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「効かない広告、ただのゴミ」地方広告の本質

最初に言います。

地方広告で問われるのは「動くか、動かないか」です。

お財布からお金が動き
棚から商品が動き
イベントでは人が動き
結果、広告が効いたか効いていないかが如実に分かり、
何が原因で、誰の責任かも、はっきりとわかる。
それが、私が香川に来て痛いほど学んだ、広告の本質でした。

化粧品の広告がやってきた!

経緯は別の機会に譲りますが、香川に来て半年間主婦生活を送ったのち、私は地元の広告代理店に入社しました。入社前からプロジェクトにアサインされ、入社5分後には第1回ミーティングが始まりました。
ここで私は「わっ、この人本当に広告が好きなんだ」という営業さんに出会います。聞くと同じ年。広告のことが思いっきり話せる人との仕事はとても充実していました。

この仕事を通して徐々に信頼を得ることができたのか、1か月後は「自分が手掛けている化粧品の新聞広告を考えて欲しい」という話がやってきます。

化粧品の広告!
新聞15段!

東京・大阪時代の両方で私はスキンケア化粧品の販促を手がけており、当時の薬事法をクリアする微妙なゾーンも理解していました。何をすればお客様にささるのか、という手ごたえもつかんでいました。

念願のマスメディア広告!待ってましたこの仕事!

喜んで何案もサムネイルを書き、お金がかかる案(フランスの伝説的なファッションイラストレーターを使う)から、安価な案まで出して、さぁどうだ!と営業さんに見せた時。

その人は、自分の手を企業名や商品名のところに置いて言いました。

「オカダさん…。これ、企業名を手で隠したら、どこの広告かわからないよね?これにクライアントさんはお金払ってくれんと思うよ」

(ううっ)・・・・・・。

私は、本当に恥ずかしかった。
販促でさんざん売れるか売れないかをやっていたのに、新聞広告というマス広告になるとその視点を忘れて、「化粧品の広告ってこんなふうがいい」という自己満足、もっといえば賞をとれるような広告を狙っていたのです。

でもそれはお客さま(使い手)や、広告主(お金を払うお客さま)の視点を完全に欠いていました。

「効くか効かないか」が広告だと言いながらも、それを自分のものにできていない未熟さ。「地方の広告ってこんな感じでOKなのでは」と思っていた私の思い上がり。販促よりマス広告が偉いと思う劣等感。

そそくさと持ち帰り、再度考えるもOKは出ず。何かは作りましたが、広告主側で採用になることはなく、その仕事は消えてしまいました。自分の力がまだ求められるレベルに達していないと気づくのは痛く、何よりも消えたいほど恥ずかしかった。

同時に、今まで私はチームに守られていたことも知りました。自分のクリエイティブ力の至らなさは、上司や先輩がカバーしてくれていたのです。
(上の写真は、私を心配した上司が、かつて送ってくれたメッセージです)

いま、クリエイティブは私1人。自分で自分を客観的に鍛えないと仕事は成立しない。ピン芸人ならぬピンプランナーとして、もう誰も頼れない恐ろしさも感じました。

効くか、効かないか。
通販や販促だけに問われていると思っていた命題が、すべての広告活動で問われている。それが地方の姿でした。地方の広告人はこの命題に対し、解決策を出して人やお金を動かし、動かなかった時には検証をしてきたのです。そうでなければ仕事は任せてもらえない。地方の広告は至極真っ当でした。

今は心の底から「効かない広告、ただのゴミ」と思う私です。

営業さんの言葉と、自分のせいでチャンスをものにできなかった経験。  ここが始まりでした。

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