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【小説】アイツとボクとチョコレート【10話】

10話 ボクの大好きな


 夕食の片づけを手伝って、入浴。その後、間髪を入れずすぐに肌の手入れ。髪を丁寧に乾かしたら、ボクは隣の姉さんの部屋へ行く。
 エアコンを切っていたから部屋の中は少しむっとした。換気のために窓を開けると、夜風がコレクションドールの髪を揺らす。そのすぐ横に置かれたフォトフレームの中で笑う、ボクとよく似た顔立ちの少女。
 
 鈴野べるのラン。
 6つ年上の姉さんは、5年前に交通事故で死んだ。
 その日の朝は元気だったのに、夕方に再会した時は包帯まみれなんて、誰が想像できただろう? よくボクの手を引いてくれていた優しい手も、握れないほど分厚く腫れ上がっていた。
 何が起きているのだろう。姉さんが何をしたっていうんだろう? 幼いボクは混乱のあまり暴れてしまい、病院の別室に寝かされることになった。
 そして3日後。彼女はついに帰らぬ人となった。憧れていた高校の入学式の、ほんの数日前のことだった。

 ボクは姉さんが大好きだった。物心ついた時から何でも真似をしたがって、女の子の服を着るのもその延長上にすぎなかった。両親はそんなボクを決して笑うことなく、好きにさせてくれた。
 姉がいなくなっても、ボクと両親の関係は何も変わらなかった。3人それぞれに、失ったものは大きかったけれど。
 
 でも何もかも同じだったわけじゃない。父は大好きな自動車を売り払い、どこに行くのも徒歩か電車。趣味は農園。健康的に見えるかもしれないけど、身近にいるとどこか強迫じみたところが見え隠れして、胸が痛くなる。

 母はボーッとすることが多くなった。心ここにあらずとでもいおうか。今朝も「目玉焼きは両面ね」なんて自分で確認したくせに、そのすぐ後に、綺麗な半熟目玉焼きを片面で作ってくれた。ちょっとしたドジなんて話じゃなくて、こんなことはしょっちゅうだ。以前はもっときっちりした人だったんだけど。

 それでも月日は人を癒していく。悲しみは消えなくても。新しい家族の形を、ボクたちは歩み始めていた。

「ねえ……ボク、これ着ていい?」

 勇気を出して両親に頼んだのは、姉と同じ高校に合格した時のこと。5年間袖を通されることなく、壁の飾り物だったセーラー服を指さしながら、内心許されるわけがないと震えていた。
 これは姉さんの遺品だ。そしてボクは男だ。更に言えば、数年前に龍花たちばな高校の制服はセーラー服からブレザーに替わっている。
 2人はしばらく黙り込んでいたけれど、最後には何度もうなずいて、こう言ってくれた。

「りんに着てもらえたら、姉さんも喜ぶと思うぞ」
「ランちゃんの分まで高校生活楽しんでね」

 亡くなった娘の制服を、その弟が着る。両親も複雑だっただろうに、願いを聞き入れ、学校にも確認を取ってくれた。感謝しかない。ボクは恵まれている、本当に。

 もしセーラー服を禁じられ、普段の服も男物を強要されていたら。姉の部屋に入ることを禁じられていたら。そう思うとゾッとする。
 この部屋を自分の部屋よりもずっと綺麗に掃除して、棚にある姉の本を読んで、姉の好きだったことを真似て、必死に不在を埋めているのに。だってそうしないとボクの心に開いた穴は、もっと大きくなって、いつかボクを飲み込んでしまうだろうから。
 
――いつまでそうしてるつもり? 姉さんはもういないんだよ。

 心の底から聞こえてくる声に、耳をふさぐ。病んでいると言われても、それが今の精一杯の平穏だから。この平穏さえ守れればボクはそれで充分だから。……そう思っていたのに。

「ベル様の末裔であるあなたに、恩を返したいんです!」

 ……なんなんだよ。意味わかんない。

「命の灯さえ消えてなければ、ケガでも病でも治せますよ!」

 本当になんなんだよ! アンタは!

 だったら今じゃなくて5年前に来てよ。1000年に比べたら、5年くらいどうってことないでしょ。姉さんのところに来て、姉さんを助けてよ! いつまでも死んだ姉にすがってばかりの、こんな情けないボクのところじゃなくて……。
 
 いつの間にか、小さなぬいぐるみを握りしめていることに気づいた。

「……ごめん。痛かったよね」

 偏ってしまった綿を揉んで直し、定位置に戻す。

(……これが八つ当たりだってくらい、わかってる)

 だけどもう、あの教師の顔は二度と見たくない。
 
 ボクは顔からどさりとベッドに倒れ込み――そのまま疲れて眠ってしまった。

>>11話へつづく


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