100日後に死ぬワニについて

昨日が彼の命日になったそうだ。

私はそんなに熱心でなかったので時折リツイートされてくるのを読んでいたくらいで彼の100日間の内10日ほどしかきっと知らない。

そして彼が亡くなった後の反響を見ていると、悲しみの声がたくさん見受けられるのと同時に電通が関わって商業的に利用されていることへの落胆の声が多く見られた。

この反応がなぜかというのを考えている。
自分たちは純粋に作品を楽しんでいると思っていたのに、いつのまにか企業の掌の上で踊らされていたという点だろう。

トゥルーマンショーという映画を思い出した。

この映画を観たのは大学生の時だったように思うが、パジャマの上からジャケット羽織って出かけるシーンがファッションとしてイカすからというすごくニッチな理由で友人に勧められた。

ちょっとネタバレ含むので映画を観てない方はご注意を。私の文章のネタバレで色褪せるような映画でもないですが。

この映画の主人公の人生模様はテレビ番組として放映されており、彼の人生とは巨大な箱の中で彼以外は全て役者・生活の至るところにスポンサーからの影響が滲み出ている。

映画自体は主人公が人生の違和感に気づきついに巨大な箱から脱するという方向で進んでいく。

今回のワニ君終了後のコマーシャリズムに辟易としている人たちは自分の意思決定が見えない第三者によって誘導されていたこと、言い換えると利用されていたことに忌避感を感じているのではないだろうか。

要するに中学生がいたずらで仕掛けるような偽ラブレターの被害者になったような感覚である。

お前らワニが好きなんだろう?ほら、ワニグッズ用意しといたから買えよ!とかワニとコラボして良い感じのPV作ったからしっかり聴きな?と、小馬鹿にされたように感じているのではないだろうか。

偽ラブレターの差出人同様に本人もグルの場合もあれば名前が載っているだけのケースもある。
ビジネスなのでもちろん本人もグルなのだが、ここで大事なのは本人と言うのは決してワニ自身ではないと言うことだ。

結局偽物のラブレターだったとしても中身が百人一首に選ばれるような名作であればそれはそれで良いではないか。

思いつくことをつらつらと書きすぎて構成の拙い文章になってしまった。

無料(のように見える)コンテンツが溢れているが、程度の差はあれど殆どのものは経済活動に結びついていると考えた方が良い。

なぜならコンテンツを無からぽんっと生み出すことなんてできないのだから。

こんな記事ですら私の時間という資源を使って書かれている。私の時間というのは換金可能な資源なのだ。

それをなんらかで回収しなければと、私が考え始めると記事の最後に急に怪しい商材のリンクがつくかもしれないし、実はお金を貰って書いたトゥルーマンショーのステマ記事だったりしたのかもしれない。

電通って悪く言われがちだけど、Twitterのイイネやリツイートだけでは誰もご飯が食べていけないのだ。

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