子どもを産まないとスタートにも立てないのか
こんにちは。someです。
私は子供が欲しいと思っていました。お母さんになることは夢でした。結婚もして、子作りをすればいい。そう思っていたのに、夫の子どもをつくる気になれませんでした。それが離婚の一番の理由です。
そんな私に、ある日、後輩が言いました。
「結婚じゃなくて、子どもを産んでからがスタートです」
あたかも、人生のスタートは子どもを産んでからなのよ、と言うかのように。
私は、そのスタートにも立っていないんだ。むしろ、離婚を選んだということは自らその道を外してしまったんだ。
ひどく傷ついたことを覚えています。
重かった。その言葉がすごく重かった。私は自分で自分の人生を選んでいる。そう思っていた私は、やるせない気持ちでいっぱいになりました。
子どもを産まないと1人前じゃない。そう言われている気がしたのか。
子育てに追われる私の気持ちはわからないでしょ。と突き放されたように思えたのか。
あれから10年たちますが、
ずっと心の中に小さな傷が存在しています。
でも今は、傷は存在するものの、痛みを感じるものではありません。
子どもを産むかどうか。その選択肢がその時の自分の意志のみで選べるものではなく、不妊や病気や事故、あらゆるタイミングで決まる。それを思い知ったからです。
私は病気になって、妊娠出産の可能性が遠ざかりました。
もちろん、自分の意志も大事だし、過去の自分がその事実をつくっていることもあるかもしれない。でもそれだけじゃない、神の思し召しのような、運命のいたずらのような、何かがある。
そう思うことで、少しホッとして、傷が痛まなくなりました。
子どもがいてもいなくても、結婚してもしなくても、どんな仕事をしていようが、その人の気持ちを全部理解することはできないし、比べるものじゃない。
それに、人生、何が起こるか予測不可能で、どんな未来を迎えるかわかりません。
どんな人生だろうが、いいじゃない。
今、そう思います。
自分の人生、自分で選んで歩むもの。
だからこそ、選べない何かに出会った時は、その流れに身を任せて、楽しんでみよう。
傷ができてもいい。
いつか痛くなくなるその日まで、いっぱい痛みややるせなさを感じて、それでも人に助けられながら、生きていける。
そうやって、傷を撫でながら、生きたいと思います。
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