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エーリッヒ・ケストナー『エーミールと探偵たち』

優れた児童小説は読者の心を晴れやかにする魔法を持っている。なかでもケストナーはとびきりの魔法使いで、代表作のひとつである『飛ぶ教室』を読んだことのある人の大半に納得してもらえるのではないでしょうか。

最初にケストナーの児童文学作家としての名を知らしめた『エーミールと探偵たち』から既にその魔法は冴えわたっています。母親思いの少年、エーミールが休暇に母親の祖母と従妹のポニーに会いにベルリンに向かいます。その途中、居眠りしてる間に同じ汽車に相席した山高帽の男に、預かった現金を盗まれてしまったのです。すっからかんでベルリンの入り口に降り立ったエーミールは、地元の少年たちの助けを借りて、山高帽の男を追って行く…という話ですが、登場する少年たちや従妹のポニーの個性が生き生きと描かれているのがなんといっても本書の大きな魅力です。

主人公のエーミールは挨拶もきちんとするし、生活のために奮闘する母親の苦労をちゃんと理解し、病気の時は自ら手料理を振る舞う「良い子」ですが、優等生的な退屈さはみじんも感じられません。母親を尊敬し、強い意志で「良い子」であることを選んだ彼は、窮地にたっても積極的に行動します。その一方で、自分のやった落書きがお巡りさんにバレることを恐れる面もあって、そこが共感を呼ぶのです。

彼に協力するベルリンの子供たちも個性派ぞろい。クラクションをいつも持参しているグスタフ、チームリーダーとして皆んなを引っ張る「教授」。強い責任感を持って電話番につく子、尾行の名人、エーミールからの殿ほどを受け取るや自転車でさっそうとかけつけ、その場の皆んなを圧倒する従妹のポニーなどなと。『飛ぶ教室』のクラスメイトたちもそうであったように、こうした活発な子供たちの群像を描かせたらケストナーは天下一品です。

少年たちが抜群のチームワークで犯人を追い詰めていく様は、大都市を舞台とした冒険活劇としての愉しさに満ちています。上手く行きすぎるくらいトントン拍子に運ぶストーリーなのに、底が浅いと思わせないのは見事というしかありません。

また、この小説は一種のメタフィクションとしての即面を持つことも忘れてはならないでしょう。第1章と第2章は作者であるケストナーがこの物語を思いついた由縁と登場人物のプロフィール紹介に費やされます。またケストナー自身も、新聞記者として物語に登場。特に後半では重要な役割を果たしています。こうした仕掛けがあざとさを感じさせるどころか、読者と作品の距離を縮めて、親しみを感じさせることに貢献しているのが、ケストナーの素晴らしい魔法。ナチスの影が色濃くなっていく時代を生き抜いた彼の作品の魔法は、今の私たちをも酔わせる力を秘めているのです。

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