で休憩をした。そこの爺がその土地で作っている蕎麦を出した。それはそこでは爺蕎麦と呼ばれるものだった。鷹狩りで寒い思いをしていた将軍はよほどうまいと思ったのだろう。自分の天領をその百姓爺に与えてそれ専用の蕎麦を栽培させた。これが藪蕎麦の本家本元であり、神田連雀町に店をかまえる藪蕎麦の総本家である。ということを三角は天然色刷り本、蕎麦総論という本で読んだことを思い出した。その蕎麦界の二巨頭が何故如燕の楽屋にいるのかわからなかったが、とにかく三角の竹筒蕎麦を食べているのである。しかしその表情は複雑なものがあり、それに満足しているとは云えないような気がする。
「学生さん」
坊主が三角の方を向いて声をかけた。
「蕎麦の味わいの三要素というものが何かわかりますか」
三角は言葉を失った、彼はどんなところでも食べることが出来るという利便性だけを追求していたからだ。
「味と香りですか」
「それもありますが、蕎麦には何よりものどごしが重要です。昔、わたしも蕎麦切りを冷凍乾燥させて、お湯で戻して食べることを考えたことがありました。しかし、どうしてものどごしの満足させるものは出来ませんでした」
結論はすでに出ていた。寄席には三角の作った竹筒蕎麦は置けないということに。三角は残りの竹筒蕎麦を風呂敷にしまうと、桃川如燕が何か云っているのも判然としない状態でそそくさと寄席を飛び出した。すぐに上条の下宿屋に向かうつもりだったが、お上が居座っていると思うと、風呂敷包みの中の竹筒を見られて、何を云われるのかわからないのでわざと切り通しの方へ抜けて、どこへ往くと云う気もなしに、天神町から五件町へと、忙しそうに歩いて行った。折々「糞」「畜生」などと云う、いかがわしい単語を口の中でつぶやいているのである。昌平橋に掛かる時、向こうから、ロシア人らしい西洋人が来た。三角はどきりとした。一瞬、ニコライ二世ではないかと思ったのである。しかし、常識で考えてみれば、ニコライ二世が日本のそれも昌平橋の上を歩いているわけがなかった。たぶん、ロシア聖教の集会場が近所にあるのでそこに来たのだろう。
その頃まだ珍しい見物になっていた眼鏡橋の袂を、柳原の方へ向かってぶらぶら歩いて行く。川岸の柳の下に大きい傘を張って、その下で十二三の娘にかっぽれを踊らせている男がある。その周囲にはいつものように人が集まって見ている。三角がちょいと足を駐めて踊りを見ていると、印半纏を着た男がぶっかりそうにして、避けて行った。目ざとく振り返った三角と、その男は目を合わせて直ぐに背中を向けて通り過ぎた。「なんだ、目先の見えねえ」とつぶやきながら、三角は袖に入れていた手で懐中をさぐった。無論、何も取られていなかった。三角はさいふなんか持っていなかったから当然である。このすりは実際目先が見えぬのであった。三角は桃川如燕に竹筒蕎麦を否定されて、いらいらすると云うより、神経が緊張していたのである。不断気の付かぬことにも気が付く、鋭敏な感覚が一層鋭敏になっている。すりの方ですろうと云う意志が生ずるに先立って、三角はそれを感ずる位である。ある期待を持って昂揚していた三角の精神状態が冷や水を掛けられて適当な緊張感が生じたのかも知れない。しかし大抵の人にはそれが分からない。もし非常に感覚の鋭敏な人がいて、細かに三角を観察したら、彼が常より稍能弁になっているのに気がつくだろう。そして彼の人の世話を焼いたり、人に親切らしい事を言ったりする言語挙動の間に、どこか慌ただしいような、稍不自然な処のあるのを認めるだろう。
もう寄席を飛び出してから余程時間が立ったように思って、川岸を引き返しつつ懐時計を出して見た。まだやっと十一時である。寄席を出てから三十分も立ってはいぬのである。三角は又どこを当てともなしに、淡路町から神保町へ、何か急な用事でもありそうな様子をして歩いて行く。今川小路の少し手前で何でも揚げます、という看板を置いて道ばたで揚げ物を揚げている中国人がいた。看板のとおりになんでも揚げてくれるのである。だいたいが小麦粉の解いたのを持って行くと油菓子を揚げてくれるのであった。そこを通り過ぎると、右へ廻って俎橋の手前の広い町に出る。この町は今のように駿河台の下まで広々と附いていたのではない。殆ど袋町のように、今三角の来た方角へ曲がる処で終わって、それから医学生が虫様突起と名付けた狭い横町が、あの山岡鉄舟の字を柱に彫りつけた社の前を通っていた。これは袋町めいた、俎橋の手前の広い町を盲腸に譬えたものである。三角は俎橋を渡った。そこを渡ると中国からの留学生の陳くんがいた。賃くんは新しい橋の設計を勉強するために日本に来ていた。建築のための圧延鋼などはもちろんなく、まだ八幡の製鉄所もなかった時代である。中国の大きな河には橋などなかった。川幅が広すぎて橋など渡せなかったのである。そんな中国の河に橋を造るという目的でその設計を勉強するために陳くんは日本に来ていた。三角とは知り合いである。顔を見ると元気がない。話を聞くと学費を節約するためにもう二日間何も食べていないと云う。三角は風呂敷包みに入っている竹筒蕎麦のことを思いだした。お湯さえあれば蕎麦を食べさせてあげられると云うと、日本蕎麦はあまり好きではないと云う。そして今川小路の少し手前でやっている中国人の揚げ物屋でその蕎麦を揚げて貰えばありがたいと云う。三角は陳くんをつれて、その揚げ物屋に行くと、陳くんと揚げ物屋は中国語で話し始めた。すぐに揚げ物屋は乾燥した蕎麦を油であげて、竹筒の中に戻した。同胞のよしみだろうか、揚げ物屋は自分の持っていた熱い中華スープを陳くんの持っていた揚げたての蕎麦の中に入れたのだ。するとじゅうと云う音がしていいにおいがひろがった。三角は陳くんをあわてて押しとどめた。そして箸をその竹筒の中に入れると中華スープで柔らかくなった蕎麦を口の中に入れてみた。うまかった。三角はこれはいけると思った。
お玉の父親は池の端に越して来てから、暫く立つうちに貸本を読むことを始めて、昼間はいつも眼鏡を掛けて貸本を読んでいる。それも実録物とか講談物とか云う「書本」に限っている。この頃読んでいるのは三河後風土記である。これはだいぶ冊数が多いから、当分この本だけで楽しめると云っている。貸本屋が「読み本」を見せて勧めると、それは嘘の書いてある本だろうと云って、手に取って見ようともしない。夜は目が草臥れると云って本を読まずに、寄席へ往く。寄席で聞くものなら、本当か嘘かなどとは云わずに、落語も聞けば義太夫も聴く。主に講談ばかり掛かる広小路の席へは、余程気に入った人が出なくては往かぬのである。道楽は只それだけで、人と無駄話をすると云うことが無いから、友達も出来ない。そこで末造がいやな金貸しだという身の上なぞを聞き出す因縁は生じて来ぬのである。
それでも近所には、あの隠居の内へ尋ねて来る好い女はなんだろうと詮索して、とうとう高利貸しの妾だそうだと突き留めたものもある。もし両隣に口のうるさい人でもいると、爺さんがどんなに心安立をせずにいても、無理に厭な噂を聞かせられるのだが、しあわせな事には一方の隣が博物館の属官で、法帖なんぞをいじって手習いばかりしている男、一方の隣がもう珍しいものになっている版木師で、篆刻なんぞには手を出さぬ男だから、どちらも爺さんの心の平和を破るような恐れはない。まだ並んでいる家の中で、店を開けて商売をしているのは蕎麦屋の蓮玉庵と煎餅屋と、その先のもう広小路の角に近い処の十三屋という櫛屋との外には無かった時代である。
爺さんは格子戸を開けてはいる人のけはい、軽げな駒下駄の音だけで、まだ優しい声のおとを聞かぬうちに、もうお玉が来たのだと云うことを知って、読みさしの後風土記を下に置いて待っている。掛けていた眼鏡をはずして、可哀い娘の顔を見る日は、爺さんのためには祭日である。娘が来れば、きっと眼鏡をはずす。眼鏡で見た方が好く見える筈だが、どうしても眼鏡越しでは隔てがあるようで気が済まぬのである。娘に話したい事はいつも溜まっていて、その一部分を忘れて残したのに、いつも娘の帰った跡で気が附く。しかし「旦那はご機嫌好くてお出でになるかい」と末造の安否を問うことだけは忘れない。
お玉はきょう機嫌の好い父親の顔を見て、阿茶の局の話を聞かせて貰い、広小路に出来た大千住の出店で買ったと云う、一尺四方もある軽焼きの馳走になった。そして父親が「まだ帰らなくても好いかい」と度々聞くのに、「大丈夫よ」と笑いながら云って、とうとう正午近くまで遊んでいた。そしてこの頃のように末造が不意に来ることのあるのを父親に話したら、あの帰らなくても好いか云う催促が一層激しくなるだろうと、心の中で思った。自分はいつか横着になって末造に留守の間に来られてはならぬと云うような心遣いをせぬようになっているのである。
お玉が帰ってから爺さんは貸本の一つを手に取ってみた。その貸本を開けると、紙片が一枚ぱらりと落ちて来た。何が書いてあるかと思うと「・・・・上条、三角何某」と書かれている。これはなんだろう。いつ、こんな紙片を貸本の間に挟んでいたのだろうかと思った。そう云えば、貸本を読んでいたときに、この家に前に住んでいた婆さんという人が尋ねて来て、読み差しの本を置いて立ち上がるときに、そこいらにあった紙片を読みかけていたところに挟んでおいたということを思いだした。と云うことはこの紙片は最初から爺さんが持っていたということになる。爺さんは眼鏡をかけてまたその紙片をじっくりと見た。じょじょに淀んだ沼の中のような記憶の底のほうから、からんだ水草の間を糸がほどけるようにその名前が出てきた。あのおまわりさんが無理矢理に押し掛け婿として練り塀町の長屋に入り込んだときに、その巡査の本当の女房が国にいて、自分はその女の親戚にあたるものだと云って、お国の法律によってその巡査を自分の長屋から追い出してくれた学生さんだということを思い出した。巡査の晩酌のあいてをさせられて窮屈な思いをしたことも思い出した。経済的には少し楽をしたものだが、いつも巡査に監視されているような息苦しさを感じていた。巡査はおぼこ娘のお玉を奪ったようなものだと思った。ある意味では巡査からけがされたお玉の仇を取ってくれたのはあの学生さんではないかと思った。そのとき自分はその学生さんをちらりと見たぐらいでそのとき学生さんが役所の人と話しているの見たぐらいだったが、その学生さんにお礼も何もしないで、世間に見せる顔もない恥ずかしい気持ちで、長屋をかたづけて、西鳥越に越してしまったことを心のどこかでやり残したことのように思えた。あの学生さんの住所が書いた紙が出て来たことが何かちょうど好い機会であるような気がして、きっとあの学生さんに何か感謝の気持ちを表したいと云う自分の心のどこかに潜んでいる思いが形になって表れたような気がした。あの学生さんに、そのときのことのお礼の手紙を書いてみる気になったのは正直一途で義理がたい爺さんの行動としては充分に考えられた。そこでじいさんはちゃぶ台の上に紙と筆を出すと墨を擦り始めた。じいさんは舌先で筆のさきをなめた。自分が手紙を出しても学生さんが喜ぶかと考えてみた。どうすればあの学生さんがこの手紙を読んで喜ぶだろうか。自分の自慢の娘であるお玉から来た手紙だと思ったらもっと学生さんは喜ぶのではないかと思った。以前秋葉の原でお子さま衆に飴を売っていたときも、お玉にはその仕事を手伝わせることもなかったのだが、たまたまお玉がそこにいるとお子さまたちは争ってお玉の手から売り物の飴を買っていったものである。こんなひからびたような爺さんから飴を貰うよりも、きれいなお玉から飴を受け取った方が嬉しいのは子供でも同じである。爺さんはそこに飴という商品の単なる価値以上の付加価値を見いだしていた。あの巡査とのごだごたのときも学生さんはお玉のことを見ていたはずだ。お玉のことを決して悪い印象を持っているはずがない、自分の口から云うのもなんだが、お玉は綺麗な娘である。貧乏していても決して手が荒れるようなことはさせず、文字どおり玉を磨くように育てた自慢の娘だもの、きっとそのお玉からお礼の手紙を貰えば学生さんは喜ぶはずである。そう思った爺さんは自分がお玉になったつもりで手紙を書き始めた。
上条の下宿で三角の様子に大きな変化があることを知ったのはその一週間後だった。三角がやたらにはしゃいだり、その逆に真剣じみた表情をしていたり、今まで芝居のことなど話したこともなかったのに、芝居の演目のことを語ったり、義太夫を聴きに行ったりしているのである。その理由はすぐに上条のお上さんに聞くと分かった。三角のところに来るはずがないのに女から手紙が来たそうだ。僕が下宿の玄関のところにいるとうだったような顔をして、三角が出て来た。まるで長いこと暗闇に閉じこめられていた人間が急にシャンデリアが光り輝く舞踏会に引っ張り出されて目がくらんで、平衡感覚が狂ってしまっているようだった。僕が一緒に散歩に往こうかと云うと三角はわけのわからないことをつぶやくと断って、一人で出て行った。三角は不忍池の東側を通って広小路の方に抜けて見た。ずっと後に、殺風景にも競馬の埒にせられて、それから再びそうそうを閲して、自転車の競走場になった、あの池の縁の往来を通ってである。それからしばらく歩いて、淡路町から神保町に抜けて往った。随分の距離を歩いていたが三角は気分が昂揚しているのでそんな距離も気にならない。あの娘からお礼の手紙が来ることなど想像もしていなかった。自分の親戚の女と結婚している巡査が飴売り屋の生娘と重婚の罪を犯していると知ったとき、社会的正義のために、法律のことは何も知らない善良な人のために告発しようという気になって行動を起こしたのだが、その娘のことは何も知らなかった。しかし、その娘がことのほか別嬪で、長屋のお上さんから、その娘の生い立ち聞くと、その娘にますますの好印象を持った。お玉は三味線も習っていて、ときおりお玉のつま弾く三味線の音が長屋から聞こえるそうである。その飴細工屋の娘は親父が零落して苦労を重ねたが、いつも小綺麗にさせて三味線なども習わせて、おとなしく育ったそうである。そんな娘が悪辣な巡査に騙されて無理矢理結婚させられたのを救い出したのは何あろうこの自分である。いつだったか竜にさらわれた姫を助ける西洋の絵を見たことがある。イタリア、ルネツサンス盛期の画家ティッアーノもフランドル、バロック派のルーベンスも神話を題材にしたその絵を描いていた。自分はまるで姫を助け出すその騎士と同じ立場にいたのだという英雄的な気分にもなるのだった。きっと自分はお玉に強い印象を与えているのに違いない。自分を救い出してくれた自分をあの娘は好きになってしまったのではないかと思ったのである。お玉の住んでいる内を三角は知っていた。たまたまお玉の家の隣の裁縫のお師匠の家に通っている娘を知っていたからだ。しかし、その娘はまだ年も若くて、世の中の複雑な事情についてはうとく、お玉が末造という金貸しの妾になっているということは知らなかったのである。三角はお玉の精神の中に何か新しく印象を刻みたいと思った。そこでいろいろと考えたあげく、お玉にその娘を通して何か、贈り物を届けようと思った。それも毎日、お玉がその贈り物を見て、送り主のことを思い出せるものがいいと思った。三角は数寄屋町の芸者を連れて、池の端をぶらついて、書生たちをうらやましがらせている福地源一郎の大きな邸の前を通った。巷間の政治的主張を誘導している福地源一郎である。その隣にあるのが、お玉を妾にしている末造の家だったが、三角はそのことを知らなかった。三角は俎橋を渡った。右側に飼鳥を売る店があって、いろいろな鳥の賑やかな囀りが聞こえる。三角は二三日前にこの店のそばを通ってめぼしをつけていた。三角は今でも残っているこの店の前に立ち留まって、櫨に高く吊ってある鸚鵡や鸚哥の籠、下に置き並べてある白鳩や朝鮮鳩の籠などを眺めて、それから奥の方に幾段にも積み重ねてある小鳥の籠に目を移した。啼くにも飛び回るにも、この小さい連中が最も声高で最も活溌であるが、中にも目立って籠の数が多く、賑やかなのは、明るい黄色な外国産のカナリア共であった。しかし、猶好く見ているうちに、沈んだ強い色で小さい体を彩られている紅雀が三角の目を引いた。三角はお玉が軒先にその雀をつるして世話をしている姿を想像してみた。あの娘を通してお玉に贈ろうと、その世話をする手間も考えずに二三日前からその紅雀を見たときから考えていた。そこで余り売りたがりもしなさそうな様子をしている爺さんに値を問うて、一つがいの紅雀を買った。代を払ってしまった時、爺さんはどうして持って行くかと問うた。籠に入れて売るのではないかと云えば、そうでないと云う。ようよう籠を一つ頼むようにして売って貰って、それに紅雀を入れさせた。幾羽もいる籠へ、萎びた手をあらあらしく差し込んで、二羽掴みだして、空籠に移し入れるのである。それで雌雄が分かるかと云えば、しぶしぶ「へえ」と返事をした。三角は紅雀の籠を提げて俎橋の方へ引き返した。三角は胸を張っていた。陳くんにあげた竹筒蕎麦を揚げてくれた揚げ物屋の前に来ていた。腹の減った三角は新製法で作られた竹筒蕎麦の蓋をあけると、中国人にお湯を要求した。油の入った鍋の横に置いてある、沸騰したやかんからお湯を注ぐと、中華スープのにおいが竹筒の口から上がった。この中国人の作った中華スープを粉末に出来ないかと交渉したところ、この中国人は茶筒で半分くらいの中華スープの粉末を三角の元に届けたのだ。今は竹筒蕎麦の同じ開発仲間だった。三角はロシアのニコライ二世が日本に戦争を仕掛けて来ると予想していた。その戦争に備えて、極寒の地で戦う兵隊さんのために開発をした竹筒蕎麦は麺を油で揚げることと、粉末中華スープを加えることで完成した。本来の日本蕎麦の定義からはほどほど離れてしまったが、お湯をかけるだけで暖かい蕎麦が食べられるという製品が完成したのだ。竹筒蕎麦から上がる湯気のために三角の鼻のあたりはむずむずとした。 
