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わたしたちの「よき祖先」|M.Sさん


「あのとき それは 確かにあって
 僕は 確かに そこにいた」

いまも記憶を刻むように
いつだったかの風景をなぞる。

光の場所へと、坂道を昇る人々。

なにか、とても "美しいもの" を見てしまった
そんな感覚だった気がする。


ああ、僕はここに繋がっていたいんだー

そう湧いてきた感覚は、とても自然なものだった。
自然発生的に集うものたちと、確かに共有し合ったあの空間。あの時間。
言葉やかたちを介す必要のない、シーンの連なり。

ほんとうに、なんとも美しい光景だった。


ものごとの大小や、かかる熱量に拘わらず
同じトーンで違和感への手当てを繰り返す。
熟す過程を見守りながら、ただ、手当てを繰り返す。

彼の手元はそうやって、常に時々の心地よさに更新されていた。


そこでの交流は僕にとって、まだ眠るあれこれのスイッチを
一つずつ入れていく作業の積み重ねのようだった。
そうして純度100%に機能したとき、代わりのない「ひとつ」が生まれた。

その「ひとつ」を、彼はとても喜んだ。


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"夢" で "魔法" のようないくつもが
"夢" でも "魔法" でもなかったことを
今、経験を重ねながら気づいている。

すべては、自らを存分に注いで生きた、
ひとりの人間の絶え間ぬ「生きる」行為そのものだった。

すべては、彼の日常だった。 


「Sさん、いいこと(しごと)をしましたね。」

もう聴くことのない、その声に耳を澄ませて
模索しながら応える僕の日常は、これからもきっと続くだろう。

いつか、自分から若者たちへ渡したい。
生きて、いただいた一生分の恩をお返ししたいと思うんです。



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