わたしたちの「よき祖先」|M.Sさん
「あのとき それは 確かにあって
僕は 確かに そこにいた」
いまも記憶を刻むように
いつだったかの風景をなぞる。
光の場所へと、坂道を昇る人々。
なにか、とても "美しいもの" を見てしまった
そんな感覚だった気がする。
ああ、僕はここに繋がっていたいんだー
そう湧いてきた感覚は、とても自然なものだった。
自然発生的に集うものたちと、確かに共有し合ったあの空間。あの時間。
言葉やかたちを介す必要のない、シーンの連なり。
ほんとうに、なんとも美しい光景だった。
*
ものごとの大小や、かかる熱量に拘わらず
同じトーンで違和感への手当てを繰り返す。
熟す過程を見守りながら、ただ、手当てを繰り返す。
彼の手元はそうやって、常に時々の心地よさに更新されていた。
そこでの交流は僕にとって、まだ眠るあれこれのスイッチを
一つずつ入れていく作業の積み重ねのようだった。
そうして純度100%に機能したとき、代わりのない「ひとつ」が生まれた。
その「ひとつ」を、彼はとても喜んだ。
"夢" で "魔法" のようないくつもが
"夢" でも "魔法" でもなかったことを
今、経験を重ねながら気づいている。
すべては、自らを存分に注いで生きた、
ひとりの人間の絶え間ぬ「生きる」行為そのものだった。
すべては、彼の日常だった。
「Sさん、いいこと(しごと)をしましたね。」
もう聴くことのない、その声に耳を澄ませて
模索しながら応える僕の日常は、これからもきっと続くだろう。
いつか、自分から若者たちへ渡したい。
生きて、いただいた一生分の恩をお返ししたいと思うんです。
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