「めんどくさい人」ってどんな人?
「あの人は理屈っぽくてめんどくさい」
とか
「あいつめんどくさいから別れた」
とか。
人の性格を『めんどくさい』と表現する場面は多々あるものの、実はその『めんどくさい』は自分の立ち位置によって変わるのではないかと思った。
今回は『めんどくさい』という性格の意味について考察していく。
1)思考のレベル差が大きい人
人にとっての『めんどくさい人』と感じる性格は、その人と相手が『思考レベルが大きく違う』ということだと思う。
私にとって印象的だったのが、漫画『銀魂』の作者の担当の話だ。
銀魂の単行本では、作者の空知先生がたびたび担当編集の方の悪口を書いている。一時期東大卒のエリートが担当になったことがあり、話題に迷った空知先生が「SとMどっちですか?」という質問をしたという。
そのときのエリート担当の回答が「人はSとMどちらの性質も内包している」というような回答で、空知先生は「エリートめんどくさっ」という感想を吐露していた。
このとき私は何がめんどくさいのか分からず、むしろ空知先生のがめんどくさくね?と思った。Sか?Mか?というのは一般的な質問に見えて少しセンシティブであり、かつ言葉の定義も幅広い。そんな質問に対しての議論は私にとっては娯楽であり、その議論をめんどくさいとストップさせられる方が『めんどくさい人だな』と感じる。
では、いったい『めんどくさい』性格とはいったいなんだ。
その結論が、「自分にとってその人の思考レベルが大きく違う」だ。
もちろんどちらが上とか序列があるものではない。
空知先生は話題作りのために「よくある質問」かつ「二択」という答えやすさを優先した。これはある意味空知先生のユーモアでありつつやさしさだと感じる。
対してエリート担当は、その二択に対し「選択肢の正当性」という視点で疑問を抱いた。質問に対してより正しい感情を言語化しようとする思考の癖があったのだと思う。
質問に対してより正しく答えようとしたエリート担当と、お手軽な話題作りのつもりで本当は答えなんてどうでもいい空知先生。
理屈っぽい人を「めんどくさい」と形容することが多いものの、そもそも話題に対する思考のレベル、深度、方向性が大きく違うと、その相手のことをめんどくさいと感じるのではないだろうか。
(この考察、空知先生が見たら顔真っ赤にしそう)
2) 何でも地雷になり得る人
『めんどくさい』と感じる性格として、「何でも地雷になり得る」というのもあると思う。
言い換えると、「気分や場合によって正解が変わる」人、または「どれもハズレで正解がない」人だ。
よく『めんどくさい』とされる人の発言で「私と仕事どっちが大事なの?」というセリフが挙げられる。
この質問のめんどくささは、まず「人」と「仕事」という比較にならない選択肢を提示された揚げ句、「仕事」という回答をすれば円満に収まらない、かといって「キミだ」と嘘をつけば後々面倒なことになるという、八方塞がりな点だ。
嘘をつかないと機嫌を損ねる可能性もあるし、機嫌が良ければ怒られない可能性もある。そして安全択として相手に都合のいい嘘を伝えたとして、バレた時に面倒だし、そもそも嘘をつけば後々その嘘を守るための嘘もつかなければならず、高度な「読み」が求められる。
機嫌を伺って言葉を選ばなきゃいけなかったり、何手も先を読まなければいけない、いわゆる「コミュニケーション負荷が高い」ということが、『めんどくさい』性格の一つなのではないだろうか。
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