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『自分がまず幸せになれば良い』ということの怖さ

このタイトルを見た時、「今の社会の風潮と違う!」って思ったでしょう。
自分が幸せになれないのに、他人は幸せにできないよ!!

だから、まず自分が幸せになれば良いんだ!


そんな世界の風潮があります。
でも、自分が幸せになれば良いっていうのは相当怖い言葉だなって思っていたりします。

なぜかというと、その裏の『社会全体を幸せにしよう』という観点を持って言っているかどうかがものすごく重要だからです。


実はこれは日本初の銀行を作った渋沢栄一の言葉でもあります。

たとえば、社会現象をみてみよう。人は往々にして利己主義-自分だけが良いという考えに走り、利益のためにはどんなことにも耐え忍んでいくといった傾向を持ち始めている。昨今では、国を豊かにしようとするよりも自分を豊かにする方に重きを置こうとするくらいだ。もちろん、自分が豊かになることが大切なのはいうまでもない。
…(省略)
孔子が「顔回は見上げたやつだ」と褒めた言葉は、「何がみんなのためになるのかを考えもせず、豊かで高い地位にいるには、わたしにとっては浮雲のようだ」
という言葉の裏面を述べただけのこと、別に豊かさを貶めたものではないのだ。しかし、自分さえ豊かになれば満足だとして、国家や社会を眼中におかないというは、嘆くべきことだ。

論語と算盤 現代語訳

こんな風に幸せになるとは何か?ということについてちょっと考えてみたいと思う。


自分が幸せになるのは何のためなのか?

自分が幸せになりたいというものは、まず自分のためが来る。それはお金という呪縛から開放されたいのが一番かなって思います。

毎月の家賃、電気代、ガス代、食費、交通費、学費…
とにかく生きるのにはお金がかかるのです。


ただ、そこがまかなえたら幸せになれるのか?というと、そうじゃないと僕は思います。

なんでかというと、一日中何もしなくて良いですよって状態になったら、暇すぎて、寂しくて死んじゃうからです。

僕たち人間は何かに慌てている時は、なんかいろいろなことを考えなくてすみます。

でも、ずっと一日中、動かずに立っててくださいと言われたらたぶん15分もすれば背中がザワザワして堪えきれなくなってくるはず。


つまり、暇になったとしたらやりたいこと。これが幸せなのかもしれない。

それがゲームかもしれないし、音楽かもしれないし、話すことかもしれないし、宴会を開くことかもしれない。

悩みを聞いて、「ありがとう」って言われることかもしれない。


それを突き詰めていくのが自分の幸せなのだ。


幸せをどう社会に還元するか?で周りも良くなり、幸せが増大する

幸せはただ単純に自分だけ味わっていれば良いわけではない。

例えば、今は『シェアの時代』って言われています。
これは分け合うことで幸せが増えると分かっているからです。

お金でも物でも、家でも、車でも分け合って使えば幸せは増幅していくんだなって思います。


なぜなら、感謝が循環するからです。

最近、子どもたちに自分の食べる分を分け与えたりすることが増えました。
そうすると「お父さんありがとう!はい、あーん」ってまた、幸せが大きくなって僕のもとに戻ってきたり、「これ美味しいね!」って言われる日もあるし、「ありがとう!美味しい〜!」って言う日もあります。

実に模様はさまざまだけど、いろんな形の幸せがそこにあるわけです。


僕の家はコミュニティ・スペースでもあるのですが、いろんなシェア事業をやっています。

場所を貸したり、Wi-Fiを貸したり、コピー機を貸したり、持っているものを貸したり、家の部屋まで貸すファミリーシェアハウス事業も実はやっています。


そうすると、やっぱり「使って嬉しかった」とか、その物や、部屋を使ってもらうことで、「一緒になにかをする」という協働感覚が生まれてくる。


それが大きくなった幸せなんだろうなと思うわけです。

渋沢さんが言っていたことは、すごく難しかったり、嘆くべきことだと書かれていますが、ぶっちゃけ「もったいないよ」って言いたいのかなとも感じたりしました。

幸せは大きくできる。
自分から幸せは掴みにいける。

そんなことを思う今日このごろでした。

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