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オーロラ

北極圏の村を訪れたからって、植村直己さんや星野道夫さんのような真のアドベンチャーではない。                       バックパックこそ背負ってはいたけれど、私はフエアバンクスでレンタカーを借りてそこを訪れた。三十年以上前の話である。           とにかく極地に行きたかった。私は既に三十歳を過ぎていた。会社を辞めた。                                いまなら「ちょっと今から仕事やめてくる」と言えば、ヤマモトなる人物が現れてそこから新しいドラマが始まりそうだが、そのころの私は渡りの途中にコースを外れ、群れを見失った鳥のように、路頭に迷っていた。    将来に不安を抱えたまま、あてのない旅に出たのである。        

私が訪れたのはサークルシティという村である。ジャックロンドンの著書にも少しだけ登場する。                        車を降りて村をゆっくり散策した。静かな村である。やがて人の住む集落に出た。どの家にも多頭数の犬たちが鎖に繋がれていた。交通手段としての犬ぞりに使われているらしい。犬たちは時ならぬ闖入者にもそれほどの警戒心を見せなかった。                           覗き込むと部屋でエスキモーらしき住人が古ぼけたテレビを見ていた。私は目を見張った。庭先に解体途中のトナカイが無造作に放置されていたり、丸々とした鮭が赤いはらわたを見せて転がっていた。しばらく歩くと川のほとりに出た。ユーコン川の上流にあたるのだろうか、流れは意外に緩やかでビーバーが二頭のんびり泳いでいた。私は車に戻り、引き返して、川岸にテントを張った。                           その夜の事である。                          一斉に始まった犬たちの遠吠えで目が覚めた。私は飛び起き、テントの外に出た。九月とは言ってもアラスカの夜は寒い。ぶるぶる震えながら、ふと空に目を向けた。                           今何が起こっているのか、すぐには理解できなかった。暗く、広い空に蒼く伸びた光が、まさしく大蛇のようにくねりながら、上へ上へと昇っているように思えた。それがオーロラだと気づいたのは数秒後である。      私は一瞬テントの中にあるカメラを思い起こした。だが動けなかった。そうすることすら勿体ないような気持ちで呆けたように空を見ていた。やがて、犬たちの遠吠えは途絶え、村に静寂が戻った。わずか数分の事である。空に光は消えていた。                          私はテントに戻って、シュラフに滑り込んだ。今眼前で起きたことが、現実とも夢ともつかず、眠りに落ちた。

その夜の事は私の記憶の暗い部分で小さな光として残っている。     オーロラを見れば人生観が変わる、などと巷では言われるが、私にそれが当てはまったかわからない。少なくとも私の人生はずっと低空飛行で今まで来た。                                若い頃のドロップアウトで人とは違う経験もしてきたが、そのせいで、この歳になっても悠々自適の晩年とはいかない。私は今でもその日暮らしで近くのお店にパートに出ている。若い人たちに混じって、未だに汗をかいている。                                 仕事の休憩時間、若い仲間は暇つぶしに私の武勇伝と冒険談を聞きたがる。私も調子に乗って、人生の達人かのごとく、同じ話を繰り返す。時には脚色が過ぎて、どこかで見たドラマみたいにもなる。そろそろ聞くほうも飽きてきて、訪れた外国の話などにも反応が薄くなってきたが、オーロラだけは違う。                               「ああ、○○さんはいいなあ、オーロラをみたなんて、わたしも一生に一度はそんな体験がしてみたい」と若い女子までもが未だに目を輝かす。       私も既に夢見心地で、「そうかな、そんなもんかなあ」と少し顔を赤らめて表彰台の一番高いところに祭り上げられたみたいに、浮足立っている。オーロラを見たおかげで、そういう意味では人生が少し変わったと言えなくもない。


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