(小見出し)知り合う

        漆           
お玉の右隣の家は裁縫の師匠をしていた。師匠はお貞と云って、四十を越しているのに、まだどこやら若く見える所のある、色の白い女である。前田家の奥で、三十になるまで勤めて、夫を持ったが間もなく死なれてしまったと云う。詞遣いが上品で、お家流の手を書く。お玉が手習いがしたいと云った時、手本などを貸してくれた。
ある日の朝お貞が裏口から、前日にお玉の遣った何やらの礼を言いに来た。暫く立ち話をしているうちに、お貞が「あなた岡田さんがお近づきですね」と云った。
お玉はまだ岡田と云う名を知らない。それでいて、お師匠さんの云うのはあの学生さんの事だと云うこと、こう聞かれるのは自分に辞儀をした所を見られたのだと云うこと、この場合では厭でも知った振りをしなくてはならぬと云うことなどが、稲妻のように心頭を掠めて過ぎた。そして遅疑した跡をお貞が認め得ぬ程速やかに「ええ」と答えた。「あんなお立派な方でいて、大層品行が好くてお出でなさるのですってね」とお貞が云った。
「上条のお上さんも、大勢学生さん達が下宿していなすっても、あんな方は外にないと云っていますの」こう云って置いて、お貞は帰った。
お玉は自分が褒められたような気がした。そして「上条、岡田」と口の内で繰り返した。
それから数日して、お貞が再びお玉の家に寄ったとき、お貞は紅雀の入った籠を持っていた。
「うちに裁縫を習いに来ている娘さんが、上条に下宿している学生さんから預かったんだけど、お玉さんに渡して欲しいと云うの」
反射的にお玉の頭の中には上条という名前から岡田の名前が連想された。お貞もそのことに気付いたのか、あわてて否定した。お玉は岡田に関連した、上条という下宿の名前が出て来たので内心喜ばすにはいられなかったが、つとめてその表情がおもてに出ぬようにした。
「その娘の話によると、上条に下宿している学生さんだけど、岡田さんという名前ではないようよ。三角と云う人だそうよ。その人は自分の名前を云えばお玉さんはわかるから、この紅雀を貰ってくれると云っていたとその娘は云うの。お玉さんにそこの紅雀のつがいを渡してくださいって。お玉さんはその人を知っている」
お玉はそれが巡査との一悶着があったとき、裁判に関わって動いた医学生だと云うことがどうしても思い出せなかった。しかし、岡田と同じ上条の下宿に住んでいる学生である。もしかしたらその学生を手づるにして岡田と近づきになれるかも知れないと淡い期待が生じた。そうなら、その紅雀を貰って置かなければならない。三角から岡田にお玉についてのことがどういうように伝わるかもわからなかったからである。お玉はその籠を貰うと道に面した格子窓の上につるした。
お玉は父親を幸福にしようと云う目的以外に、なんの目的も有していなかったので、無理に堅い父親を口説き落とすようにして人の妾になった。そしてそれを堕落せられるだけ堕落するのだと見て、その利他的行為の中に一種の安心を求めていた。しかしその旦那と頼んだ人が、人もあろうに高利貸しであつたと知った時は、余りの事に途方に暮れた。そこでどうも自分一人で胸のうやもやを排し去ることが出来なくなって、その心持ちを父親にうち明けて、一緒に苦しみ悶えて貰おうと思った。そうは思ったものの、池の端の父親を尋ねてその平穏な生活を目の当たり見ては、どうも老人の手にしている杯の裡に、一滴の毒を注ぐに忍びない。よしやせつない思いをしても、その思いを我が胸一つに畳んで置こうと決心した。そしてこの決心と同時に、これまで人にたよることしか知らなかったお玉が、始めて独立したような心持ちになった。この時からお玉は自分で自分の言ったり為たりすることを密かに観察するようになって、末造が来てもこれまでのように蟠りのない直情で接せずに、意識してもてなすようになつた。その間別に本心があって、体を離れてわきへ退いて見ている。そしてその本心は末造をも、末造の自由になっている自分をも嘲笑っている。お玉はそれに始めて気が附いた時ぞっとした。しかし時が立つと共に、お玉は慣れて、自分の心はそうなくてはならぬもののように感じて来た。
それからお玉が末造を遇することはいよいよ厚くなって、お玉の心はいよいよ末造に疎くなった。そして末造に世話になっているのが難有くもなく、自分が末造の為向けてくれる事を恩に被ないでも、それを末造に対して気の毒がるには及ばぬように感ずる。それと同時に又なんの躾も受けていない芸なしの自分ではあるが、自分が末造の持ち物になって果てるのは惜しいように思う。とうとう往来を通る学生を見ていて、あの中にもし頼もしい人がいて、自分を今の境涯から救ってくれるようになるまいかとまで考えた。そしてそう云う想像に耽る自分を、忽然と意識したとき、はっと驚いたのである。
このときお玉と顔を知り合ったのが岡田であった。お玉のためには岡田も只窓の外を通る学生の一人に過ぎない。しかし際立つて立派な紅顔の美少年でありながら、自惚れらしい、気障な態度がないのにお玉は気が附いて、何とはなしに懐かしい人柄だと思い初めた。それから毎日窓から外を見ているにも、又あの人が通りはしないかと待つようになった。
まだ名前も知らず、どこに住まっている人か知らぬうちに、度々顔を見合わすので、お玉はいつか自然に親しい心持ちになった。そしてふと自分の方から笑い掛けたが、それは気の弛んだ、抑制作用の麻痺した刹那の出来事で、おとなしい質のお玉にはこちらから恋を仕掛けようと、はっきり意識して、故意にそんなことをする心はなかった。
岡田が始めて帽子を取って会釈をした時、お玉は胸を躍らせて、自分で自分の顔の赤くなるのを感じた。女は直感が鋭い。お玉には岡田の帽子を取ったのが発作的行為で、故意にしたのではないことが明白に知れていた。そこで窓の格子を隔てた覚束ない不言の交際がここに新しいEpoqueに入ったのを、この上もなく嬉しく思って、幾度も繰り返しては、その時の岡田の様子を想像に画いて見るのであった。その辺の台所事情を三角は全く知らず、お玉の父親の作り物の手紙を読んで、三角はお玉が自分に気があると思いこんでいるのであったが、お玉がその紅雀を受け取ったのは、同じ上条の下宿人であるということから、岡田ともっと知り合いになれるかも知れないと思っているからだった。三角が買った紅雀のつがいはそのきっかけをつかむための道具に過ぎなかったのだ。そんな事を知らない三角は下宿の自分の部屋にロシアの地図を広げて、その上に竹筒蕎麦を適当に置いて悦に入っていた。下宿に戻った自分はサンクト・ペテルスプルクとか、モスクワとか、ロシアの地図の上に理由の分からない竹筒を置いている三角を見て不気味に思った。
「三角くん、ロシアの地図の上に変な竹筒を置いて、不気味に笑っているなよ」
「竹筒蕎麦が完成したんだよ。この蕎麦がロシアのいろいろな場所で見られることになるだろう」
三角の部屋の中にある火鉢の中のやかんは湯気をたてていた。やかんの蓋がときどき紳士が帽子を脱ぐように蒸気の圧力でもちあがる。まるで日本庭園の獅子落としのようだった。
「君も食べてみるかい」
僕もその広げられたロシア地図の前にあぐらをかいた。どこから三角がその地図を持って来たのか知らなかったが地図は三色刷になっていた。三角は竹筒の蓋をあけると中に煮えたぎったお湯を注いだ。
「このお湯が沸騰していなければならないんだ。摂氏八十度から百度の間、華氏で云えば百七十六度から二百十二度の間だよ。このくらいの熱い湯でなければ蕎麦が元に戻らないんだ」
「前に冷凍乾燥法のことを云っていたね。その方法を使ったのかい」
「それも使ったが、油で揚げる方法をたまたま発見したんだ。とにかく食べて見てくれ」
三角に云われたまま僕はその蕎麦を食べてみた。旨いことは旨いが、伝統的な日本蕎麦とはほど遠い味である。僕は中華料理のことはあまり詳しくはなかったがそれが中華料理だと云うことははっきりと分かった。
「三角くん、これは日本蕎麦ではない」
僕は抗議した。
「僕は日本の食生活を改善しようと思っているのだ」
のちに日本人の健康改善のために食生活を改善するためにはどうしたらいいかと、堀江構造くんに聞かれたことがあったが、その食物改良の議論では、米をやめて沢山牛肉を食わせようと云う話しだった。しかし自分は日本人伝統の米と野菜、肴を中心とした食生活をしておけばいいだろうと答えておいた。米も肴も消化のいいものである。風土や作物によってそれなりのそういう食物を日本人が採っていることはあきらかだからだ。西洋人のような高脂肪、高蛋白質の食物を採っていれば心臓病になる可能性も高いだろう。日本人の古来からの野菜中心の食物を採っていれば、それらの病気にかかる可能性は少ない。まあ、とにかく腹八分目ということだろうか。この蕎麦がどんなもので作られているのかはすぐ分かった。三角の作った蕎麦を味わってみると元になっているのは日本蕎麦であることは間違いがない。それを油で揚げてあって、それに中華味がついている。竹筒の蓋をあけたとき、灰色の粉のようなものが見えたから、それが中華スープを粉末状にしたものだろう。しかし、それをどうやって作ったかはわからない。「三角くん、きみはお湯を入れただけで食べられる日本蕎麦を開発すると云っていたじゃないか。これは日本蕎麦じゃないよ」
「きみは日本蕎麦というが、そもそも日本蕎麦にどんなものがあるか、知っているのかい」
三角は自分の作ったものをけなされたと思ったのか、反論を始めた。
「汁をつけて食べる蕎麦では、もり蕎麦、ざる蕎麦、それに入れる容器が皿であるか、椀であるかによって皿蕎麦、わんこ蕎麦、わりこ蕎麦とかあるね。それらのつけ汁は醤油、砂糖、みりんを混ぜ合わせて、何日か冷暗所で熟成したものに、鰹節とかさば節を煮て旨みのエキスを採ったもので割って作った醤油の汁、いわゆる辛み汁というものがあるね。そのほかには、それらの蕎麦本来の味を味わうために汁として大根おろしを使うものもある。それは地方の郷土料理によくあるものだけど。汁を作る手間がいらないから農作業の合間に蕎麦を食べようという農家の間で作られているよ。屋台で蕎麦が売られるようになってからは、気の短い人間が、汁をつけて食べるのが面倒だということから一つのどんぶりの中に蕎麦を入れて、そのうえに辛み汁を入れるものが出来た。ぶっかけ蕎麦と呼ばれるもので、現在はもう少し上品にかけ蕎麦と呼ばれているだろう。そのかけ蕎麦の上にいろいろな具をのせたものが加薬蕎麦だ。しっぽく蕎麦、天ぷら蕎麦、花まき蕎麦、玉子とじ、鴨南蛮、、あられ、おかめ蕎麦、桑名蕎麦、にしん蕎麦、もりやかけと云う分類以外に蕎麦自体にお茶を練り込んだ茶蕎麦というのがあるじゃないか。そのほかにも草、胡麻、胡桃、山葵、柚、蜜柑といろいろなものを練り込むことが出来る。天ぷら蕎麦は昔は芝海老のかき揚げだったけど、今は海老の一本揚げになっているけどね」
さらにどこから仕入れて来た知識か知らないが三角はさらに詞を続けた。
「君の云っているのは、みんな蕎麦切りのことだろう。蕎麦というのは植物の名前のことだよ。タデ科の一年生草木の普通種のことで荒れた土地でも収穫出来、成長が早いので広い世界で栽培されている。君が今云ったのはみんな蕎麦切りのことだよ。つまり、蕎麦を麺にしたものだ。蕎麦を製粉して水を加えて団子にしたものを細い帯状に切ったものだ。その幅によって田舎蕎麦、更科蕎麦、並蕎麦と分かれる。だから、蕎麦を麺状にしないものもあるわけで、蕎麦を練ったものを団子状にした蕎麦がきというものがある。蕎麦団子に蕎麦煎餅、蕎麦もち、蕎麦味噌、蕎麦寿司と蕎麦と云っても麺とは限らないものだせ。それを考えたら、蕎麦を中華スープで食べるくらいどうと云うこともないさ」
「まあ、おいしいから、これを蕎麦と呼ぶことを許してあげよう。ここに入っているのは何だい。そう乾燥ホタテ」
自分は竹筒の底の方に入っている、丸い筒状の弾力のあるものを箸でつまみ上げた。
「この乾燥ホタテがだしになっていい味を出しているのさ」
三角も竹筒の中にお湯を入れてロシア地図の前に腰をおろして自分の作った蕎麦に舌鼓を打っている。
「きみは何故、下宿代も払えないくらい貧乏なのに、こんなことに精を出しているんだい」
「それは前にも云っただろう。僕の故郷に河原猫造と云う政府の役人がいる。ちょうどそのときはアレクサンドル三世がロシアの皇帝でウィトと云う大臣が国の近代化を進めていたんだよ。そのウィトのもとで鮭の帰巣本能を利用した養殖の研究が行われていた。きみも知っているとおり僕は医学を専門に勉強しているが、その対象は人間ではない。動物だ。河原猫造さんに鮭の養殖の施設がロシアに作られているといことを聞いたから、それの勉強に行きたいと云うと、国がその費用を出してくれると云うんだ。僕が官費で留学出来るなんてめったにない機会だからね。僕は飛びついたよ。ただし河原猫造さんは条件があると云うんだ。ニコライ二世が日本語の会話の教師をしているから、その仕事もしてくれと云うんだ。きみは知っているかわからないが、ニコライ一世というのは、デカプリストの乱を平定して秘密警察を作った人物だよ。そのうえ、ロシア・トルコ戦争を起こして、クリミヤ戦争もやって南下政策をとっていた人物だ。それと同じようにニコライを名乗る皇帝のことである、当然、彼は南下政策を採るに違いないと考えた方がよい。船旅で二ヶ月もかかったよ。今、建設中のシベリヤ鉄道なんて噂にもあがっていなかった。インドを通って、セイロンでは、赤い格子縞の布を、頭と腰とに巻き付けた男に美しい、青い翼の鳥を買わせられた。籠をさげて舟に帰ると、フランス船の乗組員が妙な手付きをして、どうせ、ロシアみたいな寒いところでは育ちませんぜと云った。案の定、トルコに行き、そこで鳥は死んでしまつた。それから僕はアレクサンドル三世の宮殿にたどり着いた。そこにまだ大津事件は起こっていなかったんだけど、のちにその事件ですっかり日本嫌いになったニコライ二世がいたんだ。僕は彼の日本語を片言を教える仕事をしたんだけど、そのときの扱いはひどいものだった。そして僕は確信したんだ。バルカン半島で失敗したロシアはニコライ二世のときに今度は極東を通じて南下政策をとるだろうと、そのとき、日本の兵隊さんがシベリヤの地で戦わなければならない、そのときの食料として僕は竹筒蕎麦の開発に乗り出したわけなんだ」
「それで、その竹筒蕎麦が完成したと云うわけだね」
「そうなんだ」
三角は詳しくは云わなかったが何かほかにも出来事があったのかも知れない。
三角はまた蕎麦の中に箸を入れると中華料理としか言えない麺を口に運んだ。
「この製法は決して秘密にしなければならないんだ。ロシアが同じものを作ったら、たとえば即席ボルシチなんかだけど、意味がないからね。しかし、心配なことがあるんだ。誰かが、この竹筒蕎麦の秘密を盗もうとしているんじゃないかと恐れているんだ」
上条の下宿の真ん前を真っ直ぐ行くと大学の鉄門を抜ける、そこを通ると散歩道になっている。そこは両側に銀杏の木を植えた通りになっている、その道を中心にしていろいろなところを右に曲がったり、左に曲がったりしていろいろな施設に行けるようになっている。左の方を曲がると、以前に加賀屋敷の弓道場のあったところに解剖室が作られて、その解剖室の前には変な形のお地蔵さんが立っている。今度はその通りの中程のところを右に曲がると図書館に続く細い道に入る。図書館と云っても今の人が見たら、大きな役場のような感じしかしないが、薄いうぐいす色に塗られた木の板張りの天井に鋳物で出来たフランスから取り寄せたと云う鶏の風見鳥と避雷針がついている、窓ガラスはちょっとしゃれているが、二階建てになっている。図書館の一階の窓の外には丸く刈られた生け垣が植えられている。ほとんど手入れはされていない。その図書館に行ける道の横は人が二人ほど歩くといっぱいになってしまう。その道は少し下り坂になっていて、また上がって行けるようになっているのだが、その下りきったところに雨水をためるように沼と呼んでいいような池がある。雨が降ると雨水がすべてその池の中に流れ込む、そして池を溢れさす前に余った水は下水に流れて行くのだ。ここは維新の前には鑑賞用の庭と云うより、火事が起こったとき、消火用の水をくみ出す場所だった。廻りを藪のような木で囲まれていて藪のところから伸びている木の枝のさきが水面に接していたりする。池の真ん中には大きな石が置いてあって水面から顔を出している。その深さはそれほどなく、そこに魚が住んでいるが、鯰のような魚しかいないようだった。そこは木に囲まれていて木陰になっていて、少し気味の悪い場所なのだった。図書館に行って調べ物をしようと思った三角がそこを通ると黒い固まりのようなものが濁った水の上に浮かんでいる。いつもはそんな物はいないのだが、よく見るとその池の中に少し大きな雁が羽を休めていて、こちらをじっと見つめていたと云うのだ。そのときの気持ち悪い感じはとても言葉では表せないと三角は云った。雁と云う感じはしないでまるで人間がぬいぐるみを被ってこちらを見ているようだった。「死んでいるような目をしてこちらをじっと見ているんだよ」三角の話によるとその死人のような、ひんやりとする視線はそのときだけではないと云う。三角が目をそらすと雁の方も向こうを向いてしまった。それから図書館に行き、鹿の足に出来た出来物をとりのぞく方法を調べるために、昔にも似たような病気があるか調べるために随の単元方の病源侯論の第七巻を借りて、窓際の席で調べていると、外の方でやはり誰かに見られているような気がして外を見ると、あの雁が池から出て来て、図書館の前の方の空き地まで歩いて来ていて、あの少し大きな雁が、あの無機質な目をして、じっと三角の方を見ていたそうである。その目は冷たいと同時に挑戦的な感じもあったと云う、三角がその雁を捕まえようと思って急いで席を立とうと病原侯論のページを勢いよくとじると、雁は不敵な笑みを浮かべて、飛び立ったそうである。知力に置いて動物が人間を越えているのではないかと思えることがある。その上に動物は肉体的には人間を超えている。鳥の場合は空を飛ぶことが出来る。鳥の視点の方が人間よりもはるかに高い場所にあるのだ。
