今日が最期のように生きろ
私が好きな言葉に上記のようなものがある。
意味としては、
誰も見ていないかのように踊れ、誰も聞いてないかのように歌え、そしてあなたの最期の日のように生きろ、
というものだ。
有名なアイルランドのことばである。
生き急いでるかのような言葉だが、当時高校生の私はこの言葉に憧れを覚えた。それからはずっと私の軸となっている。
訳もわからず何かに不安になることがある。
あの人の嫌がることをやってしまったかもしれない。あの機微が誰かに嫌な思いをさせてしまったかもしれない。この先、自分はやっていけるのだろうか。
そうやって気持ちは過去に未来に揺れていく。
そんなときどうするか。
このままうじうじ悩み続けるのはかっこいいことか?と問う。大体答えはNOだ。そんな私はかっこよくないし、誇れない。
もし明日私が死ぬとして、今の私はそれを伝えない選択をしたらどう感じるか?その結果どうなるかはわからないが、私が死にきれない気がする。
無意識に建設的自己否定をしていたらしい。そうやって私は今に帰ってくる。
今を生きていれば、過去に囚われることもなければ、起きるかわからない未来に不安になることもない。
今このときを選択して、最善を尽くす。
過去は思い出を懐かしむためにあって、未来は希望を抱くためにある。
誰も聞いていないとしても、届かないとしても、私はただ紡ぐだけなんだ。
巡り巡って小さな波紋は大きな波になる。水は蒸発して雲になってまた雨となり降ってくる。
私が心の赴くままに呟いたものは循環する。その影響の波は小さいかもしれないけれど、どこかに留まることなく流れていく。
私は自分一人の幸せは願えない。どこかお祭り野郎みたいなところがあるから、自分一人の幸せで満足はできない。一人が寂しいのだと思う。ある意味で傍に誰かがいるのが当たり前になっている。
それに、私にとっての幸せが他者があっての幸せなのであれば、私以外の誰かが私の幸せを祈ってくれる。そう信じている。
過去の私が愛した人も、今の私が愛している人も、未来の私が愛する人も。
私は愛してる人が夜眠れるように、素敵な夢を見れるように、ただ祈りたい。
あなたが素敵な夢を見られますように。
May the wind be ever at your back
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