見出し画像

日記

日記をつけるのは好きだがなかなか長くは続かない。もともと性格が物臭にできていて、たとえば新年元旦から数冊の大学ノートを仕入れて書き始めても大抵は月の後半にはもう書くことに難渋している。          そういうことを何度も繰り返した。勢いよく冒頭で日付を入れたが、そのあとはノートの余白を見て、ああでもない、こうでもないと思案している。右手のボールペンをくるくる回したり鼻に挟んだりしているうちに時間は無駄に過ぎていき、ああ、しまった、とばかりにノートを閉じ、思い返したようにまた開いてその日の天気を日付の後に記す。考えてみれば天気なんて、晴れ、曇り、雨、ぐらいでバラエティーに乏しく申し訳程度に、今日は風が強かったなどと書いては見るが、そんなことわざわざ貴重な時間を使って毎日記すほどの事でもなく、結局、頓挫してしまう。あらわになったのは、おのれの根気の無さだけだ。                       じゃあ初めからそんなことしなければいい、と言われれば元も子もない。SNS全盛の時代に日記なんて、と鼻で笑わないで欲しい。たとえ芸術的センスに乏しくても、何かの形で自分の思いを表現したいという欲求はいつの時代にもあるに違いない。どうしたら日記を長く続けられるのだろう。
私の好きな作家の一人である小山清はその代表作の冒頭でこう語っている。
ある老詩人が長い歳月をかけて執筆している日記は嘘の日記である。僕はその話を聞いてその人の孤独にふれる思いがした。と。
嘘の日記だったら書き続けられるだろうか?
孤独を書こうとは考えていないが、嘘をつく快感なら鈍感な私も知っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?