つまりは推しの沼にはまった理由について

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一方的に、ほんの、他人に見せられるような一面しか知らないのに、わかったようなことを言うなんて、夢見る間抜けなお馬鹿さんじゃないかと言われたって、その一面に現れたものから受け取ったものを真実と捉えたっていいじゃないか。フョードル・パーヴロヴィチ・カラマーゾフだって、妻が死んだときに、喜びで叫びだしたとともに子どものように泣きじゃくったのだ。
そんなわけで、恥ずかしげもなく、書いていこう。宝塚愛好会の水美舞斗さんのその一面から受け取った感銘を。

光の性質

私は、彼女は、キラキラしたスターさんだと思うし、そう思う人も多いと思う。
キラキラ、というのはそうなのだけれど、私が彼女のキラキラを思うとき、ギルバートグレイプという映画の、主人公ギルバートとその母ボニーの次のやり取りが思い起こされる。

ボニー 
 "You're my knight in shimmering armour.Did you know that?"
 「お前は光ゆらめく よろいの騎士よ」
ギルバート 
 "I think you mean shining."「光輝くだろ」
ボニー 
 "No. Shimmering.You shimmer and you glow."
 「いいえ。光ゆらめくよ、まばゆいわ」

ボニーは、街一番の美人だったが、夫の自死後、17年間ひたすら食べ続け、家から一歩も出ず、大変太ってしまっていた。そんな母と知的障害を持つ弟(アーニー)の面倒を見るため、小さな街を出ることができないギルバート。ボニーは、アーニーを「太陽」と呼び、アーニーが拘留された際には、街の人々の笑い者になるのを覚悟で警察署へ自ら出向く等、家族の柱として凜とした姿をみせた芯の強さのある人であった。ギルバートは、自由への憧憬があり時に現状に嫌気がさすこともありながらも、家族を愛し、街を離れることができない性格だった。ボニーがギルバートに期せずして最後にかけた言葉となったのが上記の台詞である。

私はこの場面が大好きだった。ギルバートの母は、Shimmeringという言葉にこだわった。
この台詞は、太陽に照らされる水面を思い浮かべさせる。それは、Shineより優しく広く包み込む光である。潤いを持った光。内側からの光。
ボニーは、ギルバートの底からの優しさを全部わかっていたのだろう。自分が目立とうとするのではなく、もはや逃れられないともいうべきギルバートの優しさの性質から来る染み出てくるような発光を言いたかったのではないか。この台詞に、ボニーのギルバートに対する愛情と感謝が凝縮されているようだった。優しさへの感謝の思いが、瞳を潤わせ、そんな瞳を通して見る光だから、揺らいで見えるのかもしれなかった。

私にとっての水美舞斗さんの光もそうであった。Shineでも間違いではない。最初に彼女に撃ち抜かれたときはShineの光を感じていた。しかし、その後、Shineもありつつも、彼女を深く好きになって抜け出せなくなったのは、彼女の光が、優しいゆらめきを持つ、まばゆいものだったからである。スカイステージで「カリスタの海に抱かれて」の新人公演をみたとき、それを知った。

輪郭を見抜く

人はそう感情をさらけ出して生きていくわけにはいかない。不安、悲しみ、怒り、妬み、無力さ、弱さ、大人でいようとすることにより壊死していく心。それに霧をかけてぼかしながら他人と接する。知られませんように。そんな風に願いながらやり過ごすことがある。

それに気がつかない人は気がつかない。ホッとする。しかしまた同時に残念に思うようなひっかかりを感じる。どこかで理解されたい、受け入れられたいという欲求は解消されないまま残る。

他方で、霧をかけてぼかしたつもりなのに、輪郭を見抜いてしまう人がいる。
彼女は、輪郭を見抜く人であった。おそらく、自分自身の思いに対してもそのようにしてきたのではないかと思う。他人のそれに気がつくのは、自分自身にもそれが存在していることを知っており、誤魔化さずに認めているからである。