「じゃあ、きみはその雁に観察されていたと云うのかい」
「確かに、そんな感じがするのだ」
僕は鳥がそんな事が出来るはずはないと思ったから一笑にふしたが、三角は釈然としないようだった。それより三角が紅雀のつがいを買ったのに、それを下宿に持って来なかったから、そのことの方が僕にとっては不思議だった。
「俎橋のさきの場所で君が鳥屋で紅雀のつがいを買ったというのを、石原が見ていたと聞いたんだが、その鳥かごはどうしたんだい」
「知り合いの子供にやった」
三角は無愛想に答えた。それから麺を食べ終わり、竹筒の底に残っている中華スープを飲み干した。その中華スープの中には三角が奮発して入れた乾燥ホタテが入っている。そのホタテの貝柱は留学生の陳くんの知り合いから仕入れているのかも知れなかった。なにしろ陳くんがこの蕎麦づくりの共同開発者になっているのだから。
 

第三回
     捌
三角がお玉に買って贈った紅雀は、図らずもお玉と岡田とが詞を交す媒となった。
この話をし掛けたので、僕はあの年の気候の事を思い出した。あの頃は亡くなった父が秋草を北千住の家の裏庭に作っていたので、土曜日に上条の家から父の所へ帰って見ると、もう二百十日が近いからと云って、篠竹を沢山買って来て、女郎花やら藤袴やらに一本一本それを立て副えて縛っていた。しかし二百十日は無事に過ぎてしまった。それから二百二十日があぶないと云っていたが、それも無事に過ぎた。しかしその頃から毎日毎日雲のたたずまいが不穏になって、暴模様が見える。折々又夏に戻ったかと思うような蒸し暑いことがある。巽から吹く風が強くなりそうになっては又やむ。父は二百十日が「なしくずし」になったのだと云っていた。
僕は或る日曜日の夕方に、北千住から上条へ帰って来た。書生は皆外へ出ていて、下宿屋はひっそりしていた。自分の部屋へ入って、暫くぼんやりしていると、今まで誰もいないと思っていた隣の部屋でマッチを擦る音がする。僕は寂しく思っていた時だから、直ぐに声を掛けた。
「岡田君。いたのか」
「うん」返事だか、なんだか分からぬような声である。僕は三角同様、岡田とは随分心安くなって、他人行儀はしなくなっていたが、それにしてもこの時の返事はいつもとは違っていた。三角がまた変なものを作って岡田に食べさせたのかと思った。
僕は腹の中で思った。こっちもぼんやりしていたが、岡田もやっぱりぼんやりしていたようだ。何か考え込んでいたのではあるまいか。こう思うと同時に、岡田がどんな顔をしているか見たいような気がした。そこで重ねて声を掛けて見た。「君、邪魔をしに往っても好いかい」
「好いどころじゃない。実はさっき帰ってからぼんやりしていた所へ、君が隣りへ帰って来てがたがた云わせたので、奮って明かりでも附けようと云う気になったのだ」こん度は声がはっきりしている。
僕はろうかに出て、机に肘を衝いて、暗い外の方を見ている。竪に鉄の棒を打ち付けた窓で、その外には犬走りに植えたひのきが二三本埃を浴びて立っているのである。
岡田は僕の方へ振り向いて云った。「きょうも又妙にむしむしするじゃないか。僕の所には蚊が二三匹いてうるさくてしようがない」
僕は岡田の机の横の方に胡座を掻いた。「そうだねえ。僕の親父は二百十日のなし崩しと称している」
「ふん。二百十日のなし崩しとは面白いねえ。なる程そうかも知れないよ。僕は空が曇ったり晴れたりしているもんだから、出ようかどうしようかと思って、とうとう午前の間中寝転んで、君に借りた金瓶梅を読んでいたのだ。それから頭がぼうっとして来たので、午飯を食ってからぶらぶら出掛けると、妙な事に出逢ってねえ」岡田は僕の顔を見ずに、窓の方へ向いてこう云った。
「どんな事だい」
「蛇退治を遣ったのだ」岡田は僕の方へ顔を向けた。
「美人をでも助けたのじゃないか」
「いや。助けたのは鳥だがね、美人にも関係しているのだよ」
「それは面白い。話して聞かせ給え」
岡田はこんな話をした。
雲が慌ただしく飛んで、物狂おしい風が一吹二吹衝突的に起こって、街の塵を巻き上げては又やむ午過ぎに、半日読んだ中国小説に頭を痛めた岡田は、どこへ往くと云う当てもなしに、上条の家を出て、習慣に任せて無縁坂の方へ曲がった。頭はぼんやりしていた。一体中国小説はどれでもそうだが、中にも金瓶梅は平穏な叙事が十枚か二十枚かあると思うと、約束したように怪しからん事が書いてある。
「あんな本を読んだ跡だからねえ、僕はさぞ馬鹿げた顔をして歩いていただろうと思うよ」と、岡田は云った。
暫くして右側が岩崎の屋敷の石垣になって、道が爪先下がりになつた頃、左側に人立ちのしているのに気が附いた。それが丁度いつも自分の殊更に見て通る家の前であったが、その事だけは岡田が話す時打ち明けずにしまった。集まっているのは女ばかりで、十人ばかりもいただろう。大半は小娘ばかりだから、小鳥の囀るように何やら言って騒いでいる。なかには三角がお玉に鳥をあげるように頼んだ彼の知り合いもいる。岡田は何事も弁えず、又それを知ろうと云う好奇心を起こす暇もなく、今まで道の真ん中を歩いていた足を二三歩その方へ向けた。
大勢の女の目が只一つの物に集中しているので、岡田はその視線を辿ってこの騒ぎの元を見付けた。それはそこの家の格子窓の上に吊してある鳥籠である。女共の騒ぐのも無理は無い。岡田もその籠の中の様子を見て驚いた。鳥はばたばた羽ばたきをして、啼きながら狭い籠の中を飛び回っている。何物が鳥に不安を与えているのと思って好く見れば、大きい青大将が首を籠の中に入れているのである。頭を楔のように細い竹と竹との間に押し込んだものと見えて、籠は一寸見たところでは破れてはいない。蛇は自分の体の大きさの入り口を開けて首を入れたのである。岡田はよく見ようと思って二三歩進んだ。小娘共の肩を並べている背後に立つようになつたのである。小娘共は言い合わせたように岡田を救助者として迎える気になったらしく、道を開いて岡田を前へ出した。岡田はこの時又新しい事実を発見した。それは鳥が一羽ではないと云うことである。羽ばたきをして逃げ回っている鳥の外に、同じ羽色の鳥が今一羽もう蛇に銜えられている。片方の羽の全部を口に含まれているに過ぎないのに、恐怖のためか死んだようになって、一方の羽をぐったりと垂れて、体が綿のようになっている。
この時家の主人らしい稍年上の女が、慌ただしげに、しかも遠慮らしく岡田に物を言った。蛇をどうかしてくれるわけには行くまいかと云うのである。「お隣へお為事のお稽古に来ていらっしゃる皆さんが、すぐに大勢でいらっしゃって下すったのですが、どうも女の手ではどうする事も出来ませんでございます」と女は言い足した。小娘の中の一人が、「この方が鳥の騒ぐのを聞いて、障子を開けて見て、蛇を見附なすった時、きゃっと声を立てなすったもんですから、わたし共はお為事を置いて、皆出て来ましたが、本当にどうもいたすことが出来ませんの。お師匠さんはお留守ですが、いらっしゃったってお婆さんの方ですから駄目ですわ」と云った。師匠は日曜に休まずに一六に休むので、弟子が集まっていたのである。
この話をする時岡田は、「その主人の女と云うのがなかなかの別品なのだよ」と云った。しかし前から顔を見知っていて、通る度に挨拶をする女だとは云わなかった。
岡田は返辞をするより先に、籠の下へ近寄って蛇の様子を見た。籠は隣りの裁縫の師匠の家の方に寄せて、窓に吊してあって、蛇はこの家と隣家との間から、庇の下をつたって籠に狙い寄って首を挿し込んだのである。蛇の体は縄を掛けたように、庇の腕木を横切っていて、尾はまだ隅の柱のさきに隠れている。随分長い蛇である。いずれ草木の茂った加賀屋敷のどこかに住んでいたのがこの頃の気圧の変調を感じてさまよい出て、途中でこの籠の鳥を見附けたものだろう。岡田もどうしようかとちょいと迷った。女達がどうもすることの出来なかったのは無理も無いのである。
「何か刃物はありませんか」と岡田は云った。主人の女が一人の小娘に、「あの台所にある出刃を持ってお出で」と言い附けた。その娘は女中だったと見えて、稽古に隣りへ来ていると云う外の娘達と同じようなゆかたを着た上に紫のメリンスでくきけた襷を掛けていた。肴を切る包丁で蛇を切られては困るとでも思ったか、娘は抗議をするような目附きをして主人の顔を見た。「好いよ。お前の使うのは新しく買って遣るから」と主人が云った。娘は合点が行ったと見えて、駆けて内へ入って出刃包丁を取って来た。
岡田は待ち兼ねたようにそれを受け取って、穿いていた下駄を脱ぎ捨てて、肘掛け窓へ片足を掛けた。体操は彼の長技である。左の手はもう庇の腕木を握っている。岡田は包丁が新しくはあっても余り鋭利でないことを知っていたので、初めから一撃に切ろうとはしない。包丁で蛇の体を腕木に押し附けるようにして、ぐりぐりと刃を二三度前後に動かした。蛇の鱗の切れる時、硝子を砕くような手ごたえがした。この時蛇はもう羽を銜えていた鳥の頭を頬のうちに手繰り込んでいたが、体に重傷を負って、波の起伏のような運動をしながら、獲物を口から吐こうともせず、首を籠から抜こうともしなかった。岡田は手を弛めずに包丁を五六度も前後に動かしたかと思う時、鋭くもない刃がとうとう蛇を俎上の肉の如くに両断した。絶えず体に波を打たせていた蛇の下半身が、先ずばたりと麦門冬の植えてある雨垂落の上に落ちた。続いて上半身が這っていた窓の鴨居の上をはずれて、首を籠に挿し込んだままぶらりと下がった。鳥を半分銜えてふくらんだ頭が、弓なりに撓められて折れずにいた籠の竹に支えて抜けずにいるので、上半身の重みが籠に加わって、籠は四十五度位に傾いた。その中では生き残った一羽の鳥が、不思議に精力を消耗し尽くさずに、まだ羽ばたきをして飛び廻っているのである。
岡田は腕木に絡んでいた手を放して飛び降りた。女達はこの時まで一同息をつめて見ていたが、二三人はここまで見て裁縫の師匠の家に入ったが、三角の知り合いの娘はまだそこに立ち止まって、その様子を見ていた。「あの籠を卸して蛇の首を取らなくては」と云って、岡田は女主人の顔を見た。しかし蛇の半身がぶらりと下がって、切り口から黒ずんだ血がぼたぼた窓板の上に垂れているので、主人も女中も内に入って吊してある麻糸をはずす勇気がなかった。
その時「籠を卸して上げましょうか」と,とんきょうな声で云ったものがある。集まっている一同の目はその声の方に向いた。声の主は酒屋の小僧であった。岡田が蛇退治をしている間、寂しい日曜日の午後に無縁坂を通るものはなかったが、この小僧がひとり通り掛かって、括縄で縛った徳利と通い帳とをぶら下げたまま、蛇退治を見物していた。そのうち蛇の下半身が麦門冬の上に落ちので小僧は徳利も帳面も棄てて置いて、すぐに小石を拾って蛇の傷口を叩いて、叩く度にまだ死に切らない下半身が波を打つように動くのを眺めていたのである。
「そんなら小僧さん済みませんが」と女主人が頼んだ。小さい女中が格子戸から小僧を連れて内入った。間もなく窓に現れた小僧は万年青の鉢の置いてある窓板の上に登って、一しょう懸命背伸びをして籠を吊してある麻糸を釘からはずした。そして女中が受け取ってくれぬので、小僧は籠を持ったまま窓板から降りて、戸口に廻って外へ出た。
岡田は小僧の持って出た籠をのぞいて見た。一羽の鳥は止まり木に止まって、ぶるぶるふるえている。蛇に銜えられた鳥の体は半分以上口の中に入っている。蛇は体を切られつつも、最後の瞬間まで鳥を呑もうとしていたのである。
小僧は岡田の顔を見て、「蛇を取りましょうか」と云った。「うん、取るのは好いが、首を籠の真ん中の所まで持ち上げて抜くようにしないと、まだ折れていない竹が折れるよ」と、岡田は笑いながら云った。小僧は旨く首を抜き出して、指先で鳥の尻を引っ張って見て、「死んでも放しやあがらない」と云った。この時まで残っていた裁縫の弟子達は、三角の知り合いも含めて、もう見る物が無いと思ったか、揃って隣りの家の格子戸の内に入った。
「さあ僕もそろそろお暇をしましょう」と云って、岡田があたり見回した。
女主人はうっとりと何か物を考えているらしく見えたが、この詞を聞いて、岡田の方を見た。そして何か言いそうにして躊躇して、目を脇へそらした。それと同時に女は岡田の手に少し血の附いているのを見附けた。「あら、あなたお手がよごれていますわ」と云って、女中を呼んで上がり口へ手水盥を持って来させた。岡田はこの話しをする時女の態度を細かには言わなかったが、「ほんの少しばかり小指の所に血の附いていたのを、よく女が見附けたと、僕は思ったよ」と云った。
岡田が手を洗っている最中に、それまで蛇ののどから鳥の死骸を引き出そうとしていた小僧が、「やあ大変」と叫んだ。
新しい手拭きの畳んだのを持って、岡田の側に立っている女主人が開けたままにしてある格子戸に片手を掛けて外を覗いて、「小僧さん、何」と云った。
小僧は手をひろげて鳥籠を押さえていながら、「も少しで蛇が首を入れた穴から、生きている分の鳥が逃げる所でした」と云った。岡田は手を洗ってしまって、女のわたした手拭きでふきつつ、「その手を放さずにいるのだぞ」と小僧に言った。そし何かしつかりとした糸のようなものがあるなら貰いたい、鳥が籠の穴から出ないようにするのだと云った。
女はちょっと考えて、「あの元結いではいかがでございましょう」と云った。
「結構です」と岡田が云った。
女主人は女中に言い附けて、鏡台の抽斗から元結いを出して来させた。岡田はそれを受け取って、鳥籠の竹の折れた跡に縦横に結びつけた。
「先ず僕の為事はこの位でおしまいでしょうね」と云って、岡田は戸口を出た。
女主人は「どうもまことに」と、さも窮したように云って、跡から附いて出た。
岡田は小僧に声を掛けた。「小僧さん、御苦労序でにその蛇を棄ててくれないか」
「ええ。坂下のどぶの深い処へ棄てましょう。どこかに縄は無いかなあ」こう云って小僧はあたりを見廻した。
「縄はあるから上げますよ。それにちょっと待っていて下さいな」女主人は女中に何か言い附けている。
その隙に岡田は「さようなら」と云って、跡を見ずに坂を降りた。
ここまで話してしまった岡田は僕の顔を見て、「ねえ、君、美人の為とは云いながら、僕は随分働いただろう」と云った。
「うん。女のために蛇を殺すと云うのは、神話めいていて面白いが、どうもその話しはそれきりでは済みそうにないね」僕は正直に心に思う通りを言った。
「馬鹿を言い給え、未完の物なら、発表しはしないよ」岡田がこう云ったのも、嬌飾して言ったわけではなかったらしい。しかし仮にそれきりで済む物として、幾らか残り惜しく思う位の事はあつたのだろう。
僕は岡田の話を聞いて、単に神話らしいと云ったが、実は今一つすぐに胸に浮かんだ事のあるのを隠していた。それは金瓶梅を読みさして出た岡田が、金蓮に逢ったのではないかと思ったのである。
しかし女に近づきたいと思って鳥を贈った三角こそ、いい面の皮である。竜に捕まった姫君を救う騎士の役をやりたいと願いながらその役を岡田にゆずり、その手伝いまでしているからである。さしずめ宮廷の道化と云う役回りか。
岡田に蛇を殺して貰った日の事である。お玉はこれまで目で会釈をした事しか無い岡田と親しく話しをした為に、自分の心持ちが、我ながら驚く程急激に変化して来たのを感じた。女には欲しいとは思いつつも買おうとまでは思わぬ品物がある。そう云う時計だとか指輪だとかが、硝子窓の裏に飾ってある店を、女はそこを通る度に覗いて行く。わざわざその店の前に往こうとまではしない。何か外の用事でそこの前を通り過ぎることになると、きっと覗いて見るのである。欲しいと云う望みと、それを買うことは所詮企て及ばぬと云う諦めとが一つになって、或る痛切で無い、微かな、甘い感傷的情緒が生じている。女はそれを味わうことを楽しみにしている。それとは違って、女が買おうと思う品物はその女に強烈な苦痛を感ぜさせる。女は落ち着いていられぬほどその品物に悩まされる。縦い幾日かお待てば容易く手に入ると知っても、それを待つ余裕が無い。女は暑さをも寒さをも夜闇をも雨雪をも厭わずに、衝動的に思い立って、それを買いに往くことがある。万引きなんと云うことをする女も、別に変わった木で刻まれたものでは無い。只この欲しい物と買いたい物との境界がぼやけてしまった女たるに過ぎない。岡田はお玉のためには、これまで只欲しい物であったが、今や忽ち変じて買いたいものになったのである。
お玉は小鳥を助けて貰ったのを縁に、どうにかして岡田に近寄りたいと思った。もちろんその小鳥を貰ったのが三角だと云うことはとうに頭の中から払拭されている。その計画の骨組みの中には、三角の痕跡は少しも残していない。最初に考えたのは、何か品物を梅に持たせて礼に遣ろうかと云うことである。さて、品物は何にしようか、藤村の田舎饅頭でも買って遣ろうか。それでは余り智慧が無さ過ぎる。世間並みの事、誰でもしそうな事になってしまう。そんならと云って、小切れで肘衝きでも縫って上げたら、岡田さんにはおぼこ娘の恋のようで可笑しいと思われよう。どうも思い附きが無い。さては品物は何か工夫が附いたとして、それをつい梅に持たせて遣ったものだろうか。名刺はこないだ仲町で拵えさせたのがあるが、それを添えただけでは、物足らない。ちょっと一筆書いて遣りたい。さあ困った。学校は尋常科が済むと下がってしまって、それからは手習いをする暇も無かったので、自分には満足な手紙は書けない。無論あの御殿奉公をしたと云うお隣のお師匠さんに頼めばわけは無い。しかしそれは厭だ。手紙には何も人に言われぬような事を書く積もりではないが、とにかく岡田さんに手紙を遣ると云うことを誰にも知らせたくない。まあ、どうしたものだろう。
