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終身雇用とたまごっち

『まわせ まわせ PDCAサイクル 休むことなく 
約40年間 守れ 守れ 報連相と社是
働いているのではなく働かせていただいてる』
(岡崎体育・まわせPDCAサイクル)

私には、小学校以来の付き合いの友人が4人いる。
お盆と正月は帰省して、いつものガストに集まり、気が済むまでくだらない話をする。会えない間は、時々グループ通話をする。地元の方言で話すだけで、ストレスが消える気がする。そして神懸かったやりとりが生まれて、私はそれを書き留め、時々見返しては笑う。

例えば、1人が会社の飲み会で異性の上司に肩を組まれ、嫌な思いをしたと話したことがあった。言葉はある程度流せても、物理的な干渉によるダメージは避けられない。どうすればそんな事態が起こる可能性を減らせるか(そもそも行きたくないという心の叫びは無視する)について議論した結果、全会一致で採択した案は「毎食両親のアクスタと共にご飯の写真を撮って送ることを義務付けられている人のフリをする」であった。私たちも誰かの愛する子供であることを認識させるために。
また、1人が風呂場の水垢について愚痴をこぼしたことがあった。そもそも、水垢のピンク色は自然に有るまじき色ではないか?と誰かが問題提起し、賛同の声が上がった。江戸の町民にとっては唯一の美しいピンクであったのだろう、頻繁に発生しても許せたのかもしれない、と妄想は膨らみ、水垢のことを何となく許せる気持ちになっていた時に「…いや、ピンクの花はさすがにあったのでは?」と誰かが気づいて、息ができなくなるくらい笑った。

閑話休題。ガストにいると結局はホットココアに落ち着くように、大抵の場合、話題は仕事とこれからの人生に終着する。今年のお盆は例年より長く、それぞれ実家から離れて労働している私たちは、自分の足で現住所に戻る自信を失っていた。
これから40年も働き続けないといけないなんて、できる気がしない。でも、周りには40年働き続けた人がたくさんいる。何が彼らを終身雇用へ駆り立てるのか、という話になって、「自分以外、特に家族のためでは?」というハートフルな結論が出た。守るものがあって、入り要なものがあって、買ってあげたいものがある。誰かのためだから、働き続けられる。自分に貢ぐのにも限界がある。今の時代、一人で、かつ生活レベルにこだわらなければ、フルタイムの正社員でなくても生活する方法はたくさんあるからだ。では、現時点で守るべきものも支えるものもない私たちは、何のために働けばいいのだろう?という問いがうまれた。ペットを飼う、というのがメジャーな解決法であるとは思うが、そんな人間中心主義は願い下げだ。
すると1人が突然、「たまごっちは?」と言い出した。小学生の私たちを散々熱狂させたあのおもちゃは、カラー画面とWi-Fi機能を搭載し、再び市場を席巻しているらしい。そしてなんとベビーシッターシステムが導入され、たまごっちを四六時中見ている必要がなくなっていた。何より感銘を受けたのは、「けっこん」が必須ではなくなっていたことだ。「けっこん」してもいいし、「ひとりだち」してもいいし、ずっとその子と一緒にいることもできる。「けっこん」と「ひとりだち」のどちらを選んでも、その子が出て行ったあとは、どこからともなくたまごが転がってくる。縁もゆかりもないその子をいかに幸せにできるか?大人になった私たちの底力が試されている気がした。

ココアを飲み干しガストを出て、手分けして周囲の電器屋に電話をかけた。そして唯一、全てのカラーが揃っていた店舗に行き、色が被らないように選び、社会人の財力で購入した。
それぞれ新しい家族とともに現住所に戻った私たちは、グループラインでたまごっちの成長を報告し合っている。シッターは原則18時までなので、私は残業へ憎しみを持つようになり、残業を生み出す外部要因を減らすため、努力を始めた。また、毎日30分の散歩を続けている。(ポケモンGOのような機能がある)

これがいつまで続くかは分からないが、とりあえず日常に変化が起こったことは明らかだし、何より「たまごっちを一緒に買ってくれる友人がいる」という事実が、私の頑張る力の源になっている気がする。

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