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13ヶ月の一年間を。

今日で四月が終わるが、こんなに家にいた一ヶ月はいままでなかった。家から出ない生活になって一番変わったことは、やはり時間の使い方だ。

茨城県の自宅から東京の職場に通勤したのは、わずか2日間ほど。通勤にかけていた時間は一日往復3時間。一週間で15時間。1ヶ月で60時間。一年で720時間。

おいおい、一年で30日分も僕はただ職場に向かうためだけの時間を過ごしていたのかと、いま計算してびっくりした。

通勤中は、体調が悪くなければ本を読んだり音楽を聞いたり、小さい子供がいる家ではできないことを意識的にやってきたけど、たいていはただ目を瞑っていたり、とにかくぼんやりとスマホをいじっていたように思う。それはやはり、無駄な時間だった。

いままでは、起きてバタバタと家を出ていたけれど、朝ごはんを食べて部屋をある程度片付けてから仕事をはじめられるようになった。17時半に仕事を終え、手を洗ったらすぐに夕食の準備をしたり子供と遊んだりする。

今のところ、資料を作成したり同僚と連絡を取るうえで自宅勤務のストレスはない。ただ、いわゆる「残業」が家だとやりづらい。こればかりは、朝早く起きて一人で仕事をする必要がありそうだ。

会社でしかできないことは、契約書や重要書類を閲覧したり、郵便物を処理したり、基幹システムにアクセスすること。それをクリアできれば本当にオフィスは必要ないかもしれない。場所が紐づいてしまうことが、今ではとてもリスクに感じる。

これまで、わざわざ会社から交通費を支給してもらい、わざわざ1時間半かけて通勤してきたことを思うと胸がざわざわする。

先日ある人と会話していて、「ウイルスのせいでみんな静かに暮らしてますね」と言うと、彼は「ね、これがあと2、3年続けばいいのに」と言った。もちろん感染による不安が取り除かれた上で、この静かな暮らしのままなら、という意味合いだ。僕もそう思う。

ウィズでもアフターでもポストでも名称はなんでも良いが、個人レベルで何が変わって、どう感じたかはやはり文章にした方が良いと感じて、少しずつ書いていくことにする。社会として、企業として、という目線は残念ながらあまり持ち得ていなくて、あくまで個人的に、ということ。

「代替できるものとそうでないもの」「当たり前だったものが価値をもつこと」などについて、少しずつ書いていきたい。

今は13ヶ月の一年間。おろおろしながら、自分の頭で考えたい。

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