翌日になった。この日は岡田が散歩に出なかったか、それともこっちで見はずしたか、お玉は恋しい顔を見ることが出来なかった。その次の日は岡田が又いつものように窓の外を通った。窓の方をちょいと見て通り過ぎたが、内が暗いのでお玉と顔を見合わせることが出来なかった。その又次の日は、いつも岡田の通る時刻になると、お玉が草帚を持ち出して、格別五味も無い格子戸の内を丁寧に掃除して、自分の穿いている雪踏の外、只一足しか出して無い駒下駄を、右に置いたり、左に置いたりしていた。「あら、わたしが掃きますわ」と云って、台所から出た梅を「好いよ、お前は煮物を見ていておくれ、わたし用が無いからしているのだよ」と云って追い返した。そこへ丁度岡田がせ通り掛かって、帽を脱いで会釈をした。お玉は帚を持ったまま顔を真っ赤にして棒立ちに立っていたが、何も言うことが出来ずに、岡田を行き過ぎさせてしまった。お玉は手を焼いた火箸をほうり出すように帚を棄てて、雪踏を脱いで急いで上がった。
お玉は箱火鉢の傍へすわって、火をいじりながら思った。まあ、私はなんと云う馬鹿だろう。きょうのような涼しい日には、もう窓を開けて覗いていては可笑しいと思って、余計な掃除の真似なんぞをして、折角待っていた癖に、いざと云う場になると、なんにも云うことが出来なかった。檀那の前では間の悪いような風はしていても、言おうとさえ思えば、どんな事でも言われぬことは無い。それに岡田さんにはなぜ声が掛けられなかったのだろう。あんなにお世話になったのだから、お礼を言うのは当たり前だ。それがきょう言われぬようでは、あの方に物を言う折りは無くなってしまうかも知れない。梅を使いにして何か持たせて上げようと思っても、それは出来ず、お目に掛かっても、物を言うことが出来なくては、どうにも為様がなくなってしまう。一体わたしはあの時なぜ声が出なかったのだろう。そう、そう。あの時わたしはたしかに物を言おうとした。唯何と云って好いか分からなかったのだ。「岡田さん」と馴れ馴れしく呼び掛けることは出来ない。そんならと云って、顔を見合わせて「もしもし」とも云いにくい。ほんにこう思って見ると、あの時まごまごしたのも無理はない。こうしてゆっくり考えて見てさえ、なんと云って好いのか分からないのだもの。いや、いや。こんな事を思うのはやっぱりわたしが馬鹿なのだ。声なんぞを掛けるには及ばない。すぐに外へ駆け出せば好かったのだ。そうしたら岡田さんが足を駐めたに違いない。足さえ駐めて貰えば、「あの、こないだは飛んだ事でお世話様になりまして」とでも、なんとでも云うことが出来たのだ。お玉はこんな事を考えて火をいじっているうちに、鉄瓶の蓋が跳り出したので、湯気を漏らすように蓋を切った。
それからはお玉は自分で物を言おうか、使いを遣ろうかと二様に工夫を凝らしはじめた。そのうち夕方は次第に涼しくなって、窓の障子は開けていにくい。庭の掃除はこれまで朝一度に極まっていたのに、こないだの事があってからは、梅が朝晩に掃除をするので、これも手が出しにくい。お玉は湯に往く時刻を遅くして、途中で岡田に逢おうとしたが、坂下の湯屋までの道は余り近いので、なかなか逢うことが出来なかった。又使いを遣ると云うことも、日数が立てば立つ程出来にくくなった。
そこでお玉は一時こんな事を思って、無理に諦めを附けていた。わたしはあれきり岡田さんにお礼を言わないでいる。言わなくては済まぬお礼が言わずにあって見れば、わたしは岡田さんのしてくれた事を恩に被ている。このわたしが恩に被ていると云うことは岡田さんには分かっている筈である。こうなつているのが、却って下手にお礼をしてしまったより好いかも知れぬと思ったのである。
しかしお玉はその恩に被ていると云うことを端緒にして、一刻も早く岡田に近づいて見たい、唯その方法手段が得られぬので、日々人知れず腐心している。
お玉の乙女心を読み違えている三角はねじりはちまきをして、煮えたぎった油の鍋の前に立っていた。三角は、中国人留学生、陳くんの紹介によって、揚げ物屋をやっている中国人の協力を得て、彼が住んでいる向島にある彼の掘っ建て小屋のような倉庫で竹筒蕎麦の生産を始めていた。畳で云えば六畳くらいの大きさしかない倉庫の中では三角と中国人が竹筒蕎麦をその道具や材料に囲まれながら作っていた。最初の三角の発想では日本蕎麦を冷凍乾燥してから油で揚げていたのだが、蕎麦粉と小麦粉の割合を適当なものにして、さらに鉢で練るときの手加減の仕方でグルテンと云う蛋白質の量を調整することによって、直接、油で揚げても、お湯で戻すことの出来る乾燥麺を作れることを発見していた。そしてその製法を取り始めた。三角は長い柄の先に鉄製の網のついた、水切り笊のその柄の中程を握っている。前の方に金網がついていることと、長い柄がついているのでそこいらのところを持たなければ重心がとれない。これは日本にはないものだ。一緒に働いている中国人が中国からとり寄せたものである。三角の横には丼一杯分にまとめられた蕎麦玉が整然と台の上に置いてある。三角は水切り笊の柄の中程を持つと網の中に日本蕎麦を一玉取って入れた。それから柄の端を持って煮えたぎった油の中に笊ごと生の蕎麦を入れると蕎麦から出た水蒸気が油の中で無数の泡となって油の鍋の上から出て行く。川の中で水の流れに身をまかせている水草の葉の表面についている空気の水玉のようなゼリーのような透明感を持った蒸気の泡が出ていく。蒸気の出る量が収まったところで笊を油の中から取り出すと、燕の巣のような、油で揚がった日本蕎麦が出て来る、それを木の箱の中に入れた。そして木の箱の中にはすでに油で揚がっている蕎麦玉が十個くらい入っている。倉庫の壁際にはこれから使う孟宗竹を横に切った竹筒が沢山並んでいる。その竹筒の中に油で揚げた日本蕎麦と粉末になった中華スープを入れる段取りである。油鍋のある竈の隣りには、やはり火の焚かれている竈が置かれていて、中国人が中華スープを煮詰めている。中華料理のにおいが鍋から出ている。この中華スープがある程度煮詰まったら、今度は天日干しにしてスープを粉末にするのだ。油で揚げられた日本蕎麦とこの粉末スープを横に切った孟宗竹の中に入れて上から油紙で蓋をすれば三角の考案した竹筒蕎麦は完成する。この倉庫の片隅にはすでに完成している竹筒蕎麦が十個くらい置かれていた。
「三角さん、これを日本の兵隊さんに送るつもりですか」
一緒に働いている中国人が変なイントネーションで三角に聞いて来る。
「これを売ろうかと思っているんだ」
三角が掲げていた高邁な理想はいつの間にか影を潜めていた。どこにあいているのかわからない小さな穴によって空気が漏れだしてしぼんでしまった。天下国家を論じていた壮士がその社会的関心の円の範囲をロシア、日本から大部縮小させて、湯島切り通しの無縁坂のあたりに半径を縮めていた。
「三角さん、よくないよ。日本はロシアに占領されてしまうよ。わたしの国みたいになっちゃうよ」
「そんなことは日本の官吏が考えればいいことさ」
三角は投げやりに答えた。
(小見出し)乾燥蕎麦
「桜痴居士も廉潔じゃないと云うよ。政治家として日本の言論界を牽引している福地源一郎がしてそうだよ。僕にはもっと関心のあるものがある」
「わたし、福地源一郎と云われても誰のことかわからない」
三角と云うこの貧乏な医学生が国や自分の同胞のことを思う気持ちははなはだ脆弱だと云わなければならない。それはただ三角だけに責任をとることは出来ないかも知れない。西洋列強の圧力から脱しようとしていた日本人や日本のすべてが少し工業化を果たしただけで植民地支配に乗り出したからだ。彼の天下国家を論ずる気持ちを奪い去ろうとしつつあるものはお玉の手紙である。いや、お玉から来ただろうと思っているが、その実、父親がお玉だと騙って出した手紙である。半紙にして数枚のその手紙が三角の気持をまったくなえさせてしまった。今までシベリヤに出兵する兵隊たちに食べさせるのだと自分に語った三角の気持をである。それが脆弱だったのか、または地面の下に伸びていく地下茎が全く、はっていなかったのか、地面の下には何もなく、地上に頭でっかちの草葉を繁らせていたのか、そうでなければこの三角の部屋に出入りしているお題目に対してもう一つ無関係なものの閉める割合が大きくなってしまったのかも知れない。故郷にいた頃から、食べ物に関しての本は買いそろえ、資料を集めていたりしていたが、それも新しい非常食を作ることに最初から大志を抱いていたからと云うわけではなかった、そもそもきわめて学問的なものだった。それが愛国心と結びつき、異国の地に行くであろうと云う兵隊に竹筒蕎麦を送ることになったが、その原因はロシアへの留学だった。それからの変化はお玉への変な期待である。
    九
三角の出身は少し変わっている。維新に貢献した国ではあったが、明治政府に参画して権勢を欲しいままにすると云う立場にはなかった。丁度それらの国のあいだにはさまれていると云うような故郷だった。反観合一を標榜する三浦梅園の玄語、贅語、敢語の梅園三語を若い頃、読んでいた。三角がものごころの附く頃には明治政府の主要な地位は薩摩と長州の出身者に占められていたから、彼は技術を持って身を立てるしかないと思い、梅園の影響で天文などの科学に興味を持っていた彼は科学の中でも一番EXACTを生命にしている医学を専攻することにした。しかし、ここが少し、変わっているのは、動物を専攻したことである。三角の故郷出身には河原猫造という明治政府の官吏がいて、ニコライ二世の隠された真意を探り出すためにロシア語を少しかじっている三角に白羽の矢がたち、三角はロシア宮廷に渡った。長い船旅と陸路の旅を組み合わせて、宮殿に辿り着いた三角を待っていたのは、圧倒的な光の量の差だった。日本人は奥ゆかしさに美を求める。こぶりな茶碗の底に宇宙を求めたりする。安土桃山時代ならいざ知らず、鎌倉時代以降、質素倹約の中に美の調和を求めたものだ。近世になって金色の巨大な大仏を作ろうと云う為政者が潮流になったと云う話は聞いたことがない。三角は光を抑えた、小ぶりな美意識な世界に囲まれて生きてきた。それがロシア宮廷に入ったとたん光の洪水が溢れて来たのである。今までふれたことのないものが眼前にせまって圧倒された。光こそ、生命と神を現世の幸福のすべてを具現していると解釈しているのか、美術品にはすべて金が粉飾されていてそれが、富の象徴だと思っているのかも知れない。金という金属が特別な光を発して、その光の力で見る人間をひれ伏させようとしているようだった。絵もそうだった。日本の絵は描かない空間を作ったり、線を単純化することによってその精神性を現そうとしたりするが、ロシアの宮廷に飾られていたりするその絵は絵の具を何度も塗り重ね、細部まで描くことによって、その世界の多重性や実在性を平面上に具現しているようだった。そんな力技で三角はぐいぐいと押し付けられた。しかし、三角はそれらの格闘の中で気に入った絵があった。それはギリシヤ神話に題材をとった絵で岩につながれた姫を空を飛ぶ剣士が救いに来る図柄だった。その背景には大きな沼と呼んだほうが良いような湖が広がっている。西洋にはこういう図柄の絵がたくさんあるらしい。三角がそれらの中でこれを気にいった理由は、姫を捕まえている竜が東洋と同じような蛇が進化したような形をしているのに、海竜と云ってもいいような三角の頭部をした竜が湖から頭だけを出していることによった。その三角の頭部をした竜を三角はどこかで見たことがあるような気がした。制作者の名前を見るとテイッアーノと書かれている。また三角はその空を飛ぶ剣士に自分の姿を重ねていたのかも知れない。しかし、そのときにはとらわれの姫君が誰なのかは三角自身にも分からなかった。
皇帝ニコライ二世が日本人に対して敵意を持っているのは明らかだった。後年、大津事件が起こったのはその政治的原因を除外視しても明らかだった。ここで三角がニコライ二世に対して、さらにロシアに対して、その戦争の準備として、竹筒蕎麦の開発を思いいたるに至った個人的な理由について述べることは留まっておこう。ただ公的なもっともな理由として、日本語の講義を行おうとした三角は皇帝の執務室の扉が少し開いていた。その隙間から中を見た三角は皇帝が極東の地図をひろげて、ロシアの旗をたててほくそ笑んでいたのを何度も見ている。それから、会話の勉強中にニコライ二世は京都の金閣寺の話しになり、その建物が屋根から壁から全部、金の箔でふかれていることに大きな興味を持っているようだった。皇帝は木製の仏像の中に金で作った小型の仏像を入れることがあると云う話しにも興味をそそられているようだった。それから日本の周囲の港が氷でとざさせることもないと云う話しにも耳をそばだてた。三角は内心、ニコライ二世の隠された意図を完全につかんだが、それとは悟られないように屈辱を忍びながらロシアでの宮廷生活をきり上げて、日本に戻ると、来るべきロシアとの戦争に備えて、非常食の開発のために蕎麦屋通いを始めたのだ。日本に戻った三角はロシアとの関係は完全に切れたと思っていたのだが、ペテルスブルグから皇帝直属三部、つまりデカブリストの乱を平定したニコライ一世の創始した秘密警察の一員が三角を監視するために日本に来ていたのである。それは宮廷で暗躍していた怪僧ラスプーチンの入れ知恵でもあった。
買い物に行かせていた、十三になる小女の梅が無縁坂のお玉の内に戻って来るなり、玄関に走ってあがって来た。
「梅、内の中を走るもんじゃないわよ」
お玉は梅をたしなめた。周囲から陽に貶められ、陰に羨まれる妾と云うものの苦しさを知って、一種の世間を馬鹿にしたような気象を養成して、少し擬態を身につけていたお玉であったから全く暗闇の中、海の底に潜んで暮らそうと思っているわけではないが、静かに暮らそうという生活信条を身につけている。それはお玉の信条と云うよりも、妾と云ってもまだ十代の娘である、どんな悲しいさがを背負っていても、春の日差しのようなものは発している。複雑な境遇に身を置いているが、十九才のまだ若い娘である。ほとんどすべてのことは現実と屹立しているが、一つだけ夢の世界に生きている。その夢の世界が一部、現実味をおびている。ただ欲しいものと思っていた岡田と紅雀を介在して話を交わす間がらになって買いたいものとなったからである。梅を銀座で開かれている勧工場に自分の新しい半襟を買わせにやった。
「新しい生地で作った半襟はあったかい」
梅はそれよりも重要な用事を持っていた。
「岡田さんについて、いい話しを聞きましたよ」
まだ幼い梅だったが、お玉が岡田に淡い恋心を抱いていると云うことはなんとなく理解していた。お玉が岡田の名前の出て来る話を聞くと喜んだり、またまじめな顔になったりするからである。お玉は耳をそばだてた。お玉は梅がはじめに小女として内に来たときは、旦那に自分のことがどう伝わるかと心配して何も悟られないようにしようと注意していたのだが、末造が因業な金貸しで、そのために魚屋のお上さんから、魚を売って貰えなかったりしたことで、内心、お玉の味方になったりしていた。大人の世界の込み入った恋の世界のことはわからなかったが、お玉が岡田の話を聞けば喜ぶということは分かっていたのである。
「勧工場で品物を売っている人に聞いたんですが、岡田さんはときどき、やって来て、西洋の人が競漕に乗るとき着る服をときどき見ているそうですよ」
お玉は岡田がボートに乗ると云うことを知らなかった。岡田は大鉄槌伝を全部暗唱出来て、そう云った武芸伝を好むと云うことをもちろん知るはずがないだろう。
「競漕の選手かと聞いたら、競漕の選手だと答えたそうですよ」
