死ぬことばかり考えてしまうのはきっと生きることに真面目過ぎるから
今年、金木犀の香りを嗅いだなあ、と感じたのは三日くらいだったと思います。
最近春と秋がどこかに消え去ってしまいました。夏の次は冬、季節が二極化しています。
日本の四季はどこに行ってしまったのでしょう?
さてわたしは、人生の殆どを躁鬱病に捧げてきました。躁鬱病という名前を付けてもらったのは、ここ十年ばかりですけれども。
躁鬱病というのは双極性障害と言います。双極性障害には1型と2型があります。
ザックリ説明すると1型は躁状態になった時に、激情的になり、攻撃的な物の言い方をしたり極端な行動に走ったりしやすくなり、
一方の2型は、1型ほどの激情的な感情に左右される訳ではありません。
ですが、気分が高揚して、万能感に満ち溢れ、脳が興奮状態になってわざと仕事の量を増やしたり、
ソワソワして、急に何処かに出かけたくなったり、カードで多額の買い物をしたりと余りよろしくない行動をしてしまいがちです。
しかし、本人は爽快感に溢れているのでテンションが高くなり意味も無いことを話し始めて止まらなくなり、
自分で収集がつかなくなるような発想を他人に話したりして呆れられてしまったりします。
その時期だけを切りとって見ると、統合失調症の症状に酷似していたりもします。
わたしは若いころから、夏と晴の日は異様に元気が良くて、曇り空と冬の日は死人のように静まり返っていました。
夏に私に会った人と、冬に私に会った人は別人に会っているような気持ちになるかもしれません。
そんなに長いスパンでなくても、昨日はあんなに元気だったのに、今日はどうしちゃったの?というくらい変わり果てている時もあるのです。
また、そのように著しく気分が上がり下がりする自分を見て、人はなんと思うだろうと気になり、自分を曝け出すことに抵抗感を覚えていました。
双極性障害の原因ははっきりと分かってはいません。自分なりに本やネットで調べてみて、脳の機能や気質の問題かな、と捉えていましたが、それもまだ断定することは出来ないようです。
双極性障害の原因が不明であるという事実を理解できたのは、精神科に入院した時のことです。
わたしが入院した総合病院では、作業療法の他、患者と医師の勉強会というものがあり、統合失調症のグループと、双極性障害のグループに分かれて自分の病について学ぶ時間が設けられてありました。
その時、わたしは医師に「双極性障害とは脳の機能障害のことと捉えて間違いないでしょうか?」と尋ねました。すると先生は「それがはっきりと分かっていないんですよ」とおっしゃいました。
わたしはその時、「ああ、そうなのか。良く考えてみたら、双極性障害の原因がわかったところで自分の病が根治する訳じゃ無いしな」と腑に落ちました。
双極性障害は他の精神疾患もそうなのですが、根本的な治療は出来ません。
元々生まれ持っての病ですから、その人間の特徴的な性質のひとつ、としか言いようがないのです。
ある意味、病は個性、とも言えなくもないでしょう。
しかしながら、精神疾患の辛いところは、一見すると普通の人間に見えるところです。
わたしは気分の上がり下がりとそれに伴う体調の多少の変化以外は、特に目立った症状はなく、その辺を歩いていたり、電車に乗っていたとしても特に目立ったおかしな点は見当たらないと思います。
問題なのは、気分の上がり下がりによって毎日同じ時間に起きて仕事に行って、人と関わって、というような、ルーティンワークが出来ない事なのです。
わたしは28歳の時に結婚して、2人の子供を育てています。子供が赤ちゃんの頃はまだ横になれたりする時間があったので良かったのですが、やがて成長して
幼稚園や学校に行く頃になると朝早く起きなければならないというプレッシャーで不眠になったりしたことがあります。
最初は激症鬱を発症しました。結婚生活の中で夫のDVがあったからです。一番精神的にやられたのは、口撃でも肉体的暴力でもなく、経済的な暴力です。
夫はそれなりの職場に勤務して、普通の家庭より、若干経済的には余裕がある筈でした。しかし、給料を渡してくれないのです。普通、給料は振り込みで、振り込まれる通帳かカードを渡してもらえば何の問題もありません。
わたしは結婚後、夫の扶養に入ったので、仕事もパートか派遣くらいしか出来ず、所得に制限がかけられていました。
しかも夫はわたしが働いている間は全く給料を渡してくれません。それどころか給与明細すら見せてくれませんでした。
自分で稼いだお金は全部自分のもの、そういう価値観の家庭に育ったようです。
それなら、わたしも扶養を外して、自力で稼げば良いと、夫に扶養を外すように相談したかったのですが、話すら聞いてもらえません。
経済的に貧しい家庭で育った子供は頭が悪くなるようですが、わたしは頭も心も体もやられてしまいました。
激症鬱で働けなくなり、経済的に困窮した時に、わたしは通っていた心療内科の先生に相談して、精神障害者年金の申請をしました。
