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摂食障害をもつIさんのセッション②




しんどくてキャンセルしようかと吐きながら思ってました、とIさん 。それでも気分をいれかえ「頑張って風呂はいってきます」とその後夜中12時にオンラインセッションでお会いしました。


友人が最近亡くなったとのこと。Iさん自身の初めての入院から色々と助けになってくれていたそうです。この突然の知らせを聞いてから、Iさん、かなりしんどい状態だということでした。


Iさんの頭の中はとても忙しく、これでは疲れ切ってしんどいのは当然です。


連絡しないでと言われ音信不通となってたこと。虫の知らせかしばらく前からその友人が脳裏にちらついてたこと。何度も彼女の姿を見たいといろいろその方法を考えていたこと。Iさんの娘さんと同い年で障害のある息子さんを残して逝ってしまったこと。 Iさんのお母さんが亡くなったのと同じ歳だったこと。。


なんで?!なんで?!あまりにも身近すぎて、、自然なのかも知れないけど、まさか、、もう二度と会えないなんて、もう入院してもあそこに彼女はいない、、彼女が自分を保つために連絡しないでって言われたから、連絡しなかったことには後悔ない、でも救ってあげたかった!少しでも気分が変わってくれればよかった、、



私たちは身近な人を失くした時、様々な感情に襲われます。ショックで呆然としたり、罪悪感を感じての自責、亡くなった人へ何らかの怒り、そんな自分に嫌悪感を感じたり、未解決なこと、その家族や自分の将来への心配や不安等、、頭の中が終わりのない迷路のように複雑になったり、全く真っ白になったり、、身体も頭もその苦しみと一体化したようになってしまいます。

それでも、何についてそんなに悲しいのか、怒り、憤りを感じているのか、と具体的に優しいまなざしで見ていくことができれば、心の中は随分整理され落ち着いてくるものです。

前回のセッションからの流れはひとまず置いておいて、今日はこの友人がなくなったことからくる「しんどさ」と向き合ってあげることが大切だ、と感じました。



お互いの子どもが同級生だったこと。それから、お母さんと同じ歳でなくなったこと。頭の中を大きく占めているのはこの二つのことのようでした。


娘には私(Iさん)が生きていることが当たり前だと思われている。近くに来ても母である私のところには帰ってこない。私が突然亡くなったらどんな風に思うんだろう??!どんな風に言われるんだろう?娘の父親には殺せとまで言われたこの子を、一人で頑張って生んだのに。。娘が親になったらどんな気持ちなんだろう?一緒に住みたいという願いは、娘の「お前とは絶対に住まん!」という言葉に消え、子離れしなきゃ、摂食障害を克服したい、元気になりたい、若いころのチャレンジしてた自分に戻りたい、あの子はそんな私も知りもしない、、


母親と同じ歳で亡くなった友人。生きていて当たり前だとつい思ってしまうけれど、実はそうじゃないことを目の前に突きつけられた感じ。亡くなったいくら母のことを想ってみても、ありがとうと感謝の気持ちも伝えられないし、親孝行もできない。私が苦労かけたから早くなくなってしまった、、そうじゃないかも、でもやっぱり自分が殺してしまったようなもの。。。


ひとりでいるのが怖い、自傷行為してしまう、過食嘔吐もうしたくない、安心して寝たい、娘に一緒に寝てもいい?って聞きたいけど無理だろうな、リストカットの傷見せてしまった、見下されたくない、わかってほしい、、、怖い、過食嘔吐もっとひどくなりそう、何もできない、その友人のことが頭に浮かんでフリーズしてしまう、目の前のことが何もできない、立てない、魂が抜けたみたい、このまま動けなくなったらどうしよう、食欲も落ちてる、なんにも欲しくない、なのに食べてる、もういいやって食べない、「おいしかったね、ごちそうさま」ってしたいのに、ひとりでごちそうさまできない、どこで終わったらいいの??ってパニックになる、どうしようどうしよう、身体が栄養を求めているのはわかるし、心も安心を求めている、パニック、食べ続けてる、なんでもありさ、自分の好きなもの食べたいのかな、すきやき食べたいって食べると明日の分までたべちゃう、、、


Iさんは、淡々と丁寧に、自分の口からでてくる言葉を聞きながら自分について確認しているかのようです。一人っきりで頭の中がグルグルしてしまう時私たちは、無意識に自分や他人、状況や物事を責め立てていたりしてさらに辛くなることが多いものです。が、否定も肯定もなく思ったこと感じたことを表現できると、自分の本音や思い込みに気がついたりします。気がつかない間に抑え込んでいた気持ちに気がつき、意識的になっていくことが心の癒し、執着心、辛い思い等からの解放へつながっていきます。



友人が亡くなったこと、明日は我が身だなと、バカとしか言えない、自分を大切にしなきゃとおもうけど、できないな、自分が楽しめることをしたいのにできない、、、

亡くなった友人の悲しい顔、攻め合ってる場面が思い出されてさらに辛い感じでした。ゆっくりと目を閉じ、Iさんにイメージの中で、亡くなった友人に会いにいってもらいました。イメージの中で伝えたいことを伝え、コミュニケーションをとってもらえるよう誘導していきます。今まで固く閉じていた部分が緩やかに開き、Iさんの目から涙となってでてきました。しばらく会話を続けていると、だんだんと見えるイメージが変化してきました。最後には悲しそうだった友人と一緒に笑って「ありがとう!」と言いあえるものへと変化しました。私もzoom越しに、Iさんの周りの空気がどんどん軽くなるように感じていました。ここで受け取った友人からのメッセージは、これからもずっとIさんの励みとなるでしょう。


自分を大切にやりたいことをやって楽しむことが必要だ、と思っても上手くいかない、ということについても具体的にみていきました。結局、上手くいかないと思っていたIさんの行動は、楽しむためにまず必要なリラックス、安心安全な土台確保のための行動だったということが確認できました。いつだって最善を尽くしている自分への理解が進むと、余分な力が抜け、自分の本来の力をとり戻していくことができます。


「なんだか、心がスッキリするのと同時にお腹すいたみたい」とIさん。「心の中のものを吐き出すとお腹もすくのかな?」と長年の拒食、過食嘔吐で失っていた感覚が戻ってきたかのような嬉しい報告をもらい、セッションを終えました。






















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