スカイ・ステージ・トークDreamTime#72「水美舞斗」で、こんなやり取りがあった。
水美さん「(帆純まひろさんについて)新公のときは固い子なのかな?と思っていた。でもみんなと喋ってるときはノリも良く、テンションが割とハイな子なのかな?と。でも、ディナーショーで一緒になって、思っている以上に繊細で、それを隠すためにああやってたんだ!無理矢理頑張ってたのか、と気がついた。」
帆純さん「うわーあ恥ずかしいです。なんか裏の裏まで見透かされて・・・。」

スペシャルライブAquaBella!!では、朝葉ことのさんは「今回色んなタイプの楽曲があって、下級生の自分にはとても難しかった。でも何とか頑張っていたのだけれど、自分ではバレてないと思っていた不安や焦りを水美さんは見抜いていて、寄り添い、支え、前を向かせて、さらに高みにのぼらせてくださった。」と目元を潤ませながら語っていた。

愛の人

帆純まひろさんは、彼女を愛の人だと言った。帆純さんは、大仰な言葉は使わず、自分の感性から離れないように的確に言葉を選んでいく人である。そんな帆純さんが選んだ言葉が「水美舞斗=愛」であった。

帆純さん「ちゃんと私の弱いところも理解してくださって、でもここがいいところだからっていってくださるから、本当に信じられる。」
そんな話をされて、思わず笑う水美さんに「笑わないで聞いてもらえますか!」と帆純さん。
「水美さんの愛のムチは、本当のことをちゃんと言うからこその愛。で、絶対に最後まで見捨てない。ちゃんと最後まで見届けてくれる。本当に愛のある方だから。」「見てみぬふりをしてしまう一番弱いところでも、言ってもらったからこそには、絶対に克服したいと思える。」

どこかでぼかしてきたものを捉えられて受容されたいという欲求の解消。クリアにしてしまうことは怖さがある諸刃の剣。しかし受容に絶対の自信があるのだろう。埃が取り払われて現れた姿は、磨かれ、輝き出す。

水美さんは、人が好きなようだ。物へのこだわりはタオルケットくらいであまりない。
タカラヅカニュースの好きな物を紹介するコーナーでは、好きな食べ物は手料理。好きなファッションアイテムとして、みんながサインを書いてくれたサイン入りTシャツを出したり、飲み物は、周りから林檎ジュースをよく飲んでると言われたから林檎ジュースをあげたりする。好きな物を紹介するコーナーなのに自分が好きというより人との関わりの話ばかり。お芝居でもダンスでも、相手役がいるのが好き。

上下関係の厳しい宝塚。先輩が後輩を指導する。だから厳しいけれど、人が好きな彼女は、根本的に見捨てるなんて発想がきっとない。しっかり厳しくできるのは、愛が揺るがないからだろう。愛することに全然衒いがなく、当然のように存在していて、ちょっと面食らうくらい。これはなかなか特殊。

輝きが伝播する

彼女の主演作は、セニョール・クルゼイロと銀ちゃんの恋、またスペシャルライブ(ディナーショーの食事なしバージョン)としてはAquaBella!!があるが、この全ての作品において、彼女が間違いなく真ん中として引っ張り輝いているのは当然として、出演者一人一人が、目立つ場面を与えられているかの有無にかかわらず、生き生きと輝いているのが非常に強く印象に残っていた。

帆純さんと聖乃あすかさんも、水美さん主演の作品は、一人一人がキラッキラ、生き生きしている、と互いの言葉に頷きながら語っていた(DreamTime#72)。
大人数の舞台では、一人一人に上記のような向き合い方ができるわけではないだろうが、空気は伝わる。埃が取り払われ、磨かれて、出演者一人一人がキラキラと輝く。
水美さんはよく、自分が中心の場面では、一緒にやっている人達のパワーが凄くて、そのパワーに押されて自分も頑張れるという話を笑顔で楽しそうにする。自分だけでなく、全員が力を磨き、輝くというのがとても好きなのだと思う。
AquaBella!!では、収録がある回に、他の出演者が着替えで舞台からはけているときに、彼女は出演者一人一人への思いを語っていた。このライブで他の出演者のことも是非観客により知って欲しいという思いからだったのだろう。

