「生きてるだけで偉い」って怖くね?

生きてるだけで偉いって、「生きてる」より「偉い」の方が大事みたいで変。生きてるっていうのは偉いとか偉くないとか息するとか全部含んでの言葉なのに、一番大事なはずの「生きてる」に「だけで」をつけて、「偉い」を持ち上げている。なぜ?お前何様?最近の若者はこれだから…

一旦落ち着こう。ここはTwitterではない。ノートだ。長い文章でさまざまな視点から考えられる。ごめんねなんか否定から入っちゃって。「生きてるだけで偉い」も望まれて生まれてきたんだよ。この機会に彼のことを理解して、共生できるようになろうね。

そういえば、「生きてる」ことより大事なことは昔からあった。宗教のために戦ったり、一昔前の漫画で仲間のために命をかけたり。生きてるは別に最重要ではない。

でも、人とか時代によって、命より大事なものは違うのだろうか。それが現代では「偉い」なのか?承認欲求ってこと?希死念慮の中には、死んだ方が偉くなれそうと言う場合もあるのだろうか。

自分のことを考えてみると、何か失敗した時に死にたいと思う。それは死ぬことで失敗を打ち消せるから、偉くなれるからと言う考えがある気がする。これは私がおかしいからだと思うけど。

「生きてるだけ」っていうのは、何も成し遂げてないってこと?成し遂げるっていうのは多くの人に良い印象を持たれること。
昔の偉くなりかたは神様とか血筋とかお金の力を身につけることだったけど、今は他人の意見、承認の力を身につけることが偉くなることになっている。つまり、生きてるだけで偉いとは、命より承認が重いと言う意味にとれる。

そういえば、生きてるだけで偉いは、みんな偉くなりたいことを前提にしている。みんなが、承認が命より重いことを了承している。「生きてるだけで偉い」の怖さの正体はここにあった。

でも私もなんとなく死にたい時がかなり多い。承認が重いのはそうだけど、命が結構軽い。命懸けごっこしてるみたい。命懸けっていうのもなんか最近ピンとこなくなった。デスゲームが流行ってるけど、あれは命懸けに当事者意識がなくなったからじゃないの?それか、死ぬことを主催者のせいにできるからとか。自殺って別に偉くならない。そういえば。承認というより反感を買ってしまいそう。私が死にたいと思う時、なんとなくこれのせいだってのがある。そういうのなく死にたい人もいるかな。世の中のせいだとか思わないのだろうか。

死にたい

認められたい

自分の中で生まれた反論に自分で答えます。
Q 生きてるだけで偉いっていうのは、命とかじゃなくて、何もしてなくても良いっていう単純な意味じゃない?むかつくのは、そんなんで良いわけないってことじゃない?普通に。

A たしかにそうだ。うーん、でも、あげあしをとるようだけど、あなたの文章の中では、「生きてるだけ」が「なにもしない」に、「偉い」が「良い」になってるじゃん。「生きてる」に「だけ」がつくことをフツーに受け入れていて、「偉い」ことが「良い」になるっていうのは「生きてるだけで偉い」の意味じゃない?いや、意味じゃないな。「生きてるだけで偉い」という言葉を普通に使いこなしている、意味がわかる私のことを私が怖がってるんだ。

言葉は人から生まれる。言葉の意味より、それを使う人に注目すると、色々冷静に物事を見られる。ごめん嘘。この文章自体かなり冷静じゃない。論理構造がぐにゃぐにゃで自分でもよくわかってない。まとめにも覇気がない。コメントとかでわかりやすく解釈したり論破してくれ。(論破されたということは、遡って論が固まってたということになるので。液体のような論は論破できないはず)





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?