小川 郷太郎



生没年月日

1876年(明治9年)6月9日 ー 1945年(昭和20年)4月1日

出身地

岡山県浅口郡新庄村 (現:岡山県浅口郡里庄町)

学歴

岡山県立岡山中学校 (現:岡山県立岡山朝日高等学校)
 
開成中学校 (現:学校法人開成学園 開成中学校・高等学校)
 
第一高等学校 (現:国立大学法人東京大学)
 
東京帝国大学法科大学政治学科

年表

1876年(明治9年)6月9日


現在の里庄町に住む村山家に生まれる。
後に、医師の小川家の養子となる。

旧制岡山県立岡山中学校、旧制開成中学校、旧制第一高等学校で学ぶ。
 
1903年(明治36年)7月
東京帝国大学法科大学政治学科 卒業
大蔵省 入省
 
1910年(明治43年)
京都帝国大学経済学部教授
その後、京都帝国大学経済学部長を歴任。

1917年(大正6年)4月


第13回衆議院議員総選挙において京都選挙区から無所属で出馬し当選。
衆議院議員 (~1920年2月)

 
1924年(大正13年)
旧制拓殖大学学監

1924年(大正13年)5月


第15回衆議院議員総選挙において岡山5区から無所属で出馬し当選。
衆議院議員 (~1945年4月)
以降、衆議院予算委員長など歴任。
 
1924年(大正13年)6月
政友本党政務調査会長
 
1927年(昭和2年)6月
立憲民政党岡山県支部長
以降、立憲民政党政務調査会長など歴任。
 
1929年(昭和4年)7月
濱口雄幸内閣・大蔵政務次官 (~1931年4月)

1936年(昭和11年)3月


廣田弘毅内閣・商工大臣 (~1937年2月)

1940年(昭和15年)9月


第2次近衛文麿内閣・鉄道大臣 (~1941年7月)

 
1943年(昭和18年)
大政翼賛会総務委員
 
1943年(昭和18年)8月
ビルマ国(バー・モウ政権)政府最高顧問

1945年(昭和20年)4月1日


ビルマ国からの帰国の際に乗船していた貨客船「阿波丸」が東シナ海海上航行中にアメリカ海軍の潜水艦による攻撃を受け撃沈され衆議院議員在職中のまま死去。
 


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