タカラジェンヌ、誰かを支えるために存在しているのではない。自分のために舞台に立つのである。「この舞台経験によって、自分もそうだけれど、出演者皆に得るもののあるものになって欲しい。」そういう思いが彼女にはあり、それは度々言葉にもされている。そして、特にここのところの彼女の主演舞台では、彼女を支える、というよりは、各自がそれぞれ自分が成長するため邁進する様子がうかがえる。そしてもちろん、彼女自身も自分と闘い、その背中を見せる。
100メートル競走、ライバルがいてこそ頑張れる。さぁ、皆もどんどん来て!と言わんばかり。スポーツのような爽やかさで盛り立てる。勝とうが負けようが、精一杯やった後は、たくさん汗をかいて気持ちがいい。

銀ちゃんの恋のフィナーレでは、蒲田行進曲にあわせて出演者が登場し、前に出てきてお辞儀をするのだが、手拍子をしているので、メインメンバー以外はお辞儀したときに拍手をするのがなかなか難しい。そういう構成になっているので、拍手をしなくちゃいけないわけでもないのだが、観客は、難しいながらも拍手を送っていた。送りたかったのだ。一人一人輝いていたから、皆を讃えたいという素直な想いは形になった。そんな想いの溢れる会場だった。

太陽のような笑顔

彼女の笑顔は、人に伝わっていく。
AquaBella!!で侑輝大弥さんは「みなみさんの笑顔が大好きです!ファンの皆様もそうだと思うんですけど、みなみさんの笑顔で皆が笑顔になって、それでまたみなみさんも笑顔になって、それで更に私達も…」と言っていた。
予科生、その頃は、笑ってはいけないルールがあったという。最初は怒られたけど最終的には許されるキャラとなっていた彼女。文化祭でも一際笑顔が弾けていた。
周囲の人の話によれば、彼女は笑う以上に泣き虫でもあるという。だからなのか、彼女の笑顔は、どこか潤いが、水分があり、感情の豊かさからくるドラマティックさがある。
美しい水がドラマティックに舞い、光に照らされ輝きを広げていく。
太陽に照らされた水面の光は、空へ溶けていく。視線を上げれば、そこに太陽がある。様々なものを輝かせ、生命を与える太陽。太陽のような笑顔の持ち主。
彼女の流した涙は大地を潤し、生命の根を生やす。
よく泣き、よく笑うという人の本来的な生命の動きが肯定され、賛美されるかのようである。躍動する生命が再生される。
優れた芸術に出逢った際に、衝撃を受けながらも、どこか懐かしいような、眠っていたものが刺激され呼び起こされるような感覚を受ける、その再生作用と同じものが働く。

こんな体験をしてしまったから、抜け出せない。
外見が好みだとか、技術的なところに感心するとか、そういうのはもちろんあるとしても、結局沼から抜け出せない理由というのは、こういうところなんだと思う。
と同時に、月城かなとさんが、心と体が一致していて、心のままに体が動くところが好きだと語っていたように(1stフォトブック)、結局、彼女のパフォーマンスにあらわれていて、それを感じ取って好きになったんだなとも思う。
いわゆる芸能人。宝塚歌劇団というその成長やドラマに夢をみさせる劇団において、これまで縷々書き連ねてきたとおり、彼女はしっかりと、心に永続的に残るような爪痕を残した。どっぷりつかって、人への信頼や愛を思い起こさせるような良質な体験をしたことは貴重な財産であると思う。きっと、そのような体験をさせてくれるスターというのはいたのだと思うけれど、自分が自分自身の感覚上で、そのようなスターに出会えたことは嬉しい。沼から抜け出せないけれど、沼の住人でいて心地よいのだ。


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