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プロフィール

履歴書を書くのが苦手である。大した人生を送ってこなかった。学歴や職歴でいつも日時が合わなくなる。毎回辻褄合わせで大変だ。なおのこと、あなたのプロフィールを?と言われても答えに詰まる。思い返しても自分の姿を人に正確に伝える言葉がない。こう見えても結構年を食っている。そんなこと書いてる内容や文体を見ればわかるよ、と笑わないで欲しい。せめていつも若く元気でありたいとは思っている。強いて言えばただのオヤジ? かといって、一般代表というわけでもない。どちらかといえばくずのほうだが、くずを極めているわけでもない。なにもかも中途半端で、結局、嘘と言い訳を重ねて生きていくしかないのである。                先日若い友人と話していて音楽の話になった。好きな音楽のジャンルは?と訊かれて歌謡曲とは答えにくい。
もういい年取ったオヤジなのだから答えとしては完璧なはずなのだが、歌謡曲という言葉自体が今どき使わないらしい。強いて言うなら、Jポップか、演歌か?めんどくさいので、ジャズとクラッシックと答えた。実際、そういう日もあるのだ。アンニュイな午後にはボサノバもいい。自分に腹立たしく少しやけ気味な夜はイヤホンでロックだって聞く。近頃はラップの良さだってわかってきた。YouTubeで聴いてうっすら感動さえしている。なんだか能や狂言できく口上のような心の原初的な部分に響いてくるのだ。
時代は変わり、すべてが進歩する。
音楽を聴く手段だって、そうだ。
レコードがCDになり、少しだけ、MDが出て、今ではストリーミングの時代だという。 
かくいう時代遅れの私もスマホをいじくりまわして、今はSpotifyをインストールして、聴いている。インターネット環境さえあれば、場所を選ばない。それがいい。音楽がグッと身近になる。
その一方で、余りに安易に手に入ると、感動は薄れる。人間は勝手だ。イヤホンから流れてくる名曲も垂れ流しになれば渓流の音と同じで、心地よくはあっても心はそれほど動いていない。昔を思い出した。聴くものすべてが新鮮で心をかき乱された。
親戚の家で、ビートルズの「抱きしめたい」をはじめてレコードで聴いたとき、思わず耳に手を当て前の家の反応を気にした。いい意味で心をかき乱された。同級生の家で、徹夜でだべり、朝方ボンカレーを食べながら小さなプレイヤーでボブディランの「風に吹かれて」を聴いたときは、まだ中学生だった私も心から自由と平和について考えた。ボンカレーは確か甘口だった。
でも、一番記憶に残っているのは、舟木一夫だ。私がまだ小学生の頃の話である。これはまた別の親戚での話。よく遊んでくれてた従妹のお姉ちゃんがいた。そのときお姉ちゃんは不在だった。こっそり部屋を覗いた。綺麗に片づけられた部屋の窓際にレコードが数枚無造作に置かれていた。部屋に入り、その一枚を取り上げた。舟木一夫の「学園広場」だった。後でこの曲を聴くとき、ちょっとばかりの後ろめたさとお姉ちゃんとの記憶がないまぜになって、複雑な気持ちになった。お姉ちゃんの白い横顔を素直に見れなくなった。
後日、私は一人で舟木一夫主演の映画「その人は昔」を観た。北海道の田舎で知り合った若い男女が東京に出て、懸命に働くが、都会の荒波にもまれてすれ違い、結局、若い女は自死してまうという、少し切ないストーリーだった。ヒロインを演じたのは、まだあどけさの残るおでこが可愛い内藤洋子だ。ラストシーン近くで、やり直しをしようとした二人だったが、再びすれ違い、待ち合わせの場所に舟木は行けなかった。絶望した洋子は。水辺に浮かんだ無人のボート、残された彼女のパラソル。映画の詳細は覚えていないが、そのシーンだけは今でも時折思い出す。まだ本当の恋も知らない私だったが、恋にも哀しい恋があるのだと、その時、知った気がする。
その人は昔、海の底の真珠だった。その人は昔、山の谷の白百合だった。でも、その人は、もう、今はいない。
この曲の作詞をしたのは映画を監督した、松山善三である。       これで少しは私のプロフィールがわかっていただけたろうか?ちなみに若い友人はポカンとしていたが、皆さんはいかがでしょう?そう、オヤジですけど、何か?


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