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ちょっと思い出してみる

はじめまして、中野です。
普段はトマト農家として生きています。SONISUMMIT では非常勤という関わり方にはなりますが、SNSの更新や、『村の眼』の撮影、賑やかし、が主な業務です。どうぞ、よろしくお願いします。


映画を観ることが好きで、SONI CINEMAという移動映画館を主宰したりもしています。先日は橿原の映画館にて『ちょっと思い出しただけ』を観ました。(曽爾村からの最寄りの映画館です。映画館のことを話し出したら止まらないので割愛しますが)とても良い映画だったので、そのタイトルに感化されて、曽爾村に来た当時の頃をちょっと思い出してみようと思います。


僕が曽爾村へ移住したのは、2016年の4月。もう7年目に突入!はやい!トマト農家の研修生として、地域おこし協力隊の制度を利用して移住しました。移住というよりは転職に伴う引っ越しのような感覚が近いのかな。前職での勤務を3月31日ぎりぎりまで残業して引継ぎをし、そのまま荷物を車に詰め込んで夜中に引っ越し(夜逃げ?)、そして4月1日から曽爾の仕事に着任という、人生で最も振れ幅の大きい1日だったと思います。夜中の引っ越しの道中、曽爾に入る最後のトンネルを抜けたとき、目の前に10匹以上のシカの群れが道を塞いでいました。ああ、えらいとこに来たんだなあと実感した瞬間でした。


そんな夜逃げ、もとい、移住から早くも6年が経過しました。初めてのひとり暮らしが曽爾村。最初は、空き家バンク登録の物件の中から、すぐ入居できる物件に入りました。


曽爾村での暮らしに求めていたことのひとつが、“不便な暮らし”の中にある豊かさを体で感じることでした。最初に入った物件は、特別古いわけでもなく、ボタンをポチと押すとお湯が沸いて、火がついて、不自由のない暮らし。果たしてこのままでいいのかというときに、出会ったおもしろそうな物件。築90年ほどの古民家。現役で使えるかまどに薪風呂。修繕が必要な箇所は多数あり、トイレの改修作業や床張り、壁塗りなど、素人作業ながらも、村内のプロの職人さんに教えてもらい、ある程度できるようになりました。この暮らしを通して、便利の裏側にあることの気づきがあったり、床を作る過程から社会の構造と通ずることに気づいたり、不便だからこそ、頭を使い体を動かし、得られる豊かさがたくさんあったなと思います。そんな思い入れのある物件からも、また引っ越して、今は築40年ほどの日本家屋に住んでいます。


曽爾村に来てから3軒の家に住んでいるのですが、自身の求めることの変化や生活様式の変化に応じて引っ越すのは全然アリだと思います。必ず、最初に住んだ家に住み続けないといけないこともないと思います。


その中で気づいたことが、村内で希望の物件を見つけるのはなかなか難しいということ。移住や引っ越し希望者の相談に乗るのは村内在住者がいいのではということ。


移住希望者に貸してもらえる物件を発掘すること、移住者が移住希望者の相談に乗ったりリアルを伝えること、そんな役割を果たせる団体ができたらなあというところからSONI SUMMITはできました。まだまだ組織として課題はたくさんですが、曽爾村への移住を通して、自分らしい生き方がふつうにできる、そんなきっかけを作り出せる取り組みや発信をしていけたらと思います。


曽爾村に引っ越してきたときのことを、ちょっと思い出してみました。


中野

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