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【行政職員を経験した者としての反省】を受けて考えること

行政職員を経験した者としての反省というメッセージを読みました。

僕も、教育委員会に勤務していたこともあったし、地域から行政に投げかける時に「あぁ、あるある」と思えるものがたくさん並んでいました。


学校は特殊だ…と言われていますが、行政の感覚も同じように特殊だと思えることがいっぱいあります。

今回は行政職員を経験した者としての反省を踏まえて、自分の考えを出していきたいと思います。


行政職員を経験した者としての反省

行政、とりわけ本庁舎に勤務し、予算要求事務と議会対応などの仕事が長い公務員はしばしば、次のような錯誤に陥る。
① 誤った「平等」意識を基盤とした「あまねく、均衡に、悉皆で、平等に、偏らず、等しく」に強いこだわりを見せる。
本当に必要なのは、「公正」であるのに見せかけの平等による質の低い政策を立案しがちである。地方分権への転換は「我が国の均衡ある発展」スローガンを捨てたことから始まる。
② どこでも同じ手法で進めれば、同じ結論が出ると信じてマニュアルを作りたがる。これはもはや迷信に近い。
③ 「そんなサービスを提供して、殺到したらどうするんだ」という殺到された経験が無いのに必要以上に恐れる職員。(コロナで社協の困窮者など貸付で確かに殺到したけど)
④ 行政職員が自分で考えるのを止めてしまう。
⑤ 個に対応することができない。地域や個人で事情や状況が異なるにもかかわらず一律の対応をしたがる。規則に基づいて行うことに傾注して現実から目を背けてしまう。見なかったことにしてしまう
⑥ できない理由をたくさん挙げて自己正当化してしまう。「上司に説明できない」とためらいなく市民に言ってしまう。
⑦ 「できませんでした」で済ませてしまう問題を自分の外に置く
⑧ 多くの人々は気持ちや心で動くのに、制度や規則、条例を作れば人が動くと勘違いしている。しくみづくりに傾注し、どう運用するのかに無関心。
⑨ 自分の担当であるにもかかわらず、それは他の部門の話だと言ってしまう。内容をよく聞かず、自分の仕事ではないと思ってしまう。例えば、公民館職員に福祉のことを学びたいというと、それは福祉課の担当だからうちではありません、と平気で言ってしまう
⑩ 国や県の要項や規則をそのまま読み上げて、説明したという。

生涯学習社会教育地域づくり P14

これは行政と少しでも関わったことがある人にはなんとなく分かるところではないでしょうか。


コミュニティ・スクールを進める上で大きな壁になる

この反省を見た時に、コミュニティ・スクールではこの課題と向き合わないといけない部分だなと思います。

特に職場の意識が醸成しきっていない場合、コミュニティ・スクールがあまりにも分からないので、「それは生涯学習課のお仕事です」「それは学務課です」とどこがやるのかを押しつけあっているシーンを実際に見たことがあります。

また、規約だけ作って放置になったり、人材バンクを作って放置になったり、マニュアルを配って放置というのも時間とエネルギーを多く割いている割に成果が出ない傾向が強いです。


一番大事なのはどう関係性を作り、運用するかの部分です。

マニュアルも人材バンクも規約も、実際に動くのは人。

人が意図を理解し、動きたくなるようにしていかなければコミュニティ・スクールも形骸化し、ただただ負担が増えるだけの仕組みに早変わりするのです。

まずはいろんな違いを面白がる

負担が増える仕組みにしないためにも、いろんな違いを面白がることが大事かなと思っています。

「学校は変わってる」→「学校はそんな風に違うんだ。面白いね」

って言うだけでいろんなことに興味を持つように意識を持っていけます。


単なる言葉の違いですが、自分自身にそういう意識付けをするためにも言葉から変えていかないといけないのかなと思うのです。


きっと、そのように【特殊】ってことではなくて、「そういうものなんだ」って認めることが大事なんだろうし、反対から見れば「地域は変わってる」、「家庭は言うだけで何もやらない」とか言われていることもあるかもしれない。

お互いのやっていることを理解し、どこに着地点を創るか?

これからの答え探しは認めるところから始まるのかもしれないなと噛み締めている今日このごろです。

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