申請は通り、障害者年金が降りてきて、2か月に一回振り込まれる障害者年金で生活を回して、子供を育ててきたのです。
今考えると、1か月に十万にも満たない障害者年金で、良く一家の経済を回してきたな、奇跡的だったな、と思います。
精神的に追い詰められると、脳だけではなく、腸も活動停止状態になります。腸は、第二の脳とも言われ、精神の状態によって、下痢をしたり便秘になったり、その両方を繰り返したりします。
わたしは、子供を産む時、帝王切開だったため、後に腸が癒着し易くなり、腸閉塞を1年に一回は発症していました
結婚していた時は、まだ相方がいて、扶養に入っていましたから、入院費の確保はなんとかして貰えました。
最悪だったのは、離婚して1年くらい経た頃です。
わたしは法テラスの弁護士に依頼して離婚調停に持ち込みましたが、
弁護士曰く「慰謝料、最高三百万は固いですね。がんばりましょう」と言われたのにも拘わらず、慰謝料は一銭も入ってきませんでした。
相方が「無い袖は振れない」と拒否したからです。
慰謝料を取る取らないよりも、一刻も早く自由を取り戻すことの方がわたしには重要でした。
仕方なく慰謝料は諦め、年金分割だけ通して離婚しました。
今、思うとこれは重大なミスでした。
年金は国民一人当たり、ひとつの年金にしか加入できません、その時わたしは精神障害者年金に加入していましたから、年金分割は何の意味もなかった訳です。
それよりも、将来的に渡って、相方の退職金を分割して置いた方が価値的でした。
今、わたしのような状況にある方は、心に留めて置いてくださいね。
無知は本当に罪深いものです。
さて、離婚は成立しました。わたしは自由になりました。しかし、その代償は大きかったです。
家を失い、帰る場所を失い、職もままならない精神障害者という身分証だけしか残らなかったからです。
わたしは、横浜に出て簡易宿泊のある謎の仕事に就きました。
取り敢えず、路上生活だけは免れていたわけです。
そこでわたしは、ストレスから、最も忌避すべきイレウス(腸閉塞)にかかったのです。
腸が全く動かず、熱が出て風邪のような症状を呈しました。
SNSで知り合ったお医者さんに相談すると、桜木町に救急病院があるからそこにタクシーで行けば良い、と言われました。
まぁ、他人なんてそんなものです。助けを求めて居ても得られないこともある。わたしは割り切ってそう思って、彼の言う通りに中区からタクシーで桜木町の救急病院に行きました。
そこでは処置はして貰えず、患部のレントゲンを撮り、便秘薬を貰っただけでした。レントゲンを凝視すると、腸の右側の曲がった部分に影が写っているのが見えました。
「この部分を流せば良いか」
わたしは冷静に考えて、救急病院から宿泊所に戻る途中、2リットルのポカリスェットを二本と、風邪薬と便秘薬を購入しました。
宿泊所に戻り、まずはポカリスェットでピンクの小粒ワンシートを飲みました。それから風邪薬も服薬しました。
そのまま倒れ込むようにして左肩を下にして横になり、右側の腸を掌で揉みました。自分の記憶の限りを総動員して
「便は1時間に十センチずつ腸を移動するから、7メートルの腸を便が移動するまで3日はかかる」と計算しました。
果たして5日後にはなんとか残便を出し切りました。そのまま風邪の熱が引くまでその後さらに5日の間寝込みました。
後に看護師の友人に、その武勇伝?を話すと、「信じられない、風邪の熱じゃなくて、熱が出てたのは感染症になりかかって居たからよ」と言われました。
それでも特に、わたしはショックだとも思いません。若い頃からいつも死ぬことばかり考えていたし、
死にたくなるような現実しか生きて来られなかったから、感情が麻痺していたのです。
今、わたしはあの時のわたしのように病院にかかりたくてもかかれない、と言う状態からやっと抜け出しました。
皆さんは病気にかかったら病院に行って治療を受けるのが当たり前と考えられるかもしれませんが、世の中には病院にかかりたくてもかかれない人間なんて当たり前に居るのです。
そのような最下層の経験をして生きながら得てきたわたしですが、それでも生きてきてよかった。
今までの自分にありがとう、良く頑張って来たね、お疲れ様と言ってあげたいです。人よりも少しだけ世の中を見て楽しめたからです。
あの時の自分がいるから、今の自分がいかに満たされて、いかに守られて、いかに愛されているかが実感できるのです。
人生は旅です。わたしは自分の双極性障害くんをパートナーにして、心の旅を続けて行こうと思っています。
今日も読んでくださってありがとうございます。みなさんが愛に包まれて安寧に暮らしていけますように❗️
ありがとう♡てんきゅ♡またね!
♡筒井詩月♡
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