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東京から東日本大震災の被災地を訪れたボランティアの学生たち、を題材にしたニュース番組の特集を見て わたしはこの上なく絶望したのを はっきりと覚えている インタビューに答えるわたしが映るシーン 親も担任の先生もわざわざ録画してくれて すごいじゃないと褒めてくれたそれを わたしだけは素直に喜ぶことができなかった
「こんなの内申のためだよ」と開き直って「こんなのただの雑用じゃん」と真夏のビニールハウスの中ぼやいていた同じ班の女の子は画面の中で 完璧な『被災地を想う東京の女の子』だった わたしはその録画を見返すことができなかった 気持ち悪い 何が『良い』のかを分かりきってそれを演じるその子のことも カメラを向けられていないときにその子が欠伸をして居眠りをしてぼやいて、を繰り返していることを知った上でカメラを向けるカメラマンも それが全て最後まで隠し通されて美化されて放映されている事実も 全部不愉快でしかなかった 親にも先生にも友達にも 言えなかったけど、
感受性は人それぞれだからその人の感受性そのものを責めるつもりは全く無い だけどただ悲しかった、それ以上もそれ以下もない 自分以外の誰かが感じた悲しさや辛さを 感じ取れない人が存在することが悲しかった
でも もしこれが偽善だと言われたら何も言い返せない そうかもしれない 格好付けかもしれない わたしは感受性豊かな人間だと自惚れているだけなのかもしれない ただ わたしはその場に居合わせなかった人が寄り添うことを 偽善だと言うのはあまりに悲しすぎると思うから だったら自惚れられるような自分でいられる方がずっといい 善悪を全て理解して把握した上で殺し切らない悪を開き直りながら善を演じるよりずっと、ずっといい
別に何が伝えたいとかじゃないです、ただ何年もこれを誰にも言えなくて辛かっただけです なんのフィルターもかけずに自分の目で見たもの聞いたもの感じたものだけ信じられたらいいです 目を引くマイナスに埋もれてしまうようなプラスを拾い集めて 大事にして生きていけたらいいよね
被災地を訪れる機会に恵まれたこと 被災地のリアリティを少しでも感じ取ることができたことは 一生の誇り です
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