しかしお玉は岡田が体操の長技を見せて蛇退治のとき庇の腕木にぶら下がったことを思い出した。お玉はその競漕の衣装を買って岡田に渡そうかと思った。末造がこうもり傘を買ってくれた。こうもり傘とその衣装を比べたら、いくらなんでもこうもり傘の方が高いだろう。こうもり傘をなくしたと云って末造からお金を貰おうか、そのお金でその衣装を買おうか、しかし、末造から貰った金で岡田への贈り物を買うのはいやだ。岡田はどのくらい、その衣装を欲しがっているのだろうか、岡田がその衣装を欲しいと思う気持ちに従って、もし、自分がその贈り物をしたときの岡田の喜びかたは違うだろう。でも、なんと話しを切り出したらいいだろう。この前は困っているところを助けていただいてありがとうございました。岡田さんとおっしゃるのですね。隣りの裁縫のお師匠さんが岡田さんの名前を知っていたんです。それで競漕をなさっていると聞いて、岡田さんに合うかわからないんですが、西洋からきた競漕の衣装を買ったんです。これを来ていただけますか。お玉の想像はつぎつぎと広がって行ったが、それから、そのさきをどうしよう、そのあとはどうなるだろうと云う夢の展開はなかった。ただその一点である感情が高まって心の中がいっぱいになってしまう。岡田と顔を合わせて話しをしていると云う場面でである。ただ同じところをぐるぐると廻って、甘美な渦をまいているだけだった。とうとう次の日にお玉は勧工場にその衣装を見に行くことにした。それを買うための金ももたずにである。梅には池の端にある父親の内を尋ねると云う言い訳を云っておいた。無縁坂の小家から不忍の池の東を通って池の端の裏通りを抜けて銀座に行くと外国人が経営しているマーナー商会と云う洋館があった。その隣りの隣りは越後屋呉服店になっている。マーナー商会は日本で作っていない洋服を西洋から輸入していた。一階に商品が通りがかりの通行人も見ることが出来るようにその競漕選手の着る蜜柑色の服が展示されている。梅の云ったとおり、ガラスの棚の中に蜜柑の色で染められた西洋の競漕選手が着る衣装が飾られていた。そこでもまたお玉は梅からその衣装の存在をはじめに聞いたときと同じように岡田を中心とした夢の中にいることが出来た。この服を買ったら、岡田さんが散歩に通るときに渡すように待っていよう。そのときの岡田の笑顔が想像の世界を超えた実在の世界の想像物として強い現実性を帯びてお玉の眼前にあった。そこからお玉は池之端の父親のうちに立ち寄って家に戻ろうかと思ったが、以前住んでいた西鳥越にちょっと立ち寄ってみようかと思った。ちょうど住んでいた長屋の裏手に柳盛座があって、隣りは車屋だったが、その芝居小屋がどうなっているのか、ふと思い立って知りたくなったからだ。小半時歩いて柳盛座に着き、芝居小屋の前に立つと以前とは少し様子が違っている。壮士芝居というのが最近、出来たと云うことを聞いたことがあるが、女壮士芝居と云うものを下総の住人で里山勝と云う女が始めたそうで、この芝居小屋で興行しているとその小屋の前で子守をしている小さな子供が教えてくれた。たしかに芝居小屋の中からかすかに女の声で声高に演説しているような声が聞こえる。そこに入ろうかどうかと迷っていると、近所の隠居と云ってもいいような老人がお玉のそばに寄って来て、一部の国民にしか選挙権のないことに抗議して壮士芝居と云うものが出来たが、さらに婦人の参政権を求めて女壮士芝居と云うものがここで行われているので、ためしに見てみたらと云うのでお玉は思い切ってそこに入ってみることにした。中に入るとかすかに聞こえていた女壮士の語る詞がはっきりと聞こえる。小屋の中は客は半分くらいしかいなかったが小屋のうしろの方には巡査がひとり立って舞台と観客の方を威圧している。お玉は客席の中程に履き物を脱いで手拭いを下に敷いて座ると舞台の方に目をやった。舞台の中央では目玉のぐりぐりとした山に住む古狸のような女が八犬伝の犬塚志乃の格好をして仇討ちをすると云う筋書きであったが、ところどころに自分たちの政治的主張をくわえていて、そこの部分になると、とくに大久保利通や伊藤博文の批判になると観客は手を打ってよろこぶ。随分と僕らは世の中に馬鹿にされていた。犬塚志乃が舞台の上でそう云うとお玉の心の芯の方でがちりとぶつかるようなものがあった。さらに里山勝は古代、女性は太陽であったと平塚らいちょうを先取りして叫ぶと胸の奥の方で無理矢理に強く揺さぶられるようなものがあった。父親と話しているとき「わたくしこれで段々えらくなってよ。これからは人に馬鹿にせられてばかりはいない積もりなの。豪気でしょう」と云ったことがある。そのとき父親は自分に矛先が向けられたように感じたものだが、巡査に騙されて巡査を入り婿にとらされたこと、めかけとなった相手が実業家ではなく、人に嫌われる金貸しであったと云うこと、自分は騙されてばかりいた。それが男に対する矛先だと云うことに解釈して、父親がそう云う印象を抱いたとすればあまりにも解釈を狭めすぎているだろう。父親は「うん。己は随分人に馬鹿にせられ通しに馬鹿にせられて、世の中を渡ったものだ。だがな、人を騙すよりは、人に騙されている方が、気が安い。なんの商売をしても、人に不義理をしないように、恩になった人を大事にするようにしなくてはならないぜ」
それに対してお玉は「大丈夫よ。お父っさんがいつも、たあ坊は正直だからとそう云ったでしょう。わたくし全く正直なの。ですけれど、この頃つくづくそう思ってよ。もう人に騙されることだけは、御免を蒙りたいわ。わたくし嘘を衝いたり、人を騙したりなんかしない代わりには、人に騙されもしない積もりにの」と答えたことがあった。お玉は賢くなりたいと思った。しかし、その偉くなると云う基準は誰にも騙されない賢い人間になると云うことだった。それが、一挙に自分の地位を向上させて、古代には女性は太陽だったと宣言までしていたから、お玉をひどく感激させた。お玉が無縁坂の自分の内に帰って入り口の格子戸から御影石を塗り込んだ敲きの庭まで、来ると、若い娘たちのざわめく声が家の中から聞こえた。隣りの裁縫の師匠の家に来ている娘たちが自分の内に上がり込んでいると云うことがその声からお玉には分かった。
「梅がかつてに内に上げたんだわ。旦那が来たらどうするつもりかしら」お玉は内心、いらいらしたが玄関に上がると娘たちが車座になって座っている中で梅がお玉が帰って来たのに気がついて振り向いた。
「隣りの裁縫のお師匠の家に来ている娘さんたちが念のために来てくれているんです」まだ子どもの梅は至極当然だと云う表情をしてお玉に云ったが、不審気な表情をしているお玉を見て説明をしなければと云うつもりになって口の端にその意思が現れた。梅の話しによると、お玉が出掛けてから、台所で桶の中にきゅうりや茄子を入れて浅漬けを作っていて、いつものように格子戸の外側を掃除をするために漬け物をそのままにして外に出て、帚で御影石の踏み石を掃いていると、台所のある裏口から、誰かが入って来る気配を感じた。梅はすぐに台所へ行くと犬が桶の中に首を突っ込んで漬け物を食べていた。梅は帚を持って犬を追い払おうとしたが、野良犬は桶をくわえたまま、表に飛び出したそうである。梅の騒ぐ声を聞いて六の日で、お師匠さんがいないままで、集まっていたお弟子さんたちも表に飛び出して来て、野良犬を囲んだそうである。その中の一人に佃から来ている娘さんがいて、野良犬に干物を盗まれることがよくあって、犬を捕まえることになれていると云う娘さんがいた。炭俵を縛っている荒縄を持ち出して、犬を囲んだ娘たちはその荒縄で野良犬をぐるぐる巻きにするとその犬は腹を天に向いて、仰向いたので、娘さんたちはみんなそこらへんにあった木の棒を握って犬を叩き始めた。犬はきゃんきゃんと啼いたが、かまわなかった。するとそばにはえている大きなけやきの木の上の方で、何物かの陰を生じた。するとその陰は地上に降り立って倒れている犬の前に立ちはだかった。梅はすっかりとびっくりしたのだが、それは不忍の池の中で蓮の間を往き来しているような雁だった。雁は取り囲んでいる娘たちを一区切り見渡すと、梅に視線を固定した。梅の話しによると死んだように魂のない、機械のような目の力だったそうだ。「弱いものいじめはやめろ。徳川綱吉、柳沢吉保の元禄時代だったら、お前らは即刻、獄門、打ち首じゃぞ」雁は器用にくちばしをつかうと縛られていた犬の縄をほどき、犬は即座にむっくりと立ち上がると、娘達の円陣の間をかいくぐって逃げ出した。「また、来るであろう」雁は高らかに笑うと、羽をばだばたさせて不忍の池の方に向かって飛んでいったのだ。弟子たちはそのことでお玉の家に上がって話していたと云う話しだった。「また、あの雁は内に来るんでしょうか」梅は不機嫌に云った。その不機嫌な表情を見てお玉は漬け物と野良犬と云う関係ではなく、自分と雁の関係と云うことでこの事実を結びつけているのではないかと、ちらりと思った。「学生さんがお留守の間にこんなものを持って来ました」それは円空が彫ったあらえびすのようなもので、表面をつるつるになるまで磨きこんでいるらしくて、茶色とも紫とも言い難い色で光って、落ちくぼんだ目をして手に持ったお玉の方を見つめている。梅が学生が持って来たと云ったので、お玉は内心、岡田が持って来たのではないかと思った。「岡田さんじゃ、ありません。医科大学の学生さんで三角と云う人だそうです」その詞を聞いてお玉はがっかりとした。その岩の固まりのようなあらえびすは台所の片隅にほうり投げられた。その雁がお玉の前に姿を現したのはその四五日あとだった。
妾も旦那の家にいると、世間並みの保護の下に立っているが、囲い物には人の知らぬ苦労がある。お玉の内へも或る日印半纏を裏返して着た三十前後の男が来て、下総のもので国に帰るのだが、足を傷めて歩かれぬから、合力をしてくれと云った。十銭銀貨を紙に包んで、梅に持たせて出すと紙を明けて見て、「十銭ですかい」と云って、にやりと笑って、「大方間違いだろうから、聞いて見てくんねえ」と云いつつ投げ出した。
梅が真っ赤になって、それを拾ってはいる跡から、男は無遠慮に上がって来て、お玉の炭をついでいる箱火鉢の向こうに据わった。なんだか色々な事を言うが、取り留めた話しではない。監獄にいた時どうだとか云うことを幾度も云って、威張るかと思えば、泣き言を言っている。酒の匂いが胸の悪いほどするのである。
お玉はこわくて泣き出したいのを我慢して、その頃通用していた骨稗のような形の青い五十銭札を二枚、見ている前で出して紙に包んで、黙って男の手に渡した。すると汚れた顎髭をさすりながら、お玉のことを睨みながら、何とかのすくねとか、何百年も前の神さまのことを語り出した。「これで帰ってもらえないんですか」お玉が云うとさらにお玉が聞いたことのない名前を出して来て、どうも自分がそれらの固有名詞の持ち主と知り合いだと云っているらしかった。
横に据わっている梅がお玉の脇腹をつつくのでお玉は何事が起こっているのかと思った。台所の方から二足歩行の生き物が音も立てずにお玉のいる部屋に入って来た。流れ星のような胴体にうなぎのような首をつけた黒い闖入者は台所に面している裏口から入って来たようだった。ちょうど据わっているお玉と梅の後ろに羽をたたんで立っている姿はふたりの保護者のようだった。「三代前は」雁が男に云うと男は答えられなかった。「余は」雁がまたお玉には分からないような固有名詞を云うと、男は平伏した。雁は当然と云うような顔をして胸を反り返した。そして男はお玉の方を振り返ると「半助でも二枚ありゃあ結構だ、姉さん、お前さんは分かりの好い人だ、きっと出世しますよ」と云って、覚束ない足を踏み締めて帰った。
「何と云ったんです」
梅が聞くと雁はその事情を説明したが、お玉にはどういう事なのか、よく分からなかった。要するに三角形のヒエラルヒー構造をしている集団に男も雁も所属していて雁は男よりもはるかに高い地位に位置していると云うことを証明したのか、主張したと云うことらしかった。
「あなたは」お玉が聞くと雁は勝ち誇ったように胸をそらして、芝居気たっぷりに云った。その目はやはり生気が感じられず作り物のようだったが、その瞳の中には何らかの悪意と邪悪なものがないまぜになった意思は感じられた。
「余は再び来ると云ったであろう」
「わたくしにどんな用事でしょうか」
「ここではなんである、蓮玉庵へ行って話しをしよう」
梅はいかがわしいものを見る目つきで雁を見ていたが、外の空模様がおかしいと云うことこ感じていた。内の外から見上げる天気はどんよりとした空には雲が立ちこめていて、その空も灰色をしていて、雨粒を大量に含んでおり、重力との釣り合いがなくなればその水滴は降って来るからである。
「雨が降って来るかも知れません」
「いいのよ、梅、蛇の目をさして行くから、留守番をしていてちょうだい」
梅は自分の来ている着物の糸くずが気になっていて取りたくても取れないと云う表情をした。太田庵、藪蕎麦などの蕎麦屋の老舗がその頃上野にあったが、池の端の蓮玉庵はその頃名高かった蕎麦屋である。梅の云ったとおり、お玉と雁が外に出ると空の底のあたりから雨粒がぽたりぽたりと落ちて地上を濡らした。お玉が蛇の目を挿すとずうずうしくも雁はお玉の挿した傘の内に入った。蓮玉庵の入り口の木戸の横にはわざわざ富士山から取り寄せたと云うぶつぶつと多数の穴の開いた大きな溶岩の冷えたのが置かれており、その下には小さな池が作られていて、池の中では金魚が八の字を描いて泳いでいる。お玉は塗れた蛇の目の雨粒を入り口のところで払って、店の中に入ると、それよりさきに雁は中に入って、ひとり、勝手に席に据わっていた。「もりふたつとと銚子を二本」同じく、雁はお玉が何も言わないうちに注文を云った。お玉は傘をさしていたが少し濡れたので手拭いを出すと足下についた水気をぽんぽんと手拭いで拭いた。お玉の向かい側に据わった雁は羽を器用に動かすと品書きを眺めた。「いつも、食い物屋に入るとナイフもフォークも置いていないので困ってしまうよ」、まるで洋行帰りを自慢している役人のように。目を丸くしているお玉に忖度せずに、雁は羽の下のあたりをもぞもぞとすると卓の上に虞初新誌を投げ出した。それから紙をめくると、そこには大鉄槌伝の文章が載っている。もちろんお玉にはなんの符号かはわからない。それから何か取り出したのを見てお玉は目を見張った。蜜柑色の競漕選手の着る服を雁が取り出したからである。雁は相手の内心を見透かしたような精神的な優位に立った表情をしている。「それは」
「日本橋のマーナー商会で買ったと云うわけではありませんよ。国内勧業博に出品されたものです」
維新のときには上野の山の上の寛永寺の敷地で彰義隊の戦で焼けてしまって丸坊主になってしまった寺の境内がある。その場所で国内の産業の発展を育成する目的で三年前に開かれた官が肝いりで始めた国内勧業博覧会では、実業家や政府の役人、外国の貿易商しか招待されなかったので、長屋でつつましくくらしているお玉にはそこでどんなことがおこなわれたのかは行くことは出来なかったので知るはずがなかった。しかし、そこにイタリヤから輸入されたその蜜柑色をした競漕選手の衣装が展示されていた。雁はこの衣装がそこで展示されていたのだと云う。しかしその第一回の国内勧業博に出品された製品を持っていると云うことはどう云うことだろうかとお玉は思った。なにも知らない人が見れば、田舎から上京したおじさんを、丸髷を結った姪が蕎麦屋に蕎麦を食べにさそったと言うほほえましい光景に見えないこともなかったが、その姪の相手が懐から虞初新誌だとか輸入された洋服だとかを取り出して卓の上に並べている鳥類だったから冷静に見れば異常な状態だったが、感性ではそれが日常の生活のように感じられた。しかし卓の上には口にするものは銚子が二本しかのっていなくて殺風景だったので、雁は「お酒が来てもまだ、おとおしが来ていないよ。それに猪口をもう一つ持って来ておくれ」と小女に文句を言った。小女がしょうがの漬け物の小鉢に入れたのと、猪口を持って来たのを卓の上に置いたので、雁は羽を器用に動かすとお玉の前に猪口を置き、そこに酒を注いだ。濡れた雨の中を歩いて来たのでお玉の鬢のあたりは濡れていて、冷たい雨で下がった肌の表面のぬくもりが、店の中に入って、またあたたまって来たので、化粧をうっすらとしかしていないのに、輝いているお玉の肌の表面を、血液の流れがそのそこに流れて赤みをおびさせて、色気を発散させていた。人によっては平べったく見えると云われるかも知れないお玉の容貌をさらに美しく、花を添えている。一杯の猪口に入った酒を飲んだお玉の唇のあたりは少し憂いを含んで濡れていた。雁はそれを銀座のマーナー商会のショーウィンドーの前で蜜柑色の競漕選手の衣装を見ているときと同じだと思った。お玉の精神に何か滋養物を与えているなにものかがつねにお玉の心の中に作用していると云うことを知っている。彼独自の事前の調査でお玉が岡田とさらに、単なる散歩の途中での挨拶者としての関係からさらに深めて、お互いの何かの秘密を共有したいと思っていて、その蜜柑色の衣装がその鍵を握っている、そのお玉にとっての恋の道具になるかも知れないと云うことを知っている。雁は最初、お玉のことをいろいろと調べて知っていたが、銀座のある店の硝子戸棚の前でたたずんでいるお玉をちらりと最初に見たときは、この女のことを芸者かも知れないと云う印象を受けた。若し芸者なら、銀座にこの女程どこもかしこも揃って美しいのは、外にあるまいと、せわしい暇に判断した。しかし次の瞬間には、この女が芸者の持っている何物かを持っていないのに雁は気が附いた。その何物かは雁には名状することは出来ない。それを説明しようとすれば、態度の誇張とでも云おうか。芸者は着物を好い格好に着る。その好い格好は必ず幾分か誇張せられる。誇張せられるから、おとなしいと云う所が失われる。雁の目に何物かが無いと感ぜられたのは、この誇張である。
店の前の女は、傍を通り過ぎる誰やら不可解ななにものかが足を駐めたのを、殆ど意識せずに感じて、振り返って見たが、その通り過ぎる人の上に、なんの注意すべき点をも見出さなかったので、蝙蝠傘を少し内回転をさせた膝の間に寄せ掛けて、帯の間から出して持っていた、小さな蝦蟇口の中を、項を屈めて覗き込んだ。小さな銀貨を捜しているのである。そして蝦蟇口の中から銀貨を一枚取り出したが、ショーウインドーの中と見比べている。
店は銀座のマーナー商会であった。生麦事件の少しあとから、アレックス・マーナーと云う外国人が江戸幕府に出入りしていて、ワインの栓抜きやら、缶詰などのサンプルを輸入していたが、瓦解のあとは今度は明治政府に取り入って同じようなことをしていた。銀座に洋館を建てて、一階がショーウィンドーになっている。一銭蒸気が開業したときはコルクと木綿で出来たマーナー人形と云うのをたくさん配った。小女の梅もマーナー人形をひとつ持っている。店の前の女は別人でない。梅から岡田が競漕用の衣装を欲しがっていると聞いて、それを見に行ったお玉であった。
「あなたは何物なんですか。ただの不忍の池に住んでいる雁ではないんですか」
猪口についだ酒を器用に羽を使って口にすると、一気にのどの中に流し込んで、畜生のくせに生意気にもくうと云った。それから、身体の下の方から油挿しを取り出すと、足下に置き、右の方の羽で左の方の羽の付け根のあたりの羽毛をかき分けると、二重、三重に重なっている歯車が現れて、右の羽のさきで油挿しを取ると、そこに油を差した。
