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風葬の校庭

たしか、その子の名前はさなといった。

珍しい名前だからよく覚えている。

教室の窓際の一番後ろの席に座っていた。

授業中は指名されないように、いつも下をむいていた。

ノートをとるわけでもなく、手を机の下、膝の上に拳を握って

なにかに耐えるようにうつむいていた。

友達はいなかったと思う。

さなは、教室の空気にまぎれていた。

15歳になるのに、髪をおかっぱにして、それが

ときどき寝癖ではねていた。

だけど、だれかに迷惑をかけるでもなく、ただ、そこにいる

という感じだったので、僕たちはさなのことをなんとなく、

わらしと呼んでいた。座敷わらしのわらしだ。

さなは、中学を卒業すると、高校にはいかず、

そのまま僕たちの前から消えた。

中学を卒業して初めての夏休み、僕たちはクラス会を開き、

クラスの三分の二くらいが集まり、担任も交えて食事会をしたが、

だれも、さなのことは口に出さなった。

学校をやすみがちだったからかもしれない。

ひと月の半分くらい、窓際の最後尾の席は空席だった。

たまに、さなが登校していても、だれもおはようと声はかけなかったし

さなもあいさつされなくても当然のように席につき、下をむいて

じっとしていたので、それが普通の風景として、あまりにも

なじんでいたので、さなはただ、時々置き場所を変えてたたずむ

教室のオブジェのような存在だった。

小さくて、痩せていて、存在感が軽かった。それは命としての重みを

自ら拒否しているかのような軽さ、だ。

あまりにも軽すぎるので、僕たちは彼女のそこにいるという重さに

耐えずに済んでいたのかもしれない。

さなは不思議な女の子だった。そしてひとに重みを感じさせない

空気のような風のような子だった。

中学を卒業して僕は県下で有数と言われている男子だけの進学高校に進み、

当然のように大学にいき、二十五歳になった。

いい会社に入社することが、幸せになる唯一の手段であると信じて疑わなかったので

いわゆる、いい会社に就職することになった。

なにがいい会社、なのかその基準はいろいろあると思うが、まあ、福利厚生がちゃんとしてて

雇用条件が整い、年功序列というよりは、実力次第で上を目指せるという会社だったので

両親は一人っ子の僕がその会社に入れたことにまずまずの安堵を覚えているようだったので

ぼくとしては、普通に親孝行の息子でいることができた。

ところが、あるひ僕はあるところで、さなにあってしまったのだ。

あるひ、あるところ、なんていうとすごく特別な場所のような感じがするけど

そこは別に特別の場所でもなんでもなかった

僕の卒業した中学校の校庭だったから。

僕の卒業した中学は、少子化で統廃合され、校舎がとりこわされることになったのだ。

ぼくの中学の後輩たちは、隣町の新しくできた中学校にスクールバスで通うことになった。

ぼくは東京で仕事をしていたが、その話を同級生のkから聞いた。

あるひ、メールが入ってきて、桜の花が咲くころ、取り壊される校舎の前で

みんなで写真を撮らないか?と誘われたのだ。

子供じみた話だな、と思ったが、僕も仕事をはじめてから一度も帰省したことがなく、

有給休暇も消化していなかったので、二週間まとめて、三月のおわりの週に帰省し、

同級会をしようということになった。

その日、三月の最終土曜日、僕は二時半に故郷の中学の校庭に歩いていった。

うちからは歩いて十分ほどだったので、散歩がてらにぶらぶらしていた。

校庭の桜が数本、花をほころばせていた。

東京では五分咲きだったのに、こっちはまだなんだな。

ブラウンとピンクに燻った桜の木の下に、

ぼくは一人の女性が立っているのを見た。

さらさらのおかっぱで、折れそうな首筋、細い肩に軽くベージュのコートを羽織っていた。

前をはだけたコートの隙から、水色のスカートが風になびいて見えた。

その女性は桜の木を熱心に見上げていた。

さな、だとわかった。

十年たっても、なにか折れそうに軽い感じでふわふわとして、立ち姿がまるで五センチ浮いているように見えたからだ。

さな、だよね。

ぼくは彼女に声をかけた。

彼女は、すっと振り返り、まっすぐに僕をみた。

下村佳祐君。

さなは、はっきり僕の名前を呼んだ。

そうです。

ぼくは笑った。

でも、ごめんね、ぼくはきみの名字を覚えていない。

名字?

さなは笑った。

ただの、さな、でいいよ。みんな私のことなんか覚えてないと思ってたから

さなは、意外にはっきりした声でまっすぐに答えた。

さなの、声、初めて聞いたな。

さなは笑った。そうだったね。

わたし、お話しできなかったからね、中学のときに。

さなは、また笑った。笑うとなにか、開きかけの桜のような

ふわりとしたいい匂いが漂うような気がした。

そう、さなを例えるなら、おひさまの匂いのする柔軟剤のようなそんな感じなのだ。

フワフワして頼りない、でも香りでそこにいることがわかる。

さなは、まっすぐに僕をみた。

そして、下村君は変わってないね。といった。

そう?

うん。

さなは目を閉じた。

下村君はいつもまっすぐで正しくて、明るいおひさまみたいな男の子だったよ

そんな風に見ててくれてたんだ。

僕はうれしく思った。

そう。おひさまだから、みんなのことをいつも公平に見ていたんだよ。

わたしのことも。

ねえ?聞いてもいいかな?もしよかったら、でいいけど。

いいよ。

中学のころどうしてだれともお話ししなかったのかな、さなは?

うーん。

さなは首を傾げた。それはね、

選択緘黙症。

せんたくかんもくしょう?なに?

うーん。たぶん心の病気の一種、かな。

心の中ではみんなと話してるつもりなんだけど教室の中ではお話ができないの。

家族とは平気でお話しできていたけど。でも、ありがたかったのは、あのクラスはそれで

わたしをとくにいじめるとか、構うとかそういうことしないで、なんかそれがわたしなんだって

思ってくれてたみたいで。わたしはそういう風にかんじててありがたかったよ。

そうか。そういわれるとちょっとは救われるかな。ぼくは、ずっとさなが、下を向いていたから

気になって,仕方なかったんだよね。

うふふ。

さなは笑う。

それじゃ、病気は治ったんだね

うん。もう大丈夫、十年も心配かけてたんだね。ありがとうね

さなは桜の木を見上げた。

下村あ。

Kが呼ぶ声がして僕は振り向いた。

おお、来たぞ。ひさしぶりだな。

久しぶり。Kは僕に近づいて手を挙げた。

K、きょうはさ、珍しい子も来てるぞ。

え?だれだれ?それ?

さな、だよ。

さな?だれ?それ。

ほら、教室の一番後ろの席でいつも下向いていた子だよ。いつもひとりで

おかっぱだったから、ざしきわらしのわらし、って呼んでいた、あの女の子。

は?それ、だれ?わかんないよ?

それに、校庭に、俺とお前の二人しかいないじゃないか?何夢見てるの?

ええ?

ぼくはおどろいてあたりを見回した。

本当に誰もいない。

ただ、桜の花びらのほころぶ匂いがただようだけ。

あー、この桜さあ。校舎の取り壊しと一緒に切っちゃうんだって。

もったいないよな、せっかく咲いてるのに。あまりにももったいないから

この桜の前でみんなで写真を撮りたいなあって地元組で話して、それでお前も呼んだんだよ。

さな、なんてしらないよ、お前疲れてんのか?仕事大変か?

そして、Kは人懐こく笑った。

そこには小さな竜巻のような春先の風が待っているだけだった。

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