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ゴミシンガーの生まれ(2)

そびえ立つ煙

周りの大人は、リアリティのない「現実」ってのを、人を脅すためだけに言葉にする人ばかりでした。
今でもよく遊ぶ友人は、みんな中学の友達です。大好きで、大切な人たちです。だからこそ、僕にとって高校進学は、人生に関わる問題となりました。

例の一件で僕は人を信じる力を無くしました。高校の時、中学の後輩の女の子に僕の印象を聞いたことがあります。「女嫌いなんですよね」
今の僕を知ってる人なら、信じられないかも信じられないかも知れません。でも、そんな時もありました。
女嫌い、で収まればよかったんです。みんなの想像以上に、もっともっと大きなものでした。
憂鬱な暗闇は、ものすごいパワーで僕の脚をひっぱる。底に僕の頭が着くまで、満足しないんです。僕は、自分さえも疑って生活しなければいけませんでした。他人の視線が突き刺さり、とんでもなく痛かった。もしかすると、僕のことが嫌いなのかもしれない。いや、そうに違いない。根拠無く表に出した振る舞いはどんどん自分の首を絞めていきます。
僕が目を合わせると、相手は嫌がるかもしれない。目を見て話さない僕を教師は何度も注意しました。
それでも、治ることはありませんでした。とにかく、人に嫌われるのが怖かったんです。

高校進学、僕は市外の私立高校に推薦を出してもらいました。でも、やめました。友達が行かないからです。唯一僕の居場所になっていた友達が1人もそこには行かないんです。だから、友達の行く県立高校を受けさせてください。そう言いました。
教師はものすごく怒りました。校長から教頭、各学年主任に頭を下げてこいと怒鳴りつけられました。頭を下げて回りました。涙を浮かべて頭を下げ、説教を受けたり、励ましを受けたり。きっと、中学で1番熱を帯びた瞬間だったと思います。
その結果、僕は違う私立高校に行くことになりました。お前はここに行けと。学年主任は僕にこう教えてくれました。中学の友達は、後で会わなくなる。高校の友達は、今後もずっと遊ぶことになる。僕はその言葉を信じるしかありませんでした。きっと卒業したら会わなくなる人に僕の人生を決められた瞬間でした。家族でもなく、血が近い訳でもない。ただ、3年間僕の頭を叩き続けたおじさんに。
中学卒業は、それ故に未練を残すことになりました。卒業式の練習で泣き、予行で泣き、本番で入場から退場まで泣きました。母親曰く、キモかったそうです。

高校に入った僕はクラスに馴染めず、悩みました。変な体育館がある仏教の高校でした。混乱します。1ヶ月ほどしてから体育会系の友達が何人かできてなんとか楽しく過ごせましたが、生身の僕には厳しい環境でした。中学の反動か、僕は2人の女の子に同時に告白をして、クラスの女の子がほとんど口を聞いてくれなくなった時もありました。僕が悪いんですけど。
ちなみに例の畜生の友達も同じ高校でした。2週間ぐらいで退学していました。僕は僕で、オレンジ色の頭髪で高校に行き、校門で追い返されたりして。そんなバカをしながら1年が過ぎました。
僕には夢がありました。心理学者、カウンセラーです。自分みたいな人たちの力になりたいと思っていました。ありきたりですかね。
だから僕にとって高校のスクールカウンセラーは憧れでした。入学式のあいさつで、カウンセラーと紹介され一歩前に出る。凛々しく、光り輝いていた。声も、とても優しかった。

2年に上がった時です。僕が悩んでしまいました。家庭のことでした。今でこそ普通の夫婦ですが、僕の両親は喧嘩の絶えない人でした。僕は環境が壊れるのが怖かったんです。もし、離婚になったら。僕は悩みました。どんどん元気がなくなりました。
気付いたら、僕は1週間ほど学校に行っていませんでした。無断欠席等の理由で2回目の反省文を書くことになります。頭髪や遅刻のことで生徒指導室には定期的に通っていました。生徒指導室の、イヤらしいガラス張りのスペース。反省文を書いたらそこに入りなさいとのこと。僕は思うがまま書きました。友達のこと、家庭のこと。課題を進める僕の後ろ、ガラスを一枚挟んだ向こうには生徒指導の教師とスクールカウンセラーがいました。僕は密かにワクワクしていました。やっと、憧れのカウンセラーと話せる。
ガラス越しに声が聞こえます。
「この子、おかしいね」
とても優しい声で、薄ら笑いを浮かべながら僕の反省文を読んでいました。
ペンを動かせなくなりました。文字が読めなくなりました。ノートに涙が落ち、とても大きな暗闇が僕を包みました。
当然の様に僕は学校に行かなくなりました。でも、僕には救いがありました。同じ高校に通う後輩で、こんな僕と付き合ってくれている人でした。とても美人で優しく、僕は毎日その子にお弁当を作っていました。またお話ししますが、その子ともいろんなことがありました。僕の状態は酷くなっていましたが、きっと交際を楽しんでくれているだろうと思っていました。

担任は、ものすごくいい先生でした。度々うちまで来てくれて、話を聞いてくれました。
3年に上がる時、うちに来て進級の話をしました。「このままやめるか、もう一度2年をやるか。どうする?」
悩みました。留年すれば尚更厳しい環境に行くことになる。友達は1人もいない。それに加え、“留年した生徒”になる。でも、人生をやり直すチャンスでした。僕はまだ生きたかったし、ちゃんと勉強して大学にも行きたかった。相談をする僕に彼女は言ってくれました。「あなたがひとりぼっちにならない様に、休み時間は毎回あなたのクラスへ行く」
僕はつま先からグツグツと伝わる熱を感じました。よし、頑張ろう。やり直そう。ここから頑張って、人の助けになることがしたい。
担任に電話をかけ、留年すると伝えました。

翌日、希望に満ちた朝が来ました。僕を包み込んでいた暗闇は部屋の隅で小さくなっていました。
担任から電話が来たと母親から言われました。担任は僕の彼女に確認を取ったそうです。担任曰く、「どうでもいい」と言っていたそうです。あれ、よくわかりませんよね。僕もよくわかりませんでした。よくわからなかったので彼女に聞きました。彼女からは、ごめんなさいとだけ返信が来て、それ以降は何も来ませんでした。
感情をぶつける相手、ただ頷き話を聞いてくれるその姿に依存していたんです。僕は彼女を、愛せていなかった。
待っていたと言わんばかりに暗闇が僕を飲み込みました。完全に飲まれました。包まれるとかじゃなく、飲まれました。喉を通る音が聞こえ、僕は消化液の中でもがくことしかできませんでした。

(続きます)

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