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はじめ始めて、ここまできたなら。

外界に対して、「わたしは、こう思う、こう感じる」と言わずにはおれなくなった時、物を書いたり、作曲したり、書いたりするのだ。すでに存在するものだけで、満足し切っているならば、なぜ新たに、自ら苦労して作り出す必要があろう。幸福な享受者であり続ければよい。しかし、そのような精神の安住の地を見出すことができずに、違和感や欠落感に苛まれる時、人は全く新しいものを自ら生み出すことになる。 『美しい時間』p22 島内裕子 書肆季節社 1990

この文章には最近出会った。

このように自覚して違和感や欠落感を感じていた訳ではなかったが、自分の手グセや在庫だけで仕事をしているのに、ちょっと飽きていた。格好のつけ合いとか、少し嘘を混ぜて話すことだとか、そういったあれこれにうんざりしていた。している。

去年の12月、何か、ぽんっと背中を押されるような形で、今までやったことがないことを始めた。「20年11月に海外の音楽家を招聘し、ツアーを開催する」というのがざっくりの説明で、もう少し細かく言うと、「日本では全然知名度がないけどとても良い音楽なのでたくさんの人に聴いてもらいたい。ひいては、その音楽が一番映える形で全国各地でそれぞれ企画を立てる」というものだ。

なにかをはじめるとき、僕は誰にも相談せず自分のなかでじわじわと育つのを待つ。最初から他人を巻き込まないようにしている。ある程度企画が立ち上がってきた時に、少しずつ人に話してみる。「こんなことを考えているんだけど、どう思いますか?」とか、「ここを一緒にやってくれませんか?」と話す。

半年かけて、たくさんの人にお願いしたり相談したりしながら、日程と企画がほぼ確定した。お金もたくさんかかるけど、ああ、これは面白いことになるぞ。こんな世の中だけど、秋には最高の企画を届けられるぞ、と思った。

そんななか、昨日の夜に音楽家から短く一文「今年の秋はまだ早すぎるかもしれない」とメールがきた。too early to do this.

心のどこかで、今はこんな状況だけど秋頃には海外渡航も可能になっているだろうと安易に考えていた。だが、この一文でさっと血の気が引き、昨日は全然眠れなかった。

今朝時点では「もうこれで全部終わり。仮に来年の春に再設定できるならそれでいい。中止。第一、なにかあったらどうするんだ。やめやめ!」と考えていたけれど、何人かの人にその状況をメールしていたら、なぜだか違う考えがむくむくと湧いてきた。

全国各地で企画を立てていたので、それぞれが、その音楽家が出演しなくてもひとつのイベントとして成り立つような枠組みになっているのだ。もちろんこの状況の収束が大前提だけれど、これを開催すると、誰かに喜んでもらえるような機会になるかもしれない。そう思うと、腹の底にちょっとだけ力が湧いた。

この半年のうちに出会った人たち、再会した人たち、友人、家族のおかげなのか、はじめ始めたところから少し違う場所にきたけれど、いま僕はこれをやめたくないと思っている。

なぜここまで執着しているのかが自分でもわからない。社会的な課題を解決したいという理念もなく、ただの趣味のひけらかしをしたいわけでもない。どのコミュニティにも属せずに、いつも孤独や疎外を感じながら、こういうことをやっている。

この先状況がどう変わるかわからないけれど、夏頃に詳細告知ができるよう進めていきます。最近、何かを書いたり発表したりすることそのものに億劫になっていたけど、今日はすんなり書けたのが、なんというかリハビリの第一歩。

はじめ始めて、ここまできたなら。


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