私と詩

 やっとこさ、仕事納めでございました。政府系医療機関の職員でありますので、基本は公務員と同じカレンダーの上で生活をしています。しかし、同時に民間職員でもあるいわゆる「みなし公務員」であり、医療法により定められた病院事務職員としては診療報酬請求が翌月10日厳守というルール上、休んでる気持ちにならない年末年始でもあります。

 診療報酬支払基金も国保連合会も大変ですね、と事務員としては思うわけですが。

 さて、私はどうして詩を書いてるんだろう。と、思ってみてたりみなかったりしているので、詩に触れたきっかけをば。

 詩そのものについては小学生の授業などでやるものでして、特に私が小学生のころに訪れた金子みすゞブームや、谷川俊太郎の詩などに触れましたし、中学校の時に初恋の女子を追っかけて混声合唱部に入った時も合唱を通じて詩に触れる機会を得たと思います。

 一番はやはり、大学の時。そして、これも合唱でした。初恋も散り、高校では音楽をやらず、大学に入ってグリークラブに半ば強引に拉致・監禁されて入団して男声合唱をしましたが、そこで出会った立原道造の「夢見たものは」と三好達治の「鷗」。この2作に私は心惹かれて、恋焦がれて、この2人の詩集を読み漁りました。

 参考までに、「夢見たものは」と「鷗」の詩を。

夢みたものは

夢みたものは ひとつの幸福
ねがったものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しずかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある

日傘をさした 田舎の娘らが
着かざって 唄をうたっている
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊りをおどっている

告げて うたっているのは
青い翼の一羽の 小鳥
低い枝で うたっている

夢みたものは ひとつの愛
ねがったものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と

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つひに自由は彼らのものだ

彼ら空で恋をして
雲を彼らの臥所とする

つひに自由は彼らのものだ

太陽を東の壁にかけ
海が夜明けの食堂だ

つひに自由は彼らのものだ

つひに自由は彼らのものだ

彼ら自身が彼らの故郷
彼ら自身が彼らの墳墓

つひに自由は彼らのものだ

太陽を西の窓にかけ
海が日暮れの舞踏室だ

つひに自由は彼らのものだ

つひに自由は彼らのものだ

ひとつの星を住みかとし
ひとつの言葉で事足りる

つひに自由は彼らのものだ

朝焼けを明日の歌とし
夕焼けを夕べの歌とす

つひに自由は彼らのものだ

 どちらも私には意外と目の前に幸せや自由は存在している、という気にさせられました。立原道造の若くして亡くなるものの、多くのソネットを残し、その14行詩にわたしは惹かれました。「無名人の詩」の中にも多くの14行詩が混ざっています。

 立原道造の詩では、ほかにも

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その一

空と牧場のあひだから ひとつの雲が湧きおこり
小川の水面に かげをおとす
水の底には ひとつの魚が
身をくねらせて 日に光る

それはあの日の夏のこと!
いつの日にか もう返らない夢のひととき
黙つた僕らは 足に藻草をからませて
ふたつの影を ずるさうにながれにまかせ揺らせてゐた

……小川の水のせせらぎは
けふもあの日とかはらずに
風にさやさや ささやいてゐる

あの日のをとめのほほゑみは
なぜだが 僕は知らないけれど
しかし かたくつめたく 横顔ばかり

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わかれる昼に

ゆさぶれ 青い梢を
もぎとれ 青い木の実を
ひとよ 昼はとほく澄みわたるので
私のかへつて行く故里が どこかにとほくあるやうだ

何もみな うつとりと今は親切にしてくれる
追憶よりも淡く すこしもちがはない静かさで
単調な 浮雲と風のもつれあひも
きのふの私のうたつてゐたままに

弱い心を 投げあげろ
噛みすてた青くさい核(たね)を放るやうに
ゆさぶれ ゆさぶれ

ひとよ
いろいろなものがやさしく見いるので
唇を噛んで 私は憤ることが出来ないやうだ

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またある夜に

私らはたたずむであらう 霧のなかに
霧は山の沖にながれ 月のおもを
投箭のやうにかすめ 私らをつつむであらう
灰の帷のやうに

私らは別れるであらう 知ることもなしに
知られることもなく あの出会つた
雲のやうに 私らは忘れるであらう
水脈のやうに

その道は銀の道 私らは行くであらう
ひとりはなれ……(ひとりはひとりを
夕ぐれになぜ待つことをおぼえたか)

私らは二たび逢はぬであらう 昔おもふ
月のかがみはあのよるをうつしてゐると
私らはただそれをくりかへすであらう
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 晩おそき日の夕べに

大きな大きなめぐりが用意されてゐるが
だれにもそれとは気づかれない
空にも 雲にも うつろふ花らにも
もう心はひかれ誘はれなくなつた

夕やみの淡い色に身を沈めても
それがこころよさとはもう言はない
啼いてすぎる小鳥の一日も
とほい物語と唄を教へるばかり

しるべもなくて来た道に
道のほとりに なにをならつて
私らは立ちつくすのであらう

私らの夢はどこにめぐるのであらう
ひそかに しかしいたいたしく
その日も あの日も賢いしづかさに?