「毎日、一度は油を挿さなければならないんだ」
それから不敵ににやりと笑うと、「不忍の池の弁天島は仮の住まいと云うことだ。わしはここからはるか、北から来たのである。そこは男も女も平等で女が結婚相手を自由に選ぶことも出来れば、男が女を結婚相手に自由に選ぶことが出来る。女が貧乏のために親に売られることはないのだ。社会的な地位の差もなければ貧富の差もない、みんなが皆、自由で幸福なのだ。みんながあり余る富を持っているので他人を羨むこともない、泥棒は一人もいない。国民はひとりひとり、だいたいが百坪ぐらいの家に住んでいて、朝は蜂蜜を塗ったトーストと玉子料理、牛乳、酢漬けの野菜、昼はチーズに肉料理、砂糖をたっぶりと入れた紅茶それにワイン、果物を毎日食べたいだけ食べている。朝と昼でそれぐらいなのだから、夜はもって知るべきだろう。なにしろ毎日、国民はなんの憂いもなく暮らしているのだ」
「わたくし、なんの学問もしつけもなく、暮らしてまいりましたので、外国のことはさっぱりわかりませんの。本当かどうか信じられませんわ」
お玉が疑念を抱くのも、もっともだった。雁が来た国は皇帝が支配する、農奴が地主からしぼりとられ、社会的な軋轢のために年中、殺人事件が起きている国だからだ。雁の本名はイワノビッチ・ペドローフ、皇帝直属三部の一方の長だったのだ。もちろんイワノビッチ・ペドローフであるこの雁が上野の不忍の池に来たのは三角を追って来たからである。ロシアに留学していた三角の不審な行動は秘密警察の目にとまることになっていた。三角が来るべき、ロシアとの戦争に備えて竹筒蕎麦を開発していると云うことはロシアにとっては最大の驚異だった。三角を監視していると云うのも、この竹筒蕎麦の秘密を手に入れたいと思っていたからである。
「まず、虞初新誌に載っている、大鉄槌伝、これであるが、誰の愛読書であるか、わかるかな」お玉は卓の上に置かれたその本をじっと見つめていると、小女がもりを二人分、持って来た。あまり食い奢りのするお玉ではなく、菜などはなんでもいいと思っている方だから、これまでに蓮玉庵に入ったことなどなく、上野で名の高いこの蕎麦を見るのは始めてだった。「これは豪傑の話で、作者は中国、清初の文人の作である。宋将軍の食客で豪傑がいて大鉄槌で賊を討ったと云う話しだ。話しはそれだけだが、これが誰の本かわかるか」「だれですの」「上条と云う下宿に住んでいる医科大学の学生の岡田のものだ」岡田と聞いて、お玉の胸はときめいた。毎日無縁坂の自分の内の玄関の前に散歩の途中で通り過ぎて目で挨拶を交わす懐かしい人の名前だ。「それにこれ、競漕選手の衣装だ。これは岡田が欲しがっているものである。そのことはお前も知っているな」お玉は無言だった。「お前がマーナー商会のショーウィンドゥでこれと同じものを眺めていたのをわしは知っているのだ。お前が岡田に対して特別な感情を抱いていると云うことも、もちろん知っている。わしは岡田とは特別な知り合いなのだ。ひとつ、お前と岡田を結びつける縁結びの役をやってあげよう。さらに、お前と岡田が望むなら、わしの故郷の夢のような国でくらせるように手助けしてやっても好い。ふたりで船で三ヶ月も夢のような新妻としての旅行のあとにそこにたどり着けるのだぞ。ただし、それには条件がある。お前は上条の下宿に行くのだ。三角と云う学生を知っているか、岡田の隣りの部屋に住んでいる。お前は知らないかも知れないが、三角はお前にほれている。お前は三角を訪れるのだ。そして、三角の部屋の中に入って、三角の作った覚え書き、竹筒蕎麦製作の要点と云う小冊子をわしのところに持って来るのだ。わしはいつも不忍の池の弁天島でぷかぷかと浮かんでいる」
雁の詞を聞いたお玉の心の中には忽然として冒険と云う詞がうかんだ。恋と冒険と云う詞が解析出来ないような複雑怪奇な経路を結びつけて、繋がった。まだ固まっていないお玉の心の中で最近になって、小さな玉子のようなものが形を現して、じょじょに堅く、形を作っている。それがお玉の心にある張り合いを持たせて、ますますお玉を美しくしている。今まではただ子供のような肌をしていただけのお玉だったが、そこに感情による色合いがにじんできたのだった。無垢な精神に情愛と云うものが宿って来た。上条の下宿に女一人の身で上がって行く、なにものかわからない世界を切り開いていくような冒険心をお玉は感じた。その危険は恋の成就と云う目的のための犠牲である。上条の下宿に乗り込んで行く自分の姿を想像するとわくわくとしてしまうのだった。
時候が次第に寒くなって、お玉の家の流しの前に、下駄で踏む処だけ板が埋めてある。その板の上には朝霜が真っ白に置く。深い井戸の長い釣瓶縄が冷たいから、梅に気の毒だと云って、お玉は手袋を買って遣ったが、それを一々嵌めたり脱いだりして、台所の用が出来るものでは無いと思った梅は、貰った手袋を大切にしまって置いて、やはり素手で水を汲む。洗い物をさせるにも、雑巾をさせるにも、湯を沸かして使わせるのに、梅の手がそろそろ荒れて来る。お玉はそれを気にして、こんな事を言った。「なんでも手を濡らした跡をそのままにして置くのが悪いのだよ。水から手を出したら、すぐに好く拭いて乾かしてお置き。用が片附いたら、忘れないでシャボンで手を洗うのだよ」こう云ってシャボンまで買って渡した。それでも梅の手が次第に荒れるのを、お玉は毒がっている。そしてあの位の事は自分もしたが、梅のように手の荒れたことは無かったのにと、不思議にも思うのである。
朝目を醒まして起きずにはいられなかったお玉も、この頃は梅が、「けさは流しに氷が張っています。も少しお休みになっていらっしゃいまし」なぞと云うと、つい布団にくるまっている様になった。教育家は妄想を起こさせぬために青年に寝床に入ってから寝附かずにいるなと戒める。少壮な身を暖かいふすまの裡に置けば、毒草の花を火の中に咲かせたような写像が萌すからである。お玉の想像もこんな時には随分放恣になって来ることがある。そう云う時には目に一瞬の光が生じて、酒に酔ったように瞼から頬に掛けて紅が漲るのである。雁によって岡田との恋の成就の可能性が示唆されてからはなおさらだった。目が覚める数分前には自分の顔のほんの数センチ上に岡田の顔がその息の音もはっきりと聞き取れる場所にあったりする。そしてそのあまりの生々しさに起きてからも胸の高まりが止まらなかったりすることもたびたびだった。
三角の故郷の有力者である河原猫造さんにある日僕は松源に呼ばれた。上野広小路は火事の少ない所で、松源の焼けたことは記憶にないから、今もその座敷があるかも知れない。河原猫造さんは松源のどこか静かな、小さい一間をと誂えて置いたので、南向きの玄関から上がって、真っ直ぐに廊下を少し歩いてから、左へはいる六畳の間に、僕と河原さんは案内せられた。
印半纏を着た男が、渋紙の大きな日覆いを巻いている最中だった。
「どうも暮れてしまいますまでは夕日が入れますので」と、案内をした女中が説明をして置いて下がった。真偽の分からぬ肉筆の浮世絵の軸物を掛けて、一輪挿しに山梔子の花を生けた床の間を背にして座を占めた河原猫造さんは、鋭い目であたりを見回した。不忍の池に面して建てられた松源だったが、池の縁の往来から見込まれぬようにと、折角の不忍の池に向いた座敷の外は板塀で囲んである。塀と家との間には、帯のように狭く長い地面があるきりなので、もとより庭と云う程のものは作られない。河原猫造さんの据わっている所からは、二三本寄せて植えた梧桐の、油雑巾で拭いたような幹が見えている。それから春日灯籠が一つ見える。その外には飛び飛びに立っている、小さな側柏があるばかりである。暫く照り続けて、広小路は往来の人の足許から、白い土けぶりが立つのに、この堀の内は打ち水をした苔が青々としていた。
河原猫造さんは突然用件を切り出した。「三角くんのことできみは何か気付いたことはないかね。三角くんの様子が最近、少しおかしいのだ」自分の方に風を寄せるために扇いでいた団扇をふる手を止めて首を首を郷土玩具の犬張り子のように延ばして、僕の方に問い質して来た。「おかしいとは、どういうふうにおかしいのですか」僕は三角の様子が最近、おかしいと云うことは知っていたが空とぼけて返事をした。「本当は君は知っているのじゃないかね」髪の毛を頭のてっぺんのところで均等に分け、横になでつけた上にポマードでべったりと固めた頭の上の方の河原さんの髪の分け目が僕の視界に入っている。「いつも、ロシアに留学していたときの記録を清書して僕のところに送ってくれることになっていたのが、その手紙が滞っているのだよ。もしかしたら、三角くんは露探になったのかも知れないと思ってね」「なんで、そんなことを思うのですか。三角くんはれっきとした日本人ですよ」「三角くんがロシアに留学していたときにロシア女性に誘惑されたと云うことも考えられる」ロシア女性はともかくも、彼の生活の中に女性が入って来たことは確かだった。それにしても河原さんは三角が竹筒蕎麦と云う僻地で食べる非常食のようなものを開発したことを知らないのだろうか。このことを河原さんに教えるべきか、そうしないべきか僕は考えた。隣りに住んでいる貧乏な医学生である三角に好い未来が開けることを願うことに僕はやぶさかではない。三角がロシア宮廷に日本語の会話教師として選ばれた細部の理由まで僕は知らなかったが、なんと云っても河原さんは政府の役人である。三角の行動が日本の外交政策に置いてなんらかの不利をもたらすとわかったら、三角は網走あたりの刑務所あたりに収監されて一生日の目を見られない可能性もないではない。これが決して杞憂ではないことは最近、キリスト教を信奉するある無政府主義者が大川のほとりで暴漢とのけんかの末に殺されたと云う話しが巷間の話題に上がったことがあったが、医学生のあいだの話しでは巡査なんの何某と云うものが係わっていたと云う話しだ。僕が何も言わないと河原猫造さんは紙に包んで銀貨を一枚くれた。「これで必要な書物でも買ってくれたまえ。三角のことで何かわかったら、僕に知らせてくれたまえ」
藤堂屋敷の門長屋の裏手の方に参勤交代で藩主が江戸に上がって来たときに乗る馬を飼って置くための厩舎があった、厩舎と云っても農家にある厠を大きくしたようなものだったが、その頃にはもうすでに馬は飼われておらず、その廻りは草が伸び放題に伸びて、屋敷の土塀の一部が壊れていて、くさびのような割れ目の中に土塀の基礎を組んでいる竹を組んだ奴が見えた。そこを乗り越えて小さな子供などが自由に出入りしていて恰好の遊び場になっていた。僕がある日夕涼みがてらに、子供と同じようにそこに入って行くと、子供の騒ぐ声が聞こえた。草ぼうぼうの地面に石灰で縦横に十字がひかれてまるで将棋の盤面のようになっているところに、その升目の中に子守の子供や鼻をたらした子供が何人も立っている。あたかも子どもたちが将棋の駒になって碁布されているようだった。その子供たちはみんな飴細工をくわえている。姉さんかぶりをした子守の子供は飴の棒をふたつも持っていて、ひとつは自分で、そうしてもうひとつは背負った赤ん坊にしゃぶらせている。その将棋の大きな盤から少し離れたところに鑑賞用に藩主が運んだ大きな筑波山から運んだと云う岩の上で三角が沢山の飴細工を抱えて腰掛けていた。僕は草をかきわけて岩の上に腰掛けている三角のところに行った。「きみは一体何をしているんだ。こんなに子供を集めて」「人間将棋だよ。飴細工を食べたいだけやると云ったら、子供たちが集まって来たのだよ。四六金」三角がそう云うと風呂敷のような渦巻きをたくさんあしらった模様の着物に兵児帯をしめて鼻をたらした子供が、升目を移動した。子供はじっとしていられないらしく、升目から飛び出して、三角の方に走って来た。「飴くれ」汚れた小さな手に三角は飴細工の棒を握らせた。「金が儲かってしまってね」三角は工場を数え切れないほど持っている西洋の資本主義者のようににやにやと笑った。「あの竹筒蕎麦が予想外に売れたのだよ。南海の方に探検に行くと云う好事家がいて、その探検旅行に持って行くと云って大量に竹筒蕎麦を買い込んでくれたのだよ。子供が何人来て、飴細工をねだったりしても、僕の今の経済状況ではぴくりともしないよ」そう云ってからからと豪傑笑いをした。僕は三角に河原猫造が君の動勢を探っていると云うことはいわなかった。
淡路町から神保町へ行くと、今川小路の少し手前にお茶漬けと云う看板を出した家がその頃あった。二十銭ばかりでお膳を据えて、香の物に茶まで出す。僕はその店を知っていたので、そこに入ると、思いがけず三角がそこにいて、鮭茶漬けをかき込んでいる。僕の顔を見ると、箸を置いて、手招きをした。僕も同じものをたのんだ。三角の席の横には藤村の田舎饅頭の包みが置いてある。「君は柴田承桂さんを知っているか」柴田承桂さんは有機化学者で明治四年にドイツに留学している。きわめて面倒見の好い人でわれわれひな鳥たちに留学の手引きのようなものを自費で作っていた。「前に僕がロシアに留学したことを話しただろう」「それできみは竹筒蕎麦を考え出したんだろう」「僕は木と竹で作った建物だけの国から石で住まいや宮殿を造る国に往って来たんだよ。そこで僕はある絵を見たんだ。イタリヤの風景らしいんだが、沼のような湖があって、その手前の岸には奇岩が立っている。湖の向こうには灰色がかった
緑の森が広がっているんだ。雲は低くたれこめて人間以外のなにものかの力を象徴しているようなんだ。そんな荒涼とした風景なんだけど、決してドライではなくウエットなんだ。その奇岩には姫君がとらわれていて、湖には竜が湖面から三角の頭を出している。その竜と云うのも、深海に住む鯰のような色をしているんだ。竜と云うのも西洋の絵の中では蛇のような細長い形をしているものなのに、この絵を描いた人間は恐竜がわがもの顔で地球上を歩いていた古代に生きていて、絵を描いた人間がその当時の海竜を見たことがあるのではないかと思わせるものなんだ。その海竜が姫をとらえているんだけど、その姫を救うために、魔法の力を持った騎士が戦士を表す兜を頭に被り、剣を持って湖上を飛遊しているんだ。僕はもうすぐその騎士の役をやるかも知れないんだ」その頃は僕はそれが岡田のことを思っている無縁坂の女のことだとは知らなかった。「その姫とは一体誰なんだい。その姫を苦しめている海竜とはなんのことなんだい」「僕が前に話したことがあっただろう。巡査に騙されて勝手に家に上がり込まれてしまった、可哀想な飴売りの親子の話を、そのとき、僕の知りうる限りの法律の知識を使って、その娘を助けてあげたんだ。その娘からそのときの僕の手助けに対する感謝の手紙が来たんだよ。妻ある身のおっかない巡査に勝手に入り婿されて僕が助けてあげたんだよ。その娘、お玉と云う名前なんだけど、僕に感謝している以上のものを感じているに違いないんだよ。一目その娘を見たことがあるんだけど、ぞっとするようにいい女だった。でも男を騙すような感じではない、世間知らずのおぼこ娘と云う感じだったんだ。なにしろ、巡査に騙されてしまうぐらいだからね。でも、巡査から解放されたと思ったら今度は因業な金貸しの妾にならねばならなかった。それもみんな経済的な理由からだ。その娘には年取った父親が飴売りをやっていてね。恐ろしい海竜と云うのは貧乏だよ。僕は思ったんだ。その娘を救ってあげたい。それに感謝してその娘は僕と結婚すると云うかも知れない」「じゃあ、きみは剣のかわりに銀貨や金貨の剣を持っていると云うのだな」「そうは云わないよ。それで僕はきみに柴田承桂さんを紹介してもらいたいんだよ」「柴田承桂さんがどういう関係があるんだい」僕にはどう云う関係で洋行帰りの有機化学者が関係しているのかわからなかった。「今、鉄道馬車が走っているね。それもそのうち蒸気機関車に変わるだろう、それから車屋だ、みんなは家から家の短い距離を移動するには車屋を使っている。その車屋だけど、そのうち自動車と云うものにとって代わられることだろう」その当時はまだ石油自動車は作られていなかった。ディーゼルによる内燃機関はまだ開発されていなかつたのである。しかし蒸気自動車と電気自動車は作られていたが、鉄道が敷設されるかどうかと云うその頃の日本ではその実物を僕も見たことはなかった。石油機関車は明治十八年にドイツのダイムラーとベンツによって独立に開発されたからだ。それ以前に内燃機関は開発されていたのはディーゼルであってそれほど前のことではなかった。「僕は自動車と云うものの将来を考えているのだ。きっと日本のどこでも自動車と云うものが走ることになるに違いないよ」僕はそう云ったものの動力源としては蒸気機関と馬ぐらいしか知らなかったから、汽車のような巨大なものが日本の路地裏を走るとは想像も付かなかった。「あんな大きな釜を持っていて、下からぼんぼんと火を炊いているものが路地裏なんかを走れるのかい」「それで、柴田さんを紹介してもらいたいんだよ。柴田さんがドイツに留学していたときに、ドイツでは蒸気機関の小型化競争が行われていたらしいんだ。柴田さんの帰朝報告を読んでいたら、オットー・マイヤーと云う医者が手桶ぐらいの釜を持った大きさの蒸気機関を作って優勝したと云う話しが書いてあったんだ。それで柴田さんはオットー・マイヤーに会ったとも云っている」日本で蒸気自動車を走らせて、一儲けして無縁坂の女と結婚しようと云う三角の野望は分かった。それで僕は柴田承桂さんを紹介したのだが、その三四日後に三角はほくほくしながら、上条の下宿に大きなお釜のようなものを前に附けた大八車のような蒸気自動車の模型をかかえて帰って来た。三角は柴田さんに紹介されたドイツの貿易商からそのおもちゃのようなものを買ったのだが、新しいもの好きの福地源一郎が潜水艦と云うおもちゃを買って、不忍の池で進水させて白い二酸化炭素の泡をぶつぶつと水中から発生させて、そのまま湖面から浮かんで来なかったのを見たことがあったので僕はそれほど驚かなかった。

