斎藤 実
生没年月日
1858年(安政5年)12月2日 ー 1936年(昭和11年)2月26日
出身地
陸奥国胆沢郡塩竈村 (現:岩手県奥州市水沢)
学歴
海軍兵学校(第6期)
アメリカ留学
年表
1858年(安政5年)12月2日
水沢藩士で水沢藩目付を務める斎藤家に生まれる。
幼名は「富五郎」
1879年(明治12年)4月
海軍兵学校(第6期) 卒業
このころに名前を「実」に改める。
1882年(明治15年)9月
海軍少尉 任官
1884年(明治17年)2月
海軍中尉
1884年(明治17年)9月
アメリカ留学
アメリカ駐箚日本国公使館駐在武官
1886年(明治19年)7月
海軍大尉
1893年(明治26年)12月
海軍少佐
1894年(明治27年)
日清戦争大本営海軍参謀
1894年(明治27年)9月
侍従武官
1895年(明治28年)2月
巡洋艦「和泉」副長
1895年(明治28年)5月
海軍常備艦隊参謀
1896年(明治29年)11月
戦艦「富士」副長 兼 戦艦「富士」回航委員
1897年(明治30年)12月
海軍中佐
そのひと月経たずに海軍大佐に昇進。
巡洋艦「秋津洲」艦長
1898年(明治31年)10月
巡洋艦「厳島」艦長
1898年(明治31年)11月
海軍次官
1900年(明治33年)5月
海軍少将
海軍省軍務局長 兼任
1903年(明治36年)10月
海軍艦政本部長
1904年(明治37年)2月
海軍省軍務局長 兼任
日露戦争大本営海軍軍事総監 兼 大本営海軍軍務部長
1904年(明治37年)6月
海軍中将
1905年(明治38年)2月
海軍教育本部長 兼任
1906年(明治39年)1月
第1次西園寺公望内閣・海軍大臣 (~1908年7月)
1907年(明治40年)9月
男爵
1908年(明治41年)7月
第2次桂太郎内閣・海軍大臣 (~1911年8月)
1911年(明治44年)8月
第2次西園寺公望内閣・海軍大臣 (~1912年12月)
1912年(大正元年)10月
海軍大将
1912年(大正元年)12月
第3次桂太郎内閣・海軍大臣 (~1913年2月)
1913年(大正2年)2月
第1次山本権兵衛内閣・海軍大臣 (~1914年4月)
1914年(大正3年)5月
予備役編入
予備役海軍大将
1919年(大正8年)8月
現役復帰
海軍大将
第3代朝鮮総督 (~1927年12月)
1925年(大正14年)4月
子爵
1927年(昭和2年)4月
ジュネーブ海軍軍縮会議日本国政府全権代表
1927年(昭和2年)12月
後備役編入
後備役海軍大将
枢密顧問官 (~1929年8月)
1928年(昭和3年)11月
退役
退役海軍大将
1929年(昭和4年)7月
王公族審議会審議官
1929年(昭和4年)8月
第5代朝鮮総督 (~1931年6月)
1932年(昭和7年)5月
第30代内閣総理大臣 (~1934年7月) 兼 外務大臣 (~1932年7月)
1934年(昭和9年)3月
文部大臣 兼任 (~1934年7月)
1935年(昭和10年)6月
少年団日本連盟(現:公益財団法人ボーイスカウト日本連盟)総長
1935年(昭和10年)12月
財団法人大日本映画協会会長
内大臣 (~1936年2月)
1936年(昭和11年)2月26日
東京府東京市四谷区(現:東京都新宿区四谷)の自宅にて陸軍青年将校団により銃撃され内大臣在職中のまま死去。
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