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 妙なロマンチックさや、自然の調和とか、自然の移ろいとか、目の前の小さな風景は立原道造の詩に多少なりとも影響を受けているかもしれません。そこまで技巧的ではありませんが私のは・・・。

 精神面で私の詩は三好達治をモチーフにすることがあります。立原道造は明るくて、ポジティブで、目の前の小さなことにも喜びを見出しているような気持ちになるのですが、三好達治は悲しみとか渇望、センチメンタルな気持ちを思い起こさせるものがあります。

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雨後

一つ また一つ
雲は山を離れ
夕暮れの空に浮かぶ
雨の後
山は新緑の襟を正し
膝を交えて並んでゐる
峡の奥 杉の林に
発電所の燈がともる
さうして後ろを顧みれば
雲の切れ目に 鹿島槍

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花ばかりがこの世で私に美しい。
窓に腰かけてゐる私の、ふとある時の私の純潔。

私の膝。私の手足。(飛行機が林を越える。)
――それから私の秘密。

秘密の花弁につつまれたあるひと時の私の純潔。
私の上を雲が流れる。私は楽しい。私は悲しくない。

しかしまた、やがて悲しみが私に帰つてくるだらう。
私には私の悲しみを防ぐすべがない。

私の悩みには理由がない。――それを私は知つてゐる。
花ばかりがこの世で私に美しい。

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Enfance finie

海の遠くに島が……、雨に椿の花が堕ちた。鳥籠に春が、春が鳥のゐない鳥籠に。

約束はみんな壊れたね。

海には雲が、ね、雲には地球が、映つてゐるね。

空には階段があるね。

 今日記憶の旗が落ちて、大きな川のやうに、私は人と訣わかれよう。床ゆかに私の足跡が、足跡に微かな塵が……、ああ哀れな私よ。

僕は、さあ僕よ、僕は遠い旅に出ようね。

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風の早い曇り空に太陽のありかも解らない日の、人けない一すぢの道の上に私は涯しない野原をさまようてゐた。風は四方の地平から私を呼び、私の袖を捉へ裾をめぐり、そしてまたその荒まじい叫び声をどこかへ消してしまふ。その時私はふと枯草の上に捨てられてある一枚の黒い上衣を見つけた。私はまたどこからともなく私に呼びかける声を聞いた。

――とまれ!

 私は立ちどまつて周囲に声のありかを探した。私は恐怖を感じた。

――お前の着物を脱げ!

 恐怖の中に私は羞恥と微かな憤りを感じながら、余儀なくその命令の言葉に従つた。するとその声はなほ冷やかに、

――裸になれ! その上衣を拾つて着よ!

 と、もはや抵抗しがたい威厳を帯びて、草の間から私に命じた。私は惨めな姿に上衣を羽織つて風の中に曝されてゐた。私の心は敗北に用意をした。

――飛べ!

 しかし何といふ奇異な、思ひがけない言葉であらう。私は自分の手足を顧みた。手は長い翼になつて両腋に畳まれ、鱗をならべた足は三本の指で石ころを踏んでゐた。私の心はまた服従の用意をした。

――飛べ!

 私は促されて土を蹴つた。私の心は急に怒りに満ち溢れ、鋭い悲哀に貫かれて、ただひたすらにこの屈辱の地をあとに、あてもなく一直線に翔かけつていつた。感情が感情に鞭うち、意志が意志に鞭うちながら――。私は永い時間を飛んでゐた。そしてもはや今、あの惨めな敗北からは遠く飛び去つて、翼には疲労を感じ、私の敗北の祝福さるべき希望の空を夢みてゐた。それだのに、ああ! なほその時私の耳に近く聞えたのは、あの執拗な命令の声ではなかつたか。

――啼け!

 おお、今こそ私は啼くであらう。

――啼け!
――よろしい、私は啼く。

 そして、啼きながら私は飛んでゐた。飛びながら私は啼いてゐた。

――ああ、ああ、ああ、ああ、
――ああ、ああ、ああ、ああ、

 風が吹いてゐた。その風に秋が木葉をまくやうに私は言葉を撒いてゐた。冷めたいものがしきりに頬を流れてゐた。

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たまきはる

たまきはる命はかなし・・・・・・・
 かくはまた老いおとろへし命さへ
 いたみなやめる日の空に
 石榴の花は咲きいでぬ
 なにごとの合図のこゑか
 世はおしなべてみどり濃き昼のしじまに
 火よりもあかし
 その花あかし
 いざさらばわれもうたはな
 えしやよし耳かす人はあらずとも
 わが胸底のふる歌を
 われもうたはな

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 平和な時代に建築の卵として東京帝大で学び、若くして亡くなった立原道造と、近代詩の雄で世界大戦を生き、軍で教育を受けながら生きるために詩を書いた三好達治とを比べるのはあれですが、私はどちらにも「自然と心」、「目の前の小さな幸せ、渇望」があるのだろうなと思うのです。

 そんなわけで、私は詩を書くとき、私の目の前の一瞬とそこにある何かを感じられるようにと思いながら考えます。そして、私の詩は写真のようなもので絵画のようなものですので、あまり深く考えていません。技巧的に撮影した写真ではなくて、観光地で何気なく撮った写真の一瞬を詩にしたいのです。

 ちなみにですが、上記に紹介した詩は多くが合唱曲に編曲されています。ぜひYouTubeで探してみてください。たぶんに編曲者の曲調にも私は影響を受けている気もしています。

 もうすぐ1年が過ぎようとしている折ですので、私にとっての詩というものを長々長々と書いてみました。

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