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4年間の大学生活を振り返ってみる

たぶん、今日で大学4年間の取るべき単位を取り終わったことになる。(成績発表まで断言できないが)

小学校からの十数年間、たくさんテストを受けてきたなあと思う。何度、自分の名前を書いただろう。私は字が汚いので、画数が少なく、簡単に書ける自分の名前の字面を結構誇っていた。

1番テストガチ勢だったのは、高校生の頃だろうか。指定校推薦のためにどうしても良い成績が欲しくて、教科書を丸ごと飲み込んで暗記する勢いだった。

私の過度で偏った完璧主義は、ここから始まったと記憶している。

もう理解している部分を何遍も声に出して確認するので、テスト期間はいつも声が枯れるし、喉が痛かった。要領を掴んでくると、テスト期間は自分の喉を暗記にとっておくため、無口になった。

なんでもかんでも暗記していくので、私にとってテストは「その場で頭を働かせ考えること」ではなく、「ただ頭の中にあるものをそのまま吐き出すこと」だった。記述問題に関しても、事前に思いつく限りの予想問題を作り、それらの答えを作り、全て暗記していたので、考えて解いたことはない。

ひとつ断っておくと、暗記力があるわけではない。テストの1ヶ月半前くらいから余裕を持って暗記を始めていただけだ。

私はこの完璧主義により、その場で咄嗟にあれこれ建設的に考える力や、うまいこと誤魔化そうとする精神力を完全に失ってしまった。

ハングリー精神の欠如、というか、最小の努力で最大の利益を得ようとすることに辟易している自分がずっとどこかに潜んでいるような気がしていた。

テスト開始のチャイムが鳴って、問題用紙をひっくり返した時、どうしよう、解けない、とハラハラするのがいやだった。もっと勉強しておけばよかったと後悔するのもいやだった。テスト後にクラスメイトが答え合わせをして騒ぐのもいやだった。


私にとって、最大の努力で最大の利益を得ることだけが正義で、安全策で、私ができる唯一の勝ち残り方だった。

自分の戦い方をずっと真っ向だと信じてきた。しかし、今は、真っ向すぎてむしろ後ろに回ってしまっていた気さえしている。だって、私のやり方はやっぱりちょっと異様だ。


ちなみに、この完璧主義を私はいまもまだ隠し持っている。そのため、大学でも結局最後まで、なぜかテストに全力投球する始末だった。

毎テスト書きたいことがありすぎたので、A4の解答用紙と右手の側面を真っ暗に染め続けた。テスト前には母に「かましてくるわ」とダサいLINEを送り続けた。

そして結局、バカみたいに高いGPAをとり、奨学金までもらったが、周りに気色悪がられるだけでそれは何の役にも立たなかった。

大学でもテストに全力投球、は正直ちょっとダサい。だって、それは他に楽しいことがないことの反証になってしまっている。

「中学高校は楽しくなかったから、大学こそは!」と入学前まで目を輝かせ、期待で胸をふくらませていたけれど、通ってみるとすぐさま目には曇りが、胸のふくらみには穴が空き、空気が抜かれてしまった。

「家に帰りたい」というシンプルな気持ちはどこにいても薄まらなかった。

授業のためだけに大学へ行き、終わったら家に直帰。全休は、朝から晩までバイト。休日は家にいて少し病むだけ。


私にとって、人生最後だったかもしれないテスト。例に漏れず、万全の対策をして臨んだ。

開始のチャイムが鳴る30秒前に、教授が「カンニング等の不正行為はやめてください」としきりにアナウンスをしていた。そしてその後、ぼそっと「でもみんなはいい目をしているからきっと大丈夫だね」と言った。 

ずいぶん、教師みたいなことを言う教授だなと思った。アツくてきっといい人なんだろうなと思った。

私はどんな目をしていたんだろう。

覚えてきたことを吐き出すためだけのテスト。脳死で受けるテスト。

いい成績を取りたい、とかはもうとっくに思わなくなっていた。

私は、惰性と、歪な形で身についた完璧主義だけで、この4年間を過ごしていたみたいだ。

教科書の外に書いてあることにも、目を向けるべきだったみたいだ。

一番後ろの、一番隅の席に座っていたから、私の眼差しが教授にきちんと届いていたのか自信がない。

この十数年間、私はいい目をしてテストを受けてこられただろうか。

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