第四回
拾壱
お家流の文字を書く隣りの裁縫の師匠がランプの芯を借りに来たと梅が云うのでお玉は茶箪笥を探って、ランプの芯を持って来て裁縫の師匠に渡した。「ありがとう。うちで使っているランプの芯は安物だから、すぐ芯のさきが駄目になってしまうの」「ランプの芯ぐらいで好かったら、なんどでもいらしてください」お玉は最近、隣りを買うと云うことを覚えた。いつだったか、刑務所から出て来たばかりだと云う男にすごまれて、梅が顔を真っ赤にしたことがあった。そこにあの雁が来て追い返したが、いつまたそういうことがあるかも知れないと思ったからだ。いつも裁縫の師匠の家にはお弟子さんたちがたくさんたむろしている。子供と云ってもいいような若い女の子ばかりだったが、人数がたくさん集まっているから心強い。梅の話しによれば野良犬がお玉の台所から浅漬けを盗もうとしたときは娘たちはその野良犬をつかまえて打擲したと云う話しだ。なんともたのもしい限りである。しかし世知だけで隣りの家と交流していると云うわけではない、お玉は囲われ物として、人に嫌われる高利貸しの妾だよと後ろ指をさされる立場となって、一種の擬態を身につけて生きている。それもみな弱い生き物が世間からの強い圧をやり過ごすための戦法にほかならない。暗い精神状態でいるわけではないが、多くの人の目に触れるのは鬱陶しい、いやだと思っている。できれば隣りとのつき合いもしたくないと思っている。世間から白い目で見られるからだ。そして、巡査にもてあそばれ、高利貸しの妾となって、心のどこかに投げやりな、世間を馬鹿にしたような心情を醸成している。世間のお玉を見る、あれが高利貸しの妾だよと云う陰口が、そう云った精神状態を作る手助けをしている。しかし、隣りの裁縫の師匠にはお玉を見る目つきにそう云ったものはない、それがどう云う理由から生じているかと云えば、裁縫の師匠が世間の人と異なる価値観を持っているからにほかならない。維新の前は裁縫の師匠は前田家の奥女中をやっていた。それが維新によってこれまで何とも思わなかった薩摩や長州の田舎侍が天下を取った。そして政府の役人として立身出世していく、しかし、裁縫の師匠にとってはやはり、薩摩や長州の田舎侍なのであり、この女の中では二つの異なった価値基準が同居していると云うことを意味している。世間とつじつまを合わせるための外向きの価値観であり、もう一つは子どもの頃から養われている価値観である。それがうまいように平衡を保ってやじろべえのように釣り合っていて、つねに動いている。つまり、価値基準と云うものは一つだけ存在しているとき、確固としているものであり、維新と云う線引きの前後で二つの価値基準があると云うことは、お玉と同じように世間を馬鹿にしたような心情を醸成しているからである。そこが共通点となってお玉は裁縫の師匠とお互いに馬鹿にすると云うことのない関係にあるのかも知れなかった。
お玉が裁縫の師匠にランプの芯を貸した晩は空が晴れ渡って、星がきらめいて、暁に霜の置いた或る日の事であった。お玉はだいぶ久しく蒲団の中で、近頃覚えた不精をしていて、梅がとっくに雨戸を繰り開けた表の窓から、朝日のさし入るのを見て、やっと起きた。そして細帯一つでねんねこ半纏を羽織って、縁側に出て楊枝を使っていた。すると格子戸をがらりと開ける音がする。「いらっしゃいまし」と愛想好く云う梅の声がする。そのまま上がって来る足音がする。
「やあ。寝坊だなあ」こう云って箱火鉢の前に据わったのは末造である。
「おや、御免なさいましよ。大そうお早いじゃございませんか」銜えていた楊枝を急いで出して、唾をバケツの中に吐いてこう云ったお玉の、少しのぼせたような笑顔が、末造の目にはこれまでになく美しく見えた。一体お玉は無縁坂に越して来てから、一日一日と美しくなるばかりである。最初は娘らしい可愛さが気に入っていたのだが、この頃はそれが一種の人を魅するような態度に変じて来た。末造はこの変化をを見て、お玉に情愛が分かって来たのだ、自分が分からせて遣ったのだと思って、得意になっている。しかしこれは岡田の存在であり、大いなる誤解と云う点では三角と同様の陥穽に陥っている。
お玉はしゃがんで金盥を引き寄せながら云った。「あなた一寸あちらへ向いていてくださいましな」
「なぜ」と云いつつ、末造は金天狗に火を附けた。
「だって顔を洗わなくちゃ」
「好いじゃないか。さっさと洗え」
「だって見ていらっしゃっちゃ、洗えませんわ」
「むずかしいなあ。これで好いか」末造は烟を吹きつつ縁側に背中を向けた。そして心中になんと云うあどけない奴だろうと思った。
お玉は肌も脱がずに、只衿だけをくつろげて、忙しげに顔を洗う。いつもより余程手を抜いてはいるが、化粧の秘密を借りて疵を覆い美を装うと云う弱点も無いので、別に見られていて困ることはない。
「これは浅草の新堀端通りの千日堂で買って来たのだ」末造が懐中香水をお玉に渡すとお玉はそのふたをとろうとした。
「おい急ぐには及ばないよ。何も用があつてこんなに早く出掛けて来たのではないのだ。実はこないだお前に聞かれて、今晩あたり来るように云って置いたが、ちょいと千葉へ往かなくてはならない事になったのだ。話が旨く運べば、あすのうちに帰って来られるのだが、どうかするとあさってになるかも知れない」
懐中香水をいじっていたお玉は「あら」と云って振り返った。顔に不安らしい表情が見えた。
「おとなしく待っているのだよ」と、笑談らしく云って、末造は巻煙草入れをしまった。そしてついと立って戸口へ出た。
「まあお茶も上げないうちに」と云いさして、懐中香水を置いたお玉が、見送りに起って出た時には、末造はもう格子戸を開けていた。お玉はどこから出して来たのか、競漕選手の着る蜜柑色の衣装を出して来て頬ずりをしていた。頬のあたりが紅色に輝いている。
朝飯の膳を台所から運んで来た梅が、膳を下に置いて、「どうも済みません」と云って手を衝いた。梅がお茶を運ぶ前に末造が帰ってしまったので梅はお茶を出しそぶれてしまったと思ったからである。
箱火鉢の傍に据わって、火の上に被さった灰を火箸で掻き落としていたお玉は、「おや、何をあやまるのだい」と云って、にっこりした。
「でもついお茶を上げるのが遅くなりまして」
「ああ。その事かい。あれはわたしが御挨拶に云ったのだよ。檀那はなんとも思ってはお出でなさらないよ」こう云って、お玉は箸を取った。
けさ御膳を食べている主人の顔を梅が見ると、めったに機嫌を悪くせぬ性分ではあるが、特別に嬉しそうに見える。横には外国の競漕選手の衣装が置かれている。さっき「何をあやまるのだい」と云って笑った時から、ほんのりと赤く匂った頬のあたりをまだ微笑みの影が去らずにいる。お玉の好い気持ちが伝染して、自分も好い気持ちになる。女はときとして大胆になる。
「あの、お前お内へ往きたかなくって」
「あの今晩は檀那様がいらっしゃらないだろうと思うから、お前内へ往って泊まって来たけりゃあ泊まって来ても好いよ」
「御飯の跡は片附けなくても好いから、すぐに往っても好いよ。そしてきょうはゆっくり遊んで、晩には泊まってお出で。その代わりあしたは早く帰るのだよ」
梅をせき立てて出して置いて、お玉は甲斐甲斐しく襷を掛け褄を端折って台所に出た。そしてさも面白い事をするように、梅が洗い掛けて置いた茶碗や皿を洗い始めた。こんな為事は昔取った杵柄で、梅なんぞが企て及ばぬ程迅速に、しかも周密に出来る筈のお玉が、きょうは子供がおもちゃを持って遊ぶより手ぬるい洗いようをしている。取り上げた皿一枚が五分間も手を離れない。そしてお玉の顔は活気のある淡紅色にかがやいて、目は空を見ている。
そしてその頭の中には、極めて楽観的な写象が往来している。一体女は何事によらず決心するまでには気の毒な程迷って、とつおいする癖に、既に決心したとなると、男のように左顧右べんしないで、目隠し革をされた馬車馬のように、向こうばかり見て猛進するものである。思慮のある男には危惧を懐かしむる程の障害物が前途に横たわっていても、女はそれを屑ともしない。それでどうかすると男の敢えてせぬ事をして、おもいの外に成功することもある。お玉は岡田に接近しようとするのに、若し第三者がいて観察したら、もどかしさに堪えまいと思われる程、逡巡していたが、けさ末造が千葉へ立つと云って暇乞いに来てから、追っ手に帆を孕ませた舟のように、志す岸に向かって走る気になった。それで梅をせき立てて、親許に返して遣ったのである。邪魔になる末造は千葉へ往って泊まる。これからあすの朝までは、誰にも掣肘せられることの無い身の上だと感ずるのが、お玉のためには先ず愉快でたまらない。そしてこうとんとん拍子に事が運んで行くのが、終局の目的の容易に達せられる前兆でなくてはならぬように思われる。きょうに限って岡田さんが内の前をお通なさらぬことは決して無い。往反に二度お通になさる日もあるのだから、どうかして一度逢われずにしまうにしても、二度共見のがすようなことは無い。きょうはどんな犠牲を払っても物を言い掛けずには置かない。思い切って物を言い掛けるからは、あの方の足が留められぬ筈がない。蛇を退治して下すったお礼を申し上げよう。話のきっかけはそれで良い。あの方が競漕に精出していることを訊こう。そして、外国からの競漕選手の衣装を持っていることを云って、内でその服を着てみないかと云おう。それもわたしがそれをわざわざ買ったのではなくて、たまたま手に入ったと云うことにしよう。でも岡田さんはわたしが岡田さんのことを思ってわさわざ買って来たのだとちゃんとわかってくださるに違いない。わたしは卑しい妾に身を堕している。しかも高利貸しの妾になっている。だけれど生娘でいた時より美しくなっても、醜くはなつていない。その上どうしたのが男に気に入ると云うことは、不為合な目に逢った物怪の幸に、次第に分かって来ているのである。して見れば、まさか岡田さんも一も二もなく厭な女だと思われることはあるまい。いや。そんな事は確かに無い。若し厭な女だと思ってお出でなら、顔を見合わせる度に礼をして下さる筈が無い。いつか蛇を殺して下すったのだってそうだ。あれがどこの内の出来事でも、きっと手を貸して下すったのだと云うわけでもあるまい。若しわたしの内でなかったら、知らぬ顔をして通り過ぎておしまいなすったかも知れない。それにこっちでこれだけ思っているのだから、皆までとは行かぬにしても、この心が幾らか向こうに通っていないことはない筈だ。なに。案じるよりは生むが易いかも知れない。こんな事を思い続けているうちに、小桶の湯がすっかり冷えてしまったのを、お玉はつめたいとも思わずにいた。
膳を膳棚にしまって箱火鉢の所に帰って据わったお玉は、なんだか気がそわそわしてじっとしてはいられぬと云う様子をしていた。そしてけさ梅が綺麗にふるった灰を、火箸で二三度掻き廻したかと思うと、つと立って着物を着換えはじめた。同朋町の髪結いの所へ往くのである。これは不断来る髪結いが人の好い女で、余所行の時に結いに往け云って、紹介して置いてくれたのに、これまでまだ一度も往かなかった内なのである。
   拾弐
子供の読む妖怪話しに釜鳴りと云うものがある。使われなくなった古い釜が人が入らない草ぼうぼうの荒れ野に棄てられて、釜の中にたまった淀んだ空気が霊力を帯びて、妖怪になると云う話しである。この場合、三角が買って来た大八車にお釜を載せたような蒸気自動車の模型が霊力を帯びていたと云えようか。
その日は旧本丸で、昼十二時を知らせるドンが鳴ってから目を醒ました。懐中時計を見ると、確かに十二時になっている。紅茶製造のため印度に去年の三月に派遣されていた多田元吉さんが帰朝していたので逢うことになっていて、新橋まで出掛けなくてはならない、玄関に出て行くと人だかりがしている。下宿の住人がみんな、なにかを見るために出ていたのだが、僕はすぐに思い出した。昨日三角が自分の買って来た、蒸気自動車の模型を上条の下宿の前の泥道で走らせるから、住人に見に来ないかと云って、檸檬水まで配っていた。岸田吟香が販売した「檸檬水は清涼甘美にして第一渇を止め熱を解し三夏の炎暑にあっては・・」と云う新聞広告を入れた檸檬水をである。もちろん僕の部屋にもまっさきに来た。しかし、僕は新橋まで出掛けなければならないので、お釜がもうもうと湯気を出しながらぶるぶるとふるえている蒸気自動車を横目に見ながら、三角がきみも乗っていけよと遠くから呼び掛ける声を聞きながら、下宿を出た。その蒸気自動車の模型は日本で作られたらしく、お釜は飯を炊く釜が使われていた。
下宿に戻るとそのお釜が悪さをしていた。晩飯の膳の上にうどんがのぼっていた。この下宿のうどんには以前、手をやいたことがある。生ら煮えで芯の方は粉っぽく、食べたが最後、胃の奥の方がちくちくと痛みだし、下宿のふとんにくるまって、厠にかけこんだと云う悪い想い出がある。いつも膳が出ると直ぐに箸を取る僕が躊躇しているので、女中が僕の顔を見て云った。
「あなた饂飩はお嫌い」
「なんで、飯がでないのだ。これを食って下宿の住人が食中毒事件を起こしたのを覚えていないのか」
「みんな三角さんが悪いんですよ。泥道で蒸気自動車を走らせて、お釜を壊しちゃったの。それで内のお釜も蒸気自動車のお釜と同じで使えるからと云って、蒸気自動車にくっっけちゃったのはいいんだけど、それもこわしちゃったんです。なんなら、おやつのかるべ焼きでも持って来ましょうか」こう云って立ちそうにした。
「待て」と僕は云った。「実はまだ腹も透いていないから、散歩をして来よう。お上さんにはなんとでも云って置いてくれ。饂飩が気に入らなかったなんて云うなよ。余計な心配をさせなくても好いから」
「それでもなんだかお気の毒様で」
「馬鹿を言え」
僕が立って袴を穿き掛けたので、女中は膳を持って廊下へ出た。最近すっかりと成金としての外見も内面も備えて来た三角に何か言ってやろうかと思って隣りの部屋を覗くと三角は出掛けている。僕はもう一方の隣りの部屋に声を掛けた。
「おい。岡田君いるか」
「いる。何か用かい」岡田ははっきりした声で答えた。
「用ではないがね、散歩に出て、帰りに豊国屋へでも往こうかと思うのだ」
「行こう。丁度君に話したい事もあるのだ」
僕は釘に掛けてあった帽を取って被って、岡田と一緒に上条を出た。午後四時過ぎであったかと思う。どこへ往こうと云う相談もせずに上条の格子戸を出たのだが、二人は門口から右へ曲がった。
無縁坂を降り掛かる時、僕は「おい、いるぜ」と云って、肘で岡田を衝いた。
「何が」と口には云ったが、岡田は僕の詞の意味を解していたので、左側の格子戸のある家を見た。
家の前にはお玉が立っていた。手には蜜柑色の競漕選手の着る衣装を持っている。たまたま知り合いにこれを貰ったので岡田さん、着て御覧なさいと云うつもりなのかも知れない。それはともかく、お玉は窶れていても美しい女であった。しかし若い健康な美人の常として、粧映もした。僕の目には、いつも見た時と、どこがどう変わっているか、わからなかったが、とにかくいつもとまるで違った美しさであった。女の顔が照りかがやいているようなので、僕は一種のまぶしさを感じた。
お玉の目はうっとりとしたように、岡田の顔に注がれていた。岡田は慌てたように帽を取って礼をして、無意識に足の運びを早めた。
僕は第三者に有勝な無遠慮を以て、度々背後を振り向いて見たが、お玉の注視は頗る長く継続せられていた。
岡田は俯き加減になって、早めた足の運びを緩めずに坂を降りる。僕も黙って附いて降りる。僕の胸の内では種種の感情が戦っていた。この感情には自分を岡田の地位に置きたいと云うことが根調をなしている。しかし僕の意識はそれを認識することを嫌っている。僕の心の内で、「なに、己がそんな卑劣な男なものか」と叫んで、それを打ち消そうとしている。そしてこの抑制が功を奏せぬのを、僕は憤っている。自分を岡田の位置に置きたいと云うのは、彼女の誘惑に身を任せたいと思うのではない。只岡田のように、あんな美しい女に慕われたら、さぞ愉快だと思うに過ぎない。そんなら慕われてどうするか、僕はそこに意志の自由を保留して置きたい。僕は岡田のように逃げはしない。僕は逢って話しをする。自分の清潔な身は汚さぬが、逢って話しだけはする。そして彼女を妹の如くに愛する。彼女の力になって遣る。彼女を汚泥の中から救抜する。僕の想像はこんな取り留めのない処に帰着してしまった。
坂下の四つ辻まで岡田と僕とは黙って歩いた。真っ直ぐに巡査派出所前を通り過ぎる時、僕はようよう物を言うことが出来た。「おい、凄い状況になっているじゃないか」
「ええ。何が」
「何がも何も無いじゃないか。君だってさっきからあの女の事を思って歩いていたに違いない。僕は度々振り返って見たが、あの女はいつまでも君の後影を見ていた。おかたまだこっちの方角を見て立っているだろう。あの左伝の、目迎えて而してこれを送ると云う文句だねえ。あれをあべこべに女の方で遣っているのだ」
「その話はもうよしてくれ給え。君にだけは顛末を打ち明けて話してあるのだから、この上僕をいじめなくても好いじゃないか」
こう云っているうちに、池の縁に出たので、二人共ちょいと足を停めた。
「最近の三角くんの変化について気付いているか。そのことで河原猫造さんに食事に招待された。三角君は竹筒蕎麦と云うものを開発して小金持ちになったみたいだよ。だから成金みたいなことをやっていて、茅場町の海陽亭でスパゲッティと云うものを食って来たそうだよ。蕎麦屋通いをしていた頃と大違いじゃないか」このときはまだ三角が恋いこがれている女が無縁坂の女だとは僕は知らなかった。自分の心配事があるのか、この話に岡田はあまり興味がないようだった。
