叙事詩というより抒情詩な


 まず出来事があり、それに感情が沸いて、最後にことばがようやくからだに追いついてくる。わたしの中にあるのはそのようなことなのに、ことばを先に選ぼうとしてしまうのはどうしてなのだろう。ことばよりもっと感じなければいけないことがあるような気がするのに、いつでも何か言いたげな気配ばかりが支配している。

 わたしという人間はいつもそうなのだ。

 

 

 何か言おうとするとき、これで正しいのかと思う。

 何か言ってしまったあとに、これで正しかったのかと思う。

 何か言おうとして言いよどむとき、本当に声に出さなくてよかったかと思う。

 そういうものよりも先に、からだの中にあるものに目を向ければ、きっと間違いようがないのに。






 生まれてから長い間、ことばを生み出したいと思って生きてきたのですが、いまはことばから離れて、アクセサリーを作っています。アクセサリーを作ろうと思っていたわけではなくて、手を動かしていたらいつの間にかアクセサリーを作っていた、というほうが合っているような気がしています。

 前述したことばとは違い、なんだか何かを生み出したかった、生み出してみたかった気持ちが、ことばよりも先にかたちになっていたのかもしれないと、今は思います。

 そうして出来上がったものにはことばよりもことばが詰まっていて、それはことばを生み出そうとして結局なにも描くことができなかった、かつての自分には想像もできないことでした。

 でもこうしてまた、ことばを綴ろうとしてしまっているので、性懲りがないですね。



 叙事詩というより抒情詩。

 わたしを支配しているのはいつだってそれなのです。


 しばらく長い文章を書くことをしていなかったので、思いついたことなどを、つらつらと書いていこうと思います。きっといつまでも抒情詩のような。あいまいで、とるにたらない、ことばになりきれない文字のかけら。


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