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鳥たちの河口

森づくり振興課のHさんから、突然電話が入った。

「〇〇さん、実は先月実施した、ガン、かも生態調査についてお伺いしたいのですが・・・」

あれ、また、なんかやらかしたかな、と私は素早く思いを巡らしたが、心当たりは浮かんでこない。

「今度のレポートは班長であるYさんが出されたはずで、私は調査には参加したけれど、提出してませんけど」

「ええ、それは分かってるんですが、少し〇〇さんに確認したいことがありまして、実は・・・」

実は、実はと、Hさんが勿体つけるもんだから、何事かと身構えていると、

「その時、クロガモって、見ました?」

「クロガモ!」

私は思わず、オウム返しに、そう言った。

そう言いながらも、私は調査の時にHさんが用意してくれた鳥たちの写真を素早く脳裏に浮かべた。

「クロガモって、嘴が黄色い?」

「〇〇さんは見ました?」

見たかと聞かれれば、見た気もするし、そうでもない気もするし、それを察したように、Hさんが言った。

「クロガモ自体は特に珍しい鳥でもないんですが、この地で確認されるのは珍しく、Yさんの報告だけでなく、別の地区でも同じように上がってたんで、一度、こうしたことに精通した〇〇さんにお尋ねしようと思って・・・」

とんだ買い被りだ!

言い忘れたが、私はひょんな事から、昨年から、地域の鳥獣保護員というものをしている。違法な狩猟をパトロールするのが主な仕事だが、時には、キジや、ヤマドリの生態調査や、ガンカモ生態調査もする。だが決して、鳥に精通しているわけではない。

電話をかけてきたのは、県の若い担当職員のHさんで、どうやら私のことを買い被っているようだ。

「近年の気候変動の影響でしょうか?それとも・・・」

Hさんと電話をしながらも、素早くパソコンを立ち上げて、クロガモについて調べた。その食性から、飛来するにしても河口や海辺が多く、なるほど、当地のような山間部にはほとんどないようだ。カワウの激増で餌場を追われ、当地のような山間部まで来たのでは?とまともなことを考えながら、口には別の言葉が出ていた。

「渡りの途中で、迷い込んだのかも、ね。人間にもそんなふうにコースを外れてしまうものもいるから」と、いささか自虐的な私の言い回しには、Hさんは反応しない。

「一度、僕も現地を見てみたいのですが、〇〇さん、案内してくれませんか?」


Hさんと話しながら、私の脳裏に浮かんだ、ある文学作品があった。

それは敬愛する作家、野呂邦暢の「鳥たちの河口」である。

男はうつむいて歩いた。                         空は暗い。                             河口の湿地帯はまだ夜である。枯葦にたまった露が男の下半身を濡らす。地面はゆるやかな上り勾配をおびて地下水門のある小丘へとつづく。     男は肩にかけた鞄を右腕でおさえ、目的地をわきまえた者の確信をもった足どりで丘をのぼる。原野の果て数キロのあたりに市街地の燈火が見える。街は眠っている。                           星のない空をいただいて枯葦の原は一様に色彩をうしない、黒い棘のかたちでひろがっている。丘のいただきにたどりついたとき、視界がひらけた。風が吹いてくる。海からの微風である。男は深呼吸をした。風は干潟の泥を匂わせた。                              海には朝の兆しがあった。                       すでに空と地平線が接するところは鮮やかな一線が認められ、ほのかに白くなって雲のうしろに隠れた太陽を暗示している。風は一定の強さで海から干潟をこえておしよせ、たえず葦の葉をざわめかせた。


少し長くなったが、その小説の冒頭を紹介した。

いつも思うことだ。

こういう文章を読むと、映画ではない、音楽でもない、漫画でも絵画でも他の芸術作品でもない、読者の想像力を掻き立てる、唯一無二の文章の持つ魅力に気付かされる。

河口から、干潟の海へと、どこか原初的な風景の中を進んでいく主人公の男の孤独感や独立感は、この文章でなくては、きっと正確に表現できないはずだ。

河口の葦原に迷い込んだように、私は、いつの間にか、野呂邦暢が差し出す世界に迷い込んでいる自分に気づく。文学作品の素晴らしさはこういうところにある。

「鳥たちの河口」は芥川賞候補になったが、結局、受賞出来なかった。地味な作品である。コースを外れた迷い鳥を組合運動で裏切られ、会社を辞めた主人公と重ねる印象もいささか、図式的ではある。

だが、それにもまして、その硬質な文体はこの上なく淡麗で、干潟の海の美しい風景や鳥たちの生態をを生々しく描いている。ただ表現が美しいと言うのではない。生の自然よりなお特別なにおいがする。

主人公の男性は会社を辞めたあと、干潟の海に飛来する鳥たちを毎日カメラで写真に撮る。そのうちに飛来する鳥たちの異常にも気づく。普段は訪れない旅鳥たちがその海に来たり、何者かに襲われた鳥の死骸をみたりもする。挙げ句、傷ついたカスピアン・ターンという珍しい鳥を保護したりもする。

その頃、現実の世界でも、野呂邦暢の住む長崎県諫早では、諫早湾干拓事業の問題が勃発していた。

豊かな海が埋め立てられ、生態系が変わり、何かを得る代わりに、何か大事なものを失ってしまう。そして一度失ったものは二度と戻らないという厳しい現実の中、海続きで発生した不知火海の水俣病の石牟礼道子を思い、中津湾で発電所反対運動をする松下竜一を思いながら、野呂邦暢もまた、故郷の海のために、その弔いのために、何かを、書かなければならなかったのだろうか?

保護した鳥、カスピアン・ターンの傷も癒え、病身の妻と共に、主人公が鳥を空に放すラストシーンも象徴的だ。

「この鳥、あたしが放していい?」                   男はうなずいた。                          妻は両腕でやわらかく抱いていた鳥を空にむかって押しあげるようにした。白い鳥は砂丘上でとまどったように羽搏いた。ぐるぐると大小の円を描いて旋回し、しばらく方角を案じているようである。鳥はまず葦原へ飛び次に河口と砂丘を結ぶ線を数回往復した。やがて飛翔の方向に確信をもち、南東の海上へ去った。夕闇がすぐに鳥をのみこんだ。              妻は気づかわしそうに行方へ目をやっている。空をみあげていった。    「もう迷わないかしら」                       「方向をかい」                           あちらが、と妻は鳥の去った海上をさして、               「あちらが鳥の故郷なんだわ、故郷に帰れたらいいのだけれど」       鳥に故郷はない、と男はいった。


鳥は自由だけど、故郷がない、という主人公の感慨は、故郷を捨て、故郷喪失者となった私の柔らかい部分にも深く染み込んだ。


「もしもし、もしもし、〇〇さん、聞こえてます?」

受話器越しのHさんの声が再び聞こえてきた。

「はい、聞いてますよ。一緒に再調査に行くんでしょ?」

若い県の職員は数年ごとの部署異動も激しい。Hさんも数年後には違う部署に異動になるだろう。それなのに今眼前にある仕事にむきになるHさんの心意気が私は嬉しかった。

「いや、それはいいことだ。絶対にいくべきだよ」

「いやだな、他人事みたいに、案内、頼りにしてますよ」

私は気兼ねない友人と楽しい約束をしたような、晴れ晴れとした気持ちで、Hさんからの電話を切った。


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