「あっちを廻ろうか」と、岡田が池の北の方を指ざした。
「うん」と云って、僕は左へ池に沿うて曲がった。そして十歩ばかりも歩いた時、僕は左手に並んでいる二階建ての家を見て、「ここが桜痴先生と末造君の邸宅だ」と独語のように云った。
「妙な対照のようだが、桜痴居士も余り廉潔じゃないと云うじゃないか」と、岡田が云った。「そりゃあ政治家になると、どんなにしていたって、難癖を附けられるさ」恐らくは福地さんと末造との距離を、なるたけ大きく考えたかったのであろう。
福地の邸の板塀のはずれから、北へ二三軒目の小家に、ついこの頃「川魚」と云う看板を掛けたのがある。僕はそれを見て云った。「この看板を見ると、なんだか不忍の池の肴を食わせそうに見えるなあ」
「僕もそう思った。しかしまさか梁山泊の豪傑が店を出したと云うわけでもあるまい」
こんな話しをして、池の北の方へ往く小橋を渡った。すると、岸の上に立って何かを見ている学生らしい青年がいた。それが二人の近づくのを見て、「やあ」と声を掛けた。柔術に凝っていて、学科の外の本は一切読まぬと云う性だから、岡田も僕も親しくはせぬが、そうかと云って嫌ってもいぬ石原と云う男である。
(小見出し)池の中
「こんな所に立って何を見ていたのだ」と、僕が問うた。
石原は黙って池の方を指ざした。岡田も僕も灰色に濁った夕の空気を透かして、指ざす方角を見た。その頃は根津に通じる小溝から、今三人の立っている汀まで、一面に葦が茂っていた。その葦の枯葉が池の中心に向かって次第に疎らになって、只枯れ蓮の襤褸のような葉、海綿のような房が碁布せられ、葉ゆや房の茎は、種種の高さに折れて、それが鋭角に聳えて、景物に荒涼な趣を添えている。この濃褐色の茎の間を縫って、黒ずんだ上に鈍い反射を見せている水の面を、十羽ばかりの雁が緩やかに往来している。中には停止しているものもいる。皇帝直属三部、イワノビッチ・ペドローフが雁に姿を変えて、この不忍の池に飛来していると云うことは、その頃は想像もしていなかった。
「あれまで石が届くか」と、石原が岡田の顔を見て云った。
「届くことは届くが、中るか中らぬかが問題だ」と岡田は答えた。
「遣って見給え」
岡田は躊躇した。「あれはもう寝るのだろう。石を投げ附けるのは可哀想だ」
石原は笑った。「そう物の哀れを知り過ぎては困るなあ。君が投げんと云うなら、僕が投げる」
岡田は不精らしく石を拾った。「そんなら僕が逃がして遣る」つぶてはひゅうと云う微かな響きをさせて飛んだ。僕がその行方をじっと見ていると、変な金属音がして一羽の雁が擡げていた頸をぐたりと垂れた。それと同時に二三羽の雁が鳴きつつ羽ばたきをして、水面を滑って散った。しかし飛び起ちはしなかった。頸を垂れた雁は動かずに故の所にいる。
「中った」と、石原が云った。そして暫く池の面を見ていて、詞を継いだ。「あの雁は僕が取って来るから、その時は君達も少し手伝ってくれ給え」
「どうして取る」と、岡田が問うた。僕も耳をそばだてた。
「先ず今は時が悪い。もう三十分立つと暗くなる。暗くさえなれば、僕がわけなく取って見せる。君達は手を出してくれなくても好いが、その時居合わせて、僕の頼むことを聴いてくれ給え。雁はご馳走するから」と、石原が云った。
「面白いな」と、岡田が云った。「しかし三十分立つまでどうしているのかい」
「僕はこの辺をぶらついている。君達はどこへでも往って来給え。三人ここにいると目立つから」
僕は岡田に言った。「そんなら二人で池を一週して来ようか」
「好かろう」と云って岡田はすぐに歩き出した。
僕は岡田と一緒に花園町の端を横切って、東照宮の石段の方へ往った。二人の間には暫く詞が絶えている。「不しあわせな雁もあるものだ」と、岡田が独語のように云う。僕の写象には、何の論理的連携もなく、無縁坂の女が浮かぶ。その雁が無縁坂の女のしあわせの鍵を握っていたような気がした。「僕は只雁のいる所を狙って投げたのだがなあ」と、今度は僕に対して岡田が云う。「うん」と云いつつも、僕はやはり女の事を思っている。「でも石原のあれを取りに往くのが見たいよ」と、僕が暫く立ってから云う。こん度は岡田が「うん」と云って、何やら考えつつ歩いている。多分雁が気になっているのだろう。
石段の下を南へ、弁天の方へ向いて歩く二人の心には、とにかく雁の死が暗い影を印していて、話しがきれぎれになり勝ちであった。弁天の鳥居の前を通る時、岡田は強いて思想を他の方角に転ぜようとするらしく、「僕は君に話す事があるのだった」と言い出した。そして僕は全く思いも掛けぬ事を聞かせられた。
その話しはこうである。岡田は今夜己の部屋に来て話そうと思っていたが、丁度己にさそわれたので、一しょに外に出た。出てからは、食事をする時話そうと思っていたが、それもどうやら駄目になりそうである。そこで歩きながら掻い摘んで話すことにする。いぜん蕎麦屋で三角もいるとき、その話しの一部をしたが、岡田は卒業の期を待たずに洋行することに極まって、もう外務省から旅券を受け取り、大学に退学届けを出してしまった。一部のことは聞いていて知っていたが、あまりの突然のことに僕は驚いた。ドイツのWさんの助手をつとめると云う話しだ。岡田はあす上条を出て、築地のWさんの所へ越して往って、Wさんが清と日本で買い集めた書物の荷造りをする。それからWさんに附いて九州を視察して、九州からすぐにMessagerie Maritime会社の舟に乗るのである。
僕は折々立ち留まって、「驚いたね」とか、「君は果断だよ」とか云って、随分ゆるゆる歩きつつこの話を聞いた積であった。しかし聞いてしまって時計を見れば、石原に分かれてからまだ十分しか立たない。それにもう池の周囲の殆ど三分の二を通り過ぎて、仲町裏の池の端をはずれ掛かっている。
「このまま往っては早過ぎるね」と、僕は往った。
「蓮玉へ寄って蕎麦を一杯食って行こうか」と岡田が提議した。
僕はすぐに同意して、一しょに蓮玉庵へ引き返した。その頃下谷から本郷へ掛けて一番名高かった蕎麦屋である。
蕎麦を食いつつ岡田は言った。「折角今まで遣って来て、卒業しないのは残念だが、所詮官費留学生になれない僕がこの機会を失すると、ヨオロッパが見られないからね」
「そうだとも。機逸するべからずだ。卒業がなんだ。向こうでドクトルになれば同じ事だし、又そのドクトルをしなくたって、それも憂うるに足りないじゃないか」
「僕もそう思う。只資格を拵えると云うだけだ。俗に随って、いささかまたしかりだ」
「支度はどうだい。随分慌ただしい旅立ちになりそうだが」
「なに。僕はこのままで往く。Wさんの云うには、日本で洋服を拵えて行ったって、向こうでは着られないそうだ」
「そうかなあ。いつか花月新誌で読んだが、成島柳北も横浜でふいと思い立って、即座に決心して舟に乗ったと云うことだった」
「うん。僕も読んだ。柳北は内へ手紙を出さずに立ったそうだが、僕は内の方へ詳しく言って遣った」
「そうか。羨ましいな。Wさんに附いて行くのだから、途中でまごつくことはあるまいが、旅行はどんな塩梅だろう。僕には想像も出来ない」
「僕もどんな物だか分からないが、きのう柴田承桂さんに逢って、これまで世話になった人だから、今度の一件を話したら、先生の書いた洋行案内をくれたよ」
「はあ。そんな本があるかねえ」
「うん。非売品だ。椋鳥連中に配るのだそうだ」
こんな話をしているうちに、時計を見れば、もう三十分までに五分しかなかった。僕は急いで蓮玉庵を出て、石原の待っている所へ往った。もう池は闇に鎖されて、弁天の朱塗りの祠が模糊として靄の中に見える頃であった。
待ち受けていた石原は、岡田と僕を引っ張って、池の縁に出て云った。「時刻は丁度好い。達者な雁は皆塒を変えてしまった。僕はすぐに為事に掛かる。それには君達がここにいて、号令を掛けてくれなくてはならないのだ。見給え。そこの三間ばかり前の所に蓮の茎の右へ折れたのがある。その延線に少し茎の左へ折れたのがある。僕はあの延線を前へ前へと行かなくてはならないのだ。そこで僕がはずれそうになったら、君達がここから右とか左とか云って修正してくれるのだ」
「なる程。Parallaxeのような理屈だな。しかし深くはないだろうか」と岡田が云った。
「なに。背の立たない気遣は無い」こう云って、石原は素早く裸になった。
石原の踏み込んだ処を見ると、泥は膝の上までしか無い。鷺のように足をあげては踏み込んで、ごぼりごぼりと遣って行く。少し深くなるかと思うと、又浅くなる。見る見る蓮の茎より前に出た。暫くすると、岡田が「右」と云った。石原は右へ寄って歩く。岡田が又「左」と云った。石原が余り右へ寄り過ぎたのである。忽ち石原は足を停めて身を屈めた。そしてすぐに跡へ引き返して来た。遠い方の蓮の茎の辺を過ぎた頃には、もう右の手に提げている獲物が見えた。しかし石原は不審そうな顔をしていた。
石原は太股を半分泥に汚しただけで、岸に着いた。獲物は思い掛けぬ大きさの雁であった。石原はざっと足を洗って、着物を着た。この辺はまだ人の往き来が少なくて、石原が池に入ってからまた上がって来るまで、一人も通り掛かったものが無かった。
「この雁はおかしい」と、石原が云った。羽の付け根のところが取れていて、中から幾重にも重なった歯車とそれを支持する金属製のわくが見える。羽の裏側にはロシア語が書かれている。「この歯車の曲線はリューサージュ曲線で作られている。日本で作られているものではないよ」「この歯車を動かす動力はどこにあるんだ。そもそも動力のない機械などがあるだろうか」「それは熱力学の第二法則で証明されている」石原が雁の中の方をさらに身ながら云った。「食えないけど持っていこうよ」「どうして持って行こう」と僕が云うと、石原が袴を穿きつつ云った。
「岡田君の外套が一番大きいから、あの下に入れて持って貰うのだ。中身は僕の所に戻ってから調べよう」
石原は素人家の一間を借りていた。主人の婆さんは余り人が好くないのが取り柄で、石原が変わったものを拾って来ると安い金で買い取ってどこかの骨董屋に売りさばいていた。珍しいものを持って行けば金もくれるに違いなかった。その家は湯島切り通しから、岩崎邸の裏手へ出る横町で、曲がりくねった奥にある。石原はそこへ雁を持ち込む道筋を手短に説明した。先ずここから石原の所へ往くには、由るべき道が二条ある。即ち南から切り通しを経る道と、北から無縁坂を経る道とで、この二条は岩崎邸の内に中心を有した圏を画いている。遠近の差は少ない。又この場合に問う所でも無い。障害物は巡査派出所だが、これはどちらにも一個所ずつある。そこで利害を比較すれば、只賑やかな切り通しを避けて、寂しい無縁坂を取ると云うことに帰着する。雁は岡田に、外套の下に入れて持たせ、跡の二人が左右に並んで、岡田の顔を隠蔽して行くが最良の策だと云うのである。
岡田は苦笑いしつつも、皇帝三部の雁を持った。もちろん岡田はその雁の名前がイワノビッチ・ペドローフであることは知らない。機械仕掛けの雁であるから、普通の雁よりも少し重かった。どんなにして持って見ても、外套の裾から下へ、羽が二三寸出る。その上外套の裾が不格好に拡がって、岡田の姿は円錐形に見える。石原と僕とは、それを目立たぬようにしなくてはならぬのである。
「さあ、こう云う風にして歩くのだ」と云って、石原と僕の二人で、岡田を中に挟んで歩き出した。三人で初めから気に掛けているのは、無縁坂の四つ辻にある交番である。そこを通り抜ける解きの心得だと云って、石原が盛んな講釈をし出した。なんでも、僕の聴き取った所では、心が動いてはならぬ、動けば隙を生じる。隙を生ずれば乗ぜられると云うような事であった。石原は虎が酔人を喰わぬと云う譬えを引いた。多分この講釈は柔術の先生に聞いた事をそのまま繰り返したものかと思われた。
「して見ると、巡査が虎で、我々三人が酔人だね」と、岡田が冷やかした。
「Silentium!」と石原が叫んだ。もう無縁坂の方角へ曲がる角に近くなったからである。
角を曲がれば、茅町の町家と池に沿うた屋敷とが背中合わせになった横町で、その頃は両側に荷車や何かが置いてあった。四つ辻に立っている巡査の姿は、もう角から見えていた。
突然岡田の左に引き添って歩いていた石原が、岡田に言った。「君円錐の立法積を出す公式を知っているか。なに。知らない。あれは造作はないさ。基底面に高さを乗じたものの三分の一だから、若し基底面が圏になっていれば、三分の一かけるRの二乗かけるπかけるHが立法積だ。円周率が3.1415だと云うことを記憶していれば、わけなく出来るのだ。僕は円周率を小数点下八位まで記憶している。3.14159265になるのだ。実際それ以上の数は不必要だよ」
こう云っているうちに、三人は四つ辻を通り過ぎた。巡査は我々の通る横町の左側、交番の前に立って、茅町を根津の方へ走る人力車を見ていたが、我々には只無意味な一瞥を投じたに過ぎなかった。
「なんだって円錐の立方積なんぞを計算し出したのだ」と、僕は石原に言ったが、それと同時に僕の目は坂の中程に立って、こっちを見ている女の姿を認めて、僕の心は一種異様な激動を感じた。僕は池の北の端から引き返す途すがら、交番の巡査の事を思うよりは、この女の事を思っていた。なぜだが知らぬが、僕にはこの女が岡田ほ待ち受けていそうに思われたのである。果たして僕の想像は僕を欺かなかった。女は自分の家よりは二三軒先へ出迎えていた。
僕は石原の目を掠めるように、女の顔と岡田の顔とを見較べた。いつも薄紅に匂っている岡田の顔は、確かにひとしお赤く染まった。そして彼は帽を動かすらしく粧って、帽の庇に手を掛けた。女の顔は石のように凝っていた。そして美しく瞠った目の底には、無限の残惜しさが含まれているようだった。
この時石原の僕に答えた詞は、その響きが耳に入っただけで、その意は心に通ぜなかった。多分岡田の外套が下ぶくれになっていて、円錐形に見える処から思い附いて、円錐の立法積と云うことを言い出したのだと、弁明したのだろう。
石原も女を見ることは見たが、只美しい女だと思っただけで意に介せずにしまったらしかった。石原はまだ喋り続けている。「僕は君達に不動の秘訣を説いて聞かせたが、君達は修養が無いから、急場に臨んでそれを実行することが出来そうでなかった。そこで僕は君達の心を外へ転ぜさせる工夫をしたのだ。問題は何を出しても好かったのだが、今云ったようなわけで円錐の公式が出たのさ。とにかく僕の工夫は好かったね。君達は円錐の公式のお陰で、平静な態度を保って巡査の前を通過することが出来たのだ」
三人は岩崎邸に附いて東へ曲がる処に来た。一人乗りの人力車が行き違うことの出来ぬ横町に入るのだから、危険はもう全く無いと云っても好い。石原は岡田の側を離れて、案内者のように前に立った。僕は今一度振り返って見たが、もう女の姿は見えなかった。
僕と岡田とは、その晩石原の所に夜の更けるまでいた。雁を婆さんに差し出すと、銀貨を一枚くれた。それで酒と肴を買った。酒を飲む石原の相伴をしたと云っても好い。岡田が洋行の事をおくびにも出さぬので、僕は色々と話したい事のあるのをこらえて、石原と岡田との間に交換せられる競漕の経歴談などに耳を傾けていた。
上条へ帰った時は、僕は草臥れと酒の酔いのために、岡田と鼻かことも出来ずに、別れて寝た。
翌日大学から帰って見ればもう岡田はいなかった。
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「太郎、起きなさい。玉子さんが来ているわよ」
部屋の外で母親が僕の名前を呼ぶ声が聞こえたので目を覚ました。机に突っ伏して寝ていたらしい。僕の寝ている顔と机のあいだには明日の始業式に備えて、新しく貰った国語と世界史の教科書がページを開いたまま置いてある。机の上の目覚まし時計の横にはカップラーメンが箸をつっこんだまま食べかけのが置いてある。国語の教科書には森鴎外の雁が載っている。世界史の教科書にはロシア革命の少し前のところが載っている。その教科書はまだ新品なのに頭の重さをかけられていたのでそのページにはくせがついていた。新しく貰った教科書の少し興味のあるところ、つまり森鴎外の雁と世界史のニコライ二世のところをつまみ読みしているあいだに寝てしまったらしい。そのために夢うつつの中で読んだそれらの教科書の内容が変なふうに合体せられて、変な物語が展開してしまった。
「明日の始業式には一緒に出るんでしょう」ノックもせずに僕の部屋に入って来た幼なじみの玉子が、僕の部屋にあるベッドに腰掛けながら云った。うぐいす色のカーディガンを着ている。どういうわけか、おない年の玉子も僕も同じ高校に入ることになった。ベッドの片隅に腰掛けている玉子を女として今まで意識することはなかったが、確かに女の匂いがした。冷静になってよく見ると玉子は美人だ。その事を今発見した僕の意識を玉子は理解しているのだろうか。
およそ百年前の岡田とお玉はそれぞれの事情や歴史的な背景によって結ばれることはなかった。お玉が岡田を最後に見たときの残惜しい気持が明治、大正、昭和と生き抜いて、平成のこの現代にかたちとなって僕らふたりを幼なじみとしてよみがえらせたのかも知れなかった。まだ女性の地位や権利も認められなかった明治と云う時代においてちっぽけな庶民として、女として生を受けたお玉は百年を経て恋の勝利者となったのかも知れない。もしお玉が現代において、僕の幼なじみの玉子として生まれかわり、いたずらっぽい目で未来の伴侶として僕を見ていてくれるなら、活字の上でお玉に永遠の命を与えてくれた、森鴎外先生ありがとう。
お玉の命よ永遠に。

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