私の知っているコミュニティ・スクールと違う問題
こんばんは、ソルティーです。
さて、コミュニティ・スクールの話に関わると言われてしまう言葉があります。
それが
「私の知っているコミュニティ・スクールと違う」
という話です。
これは褒め言葉とかではなく、完全に認識の違いとして働いている言葉であり、「どういうこと?」みたいになっていることがあります。
今回はこの話を詳しく突き詰めていきます。
①コミュニティ・スクールの歴史が影響している
1つ目は歴史です。
コミュニティ・スクールには2段階あったことが影響している可能性があります。
2004年にコミュニティ・スクールが始まったのが第一段階。
2017年にコミュニティ・スクールが努力義務化されたのが第二段階です。
内容や、法律自体にそこまで大きな変更はないのですが、実際には2004年のコミュニティ・スクールでは学校評議員と混同されがちで、『社会に開かれた教育課程』が重視されていました。
そのため、学校運営協議会では授業参観をして「なにか意見ありますか?」というスタイルをしていた学校が多かったのです。
共に運営するというよりは、意見をもらうという学校運営協議会のスタイルがたくさんあり、それが広まっていきました。
また、地域と一緒にと言った時、地域にたくさんボランティアに来てもらおうとするスタイルも多くありました。
この2つのやり方は本来のコミュニティ・スクールの目指すべき目的とは大きく外れたところにあったのです。
そこで、2段階目の努力義務化に伴って、コミュニティ・スクール、本来の目的に立ち戻ってもらうことを重視したため、最近では『地域とともにある学校づくり』というフレーズとともに認知が広まることになったのです。
ここで1段階目を知っている人は、2段階目のことを「何のことを言っているの?」と言ってしまうことが多くあります。
この認識のズレを修正することが実は大切なことだったりします。
②地域や学校によってやり方が違う
コミュニティ・スクールは学校・地域ごとに進め方、やり方が違います。
そのため、他の事例を見ていれば見ているほど、そのやり方の多様さに圧倒され、違和感を覚えたりします。
考え方や、解釈の違いも学校それぞれで異なる場合があり、コミュニティ・スクールを伝える人の解釈によって伝え方・教え方の差異が生まれたりします。
ここで「何が正しいの?」と言ってしまう方が多くいるのではないかなと思っています。
コミュニティ・スクールは最終的なやり方は自分たちで作っていくものであり、オーソドックスなスタイルはあるとしても、「これが正しい」というものはなく、自分たちで作っていかなければいけないのです。
コミュニティ・スクールで大事なポイント
コミュニティ・スクールは『何が正しいかではなく、どうしたら幸せになれるか?』を考える制度だと思っています。
結局、みんなが繋がり、幸せになっていればそれで良い。
幸せになる道をみんなで模索していこう!ってことは、コミュニティ・スクールという制度があってもなくても必要なことだと思うのです。
これがコミュニティ・スクールの難しいところであり、多くの人が悩み、とても時間がかかる部分です。
しかし、これが最終的に幸せへと近づく道なんだろうなと思うのです。