Ossan’s Love Quest



  Ossan’s Love Quest 〜Love or Dead〜

 壮大なテーマ曲、燃え盛る炎を背に、魔王(部長)、モンスター(春田)、狂犬チワワ(牧)が立ちはだかる。これはまるでかの名作ゲーム DragonQuest ではないか。それに立ち向かう私たちはさながら勇者(プレイヤー)である。

 今は情報が溢れ返り手に入れたいものは容易く手に入る。だが、昔はガイドブックすらなく、必死でメモを取り、みなで知恵を出しあって、ああでもないこうでもないと、少ないヒントから想像力を膨らませ、謎解きをしたり、ひとつひとつ丁寧に攻略したり、プレイヤー同士で意見を言い合ったりして、全身でその世界を堪能していた。

 また、その真意を確かめるために、何度も何度も冒険の旅へと出かけた。それが一つのコミュニケーションであり、ともに闘い抜いた日々を友と称え合ったものである。

 劇場版おっさんずラブの攻略がまさにそれである。1から10までの全てを見せるのではなく、観る人に自分自身で考えることの大切さ、想像することの楽しさ、攻略することの喜びを与えてくれている。ゲームのやり込み要素のように、何度も何度も足を運びたくなるような仕掛けも満載だ。

 読み解く必要がある台本など意味がない、という意見を見たが、生まれた時から一方的に溢れんばかりの情報量の波に呑まれている人はそう感じるのかもしれない。

 だが、果たしてそれは幸せなことだろうか。どんな些細なことでもいい。自分で感じ、自分で考え、見えない世界を自分の力で想像する。他の誰かの価値観ではなく、他の誰かのためでもなく、自分自身が勝ち取るもの。その湧き上がる楽しさや喜びを知ってこそ、私たちは選ばれし勇者となり得るのだ。

 劇場版おっさんずラブは見る角度を変えることによりその表情をガラリと変える。遠い未来、見えなかったことが見えるようになったり、わからなかったことがわかるようになったり、違和感を覚えていたことが当たり前のようになるかもしれない。雪解けのように頑なな心がほどけてゆく瞬間(とき)に運(めぐ)り合うかもしれない。劇場版おっさんすラブがジブリ作品のように永く愛され続ける作品となって欲しい。

 時に『モチモチの木』という作品があるのをご存知だろうか。

 今の歳で3歳くらいの少年が、夜になるとお化けのように見えるモチモチの木が恐ろしくて、家の外にある厠(トイレ)にひとりで行くことが出来ず、いつも一緒に暮らすおじいさんを起こしてしまう。

 だが、ある日おじいさんが激しい腹痛を起こして死にそうになる。少年はおじいさんを助けたい一心で、呑まれそうな闇夜を駆けて行く。遠くに住む医者を呼んで来るためだ。

 医者を連れ帰る道中で、月明かりに照らされ美しく輝くモチモチの木を見て感動する。その時だけは臆病な少年も夜の恐ろしさを忘れるのだが、ラストはやっぱり厠へひとりでは行くことが出来ず、おじいさんを起こしてしまうという話である。

 劇場版おっさんずラブには、モチモチの木の法則があると思った。爆破など起こさなくても春田はあの告白をしたし、牧はスパダリだと思っている人は多いかもしれない。自分はあの極限状態にあったからこそ、春田は一世一代の愛の告白をしたのだろうと思っているし、牧は分厚い自分の殻を打ち破ることが出来たのだと思っている。

 それでも、やっぱり春田は唐揚げひとつまともに作れないポンコツのままだろうし、牧は相変わらず自己完結しては春田に怒られるだろうと思う。

 でも、それでいいのだ。そうやって永遠にこのラブコメは続いて行くのだ。また、そうであって欲しい。いつか Ossan’s Love Quest にナンバリングが刻印される日を楽しみに待っている。


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心の海に棲まうもの 泪の河で創り出でし海 その限りでしか 息づけぬ魚
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