ファンになるな、フアンになるな。
25歳くらいのころ、細野晴臣さんが月イチで開催していた「デイジーワールドの集い」というイベントによく出かけていた。
ステージのあるタイ料理のレストランが会場で、人がひしめき合うなかで、パッタイをむしゃむしゃ食べながらライブを見た。
会場内にはたくさんのミュージシャンや文化人(というのか)の方々がいて、トイレが隣になったりしてソワソワしたりしていた。
そういったときに、「●●さん!あの、ファンなんです」というのは簡単だ。しかも、毎月のイベントだったので、定期的に声をかけ続けていればファンとして認識されることもあるだろう。
でも、喉元まで出かかる「ファンなんです」をぼくはついぞ、言うことはなかった。なぜかというと、それを言ったらもう、その人とは対等にはなれないだろうから。ともだちにはなれないだろうから。
自分が何者でもないにもかかわらず、つよがりをしながら毎回その会に参加していた。
それから数年経ち、さまざまなプロジェクトを企画する立場になると、あの頃つよがっていた「ファンにならない」という方針はあながち間違ってないかもしれないぞと思う。
その人や、その人の表現が好きであっても、ファンの立場にはならないことが仕事を進める上で大切だし、相手に失礼にならないような行動ができる。
また、その人をおもんぱかるあまり不安になってしまうこともあるが、それもよくない。ふだん接している人や取引先の人には普通にできるのに、不安に陥ってしまうとできることもできなくなる。
敬意をもってあくまでフラットに。そして、いろんなことに興味を持って。
そんななか、うわあ!と驚き、いいなあと思えるプロジェクトが発表された。
https://www.concon.kyoto/
こういうプロジェクトを見ると、参加したいなというより、ああ負けない企画をやりたいなと思う。そして、裏側で起きているであろうたくさんの思考や行動に打ちのめされる。
「つくる環境」から「つくる」かあ。いいよなあ。どんな風に考えたのか、ともだちの関係でとは言わないけれど、わははと笑いながらいろいろ聞いてみたい。
よし。ファンになるな、フアンになるな。おれもいろいろがんばろう。
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