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家族を守りたいなら、てんとう虫を探せ

“The story of my life I take her home
   I drive all night to keep her warm
              and time... Is frozen”
        (One Direction • Story of my life)

会社の先輩には生まれたばかりのお子さんがいる。
ある時、「親にしてもらって感謝していることは?」と聞かれた。

「絵本の読み聞かせですかね」
「毎日?」
「はい、ほとんど」
「親御さんすごいね」
「いや、うちの親、私が3歳ぐらいまで定職ついてなかったんで」

私が生まれた時、父は牛乳配達のバイトとアパレルのバイトを掛け持ちしていた。いわゆるフリーターだ。牛乳配達には毎日行っていたが、アパレルはシフト制だった。母は働いていなかった。つまり、私は両親の時間と愛をいっぱいに注がれて、幼児期を過ごしたわけだ。

もちろん、親はできるだけ子供と一緒にいるべきだ、なんて主張するつもりはない。実際、家計の状況のゆえに、いろいろあったから。子供は大人が思っているより、大人のことが分かっている。無理してさせてくれた習い事は、「飽きた」と嘘をついて辞めた。本当はジュースが飲みたかったけど、いつも水が好きなふりをしていた。
一番大変だったのは、私が小学校三年の時の、父が完全な無職だった半年間だった。牛乳&アパレル期ののち、めでたく正社員となり働いていた父は、東南アジアへの出向を命じられ、色々考えた末、断った。そうしたら切られた。それだけのこと。

弟も生まれていたので、もうフリーターでやっていけるような状態ではなかった。とりあえず、母はパートを始めた。父は就職活動を始めた。
もちろんそんなすぐうまくいくはずはなく、次第に生活に影響が出始めた。成人してから母が教えてくれたのだが、財布に500円しか入っていない日があったらしい。お母さん、ここまで育ててくれてありがとう。

そんな時、父がベランダのプランターで枝豆を育て始めた。少しでも家計の助けになれば、ということだと思うが、今になるとなぜ枝豆?という疑問はある。トマトとかの方が栄養ありそうでは?
とにかく、枝豆を育てる生活が始まった。小学三年生の私と三歳の弟は、毎日枝豆を観察した。わくわくした。
しかししばらくして、枝豆に無数のアブラムシがつくようになった。取っても取っても湧いてくる。でも殺虫剤を買う余裕はない。父が私たちに言った。
「てんとう虫探そか」
家の近くの公園で、すぐてんとう虫が見つかった。父はそれを、そっと枝豆の茎の上に載せた。
「これで、こいつがアブラムシ食べてくれるからな」
次の日の朝、私と弟は半信半疑でベランダを覗いた。てんとう虫はまだいてくれた。心なしかアブラムシも減っている気がする。すごい。
二、三日経つと、てんとう虫がいなくなってしまった。お腹いっぱいになったのだろうか。私と弟は、また公園に行った。てんとう虫を捕まえて、枝豆の茎の上に載せた。いなくなったら、また捕まえに行った。さしずめ、てんとう虫の天国への斡旋事業だ。私たちのたゆまぬ営業活動のおかげで、枝豆は無事生ったし、父は無事就職した。

弟と私で父を挟んで寝転び、父の二の腕に頭を乗せて、絵本を読んでもらう夜。大人用の毛布の心地よい重さと、スタンドライトの黄味がかった光。父が声を出すたびに、少し揺れる腕枕。
幼い私が「言葉」に触れていた時間。
文章を書くとき、声に出して読んだ時のリズムを気にしてしまうのは、きっとこの影響だ。

父がこんな状態だったせいで、出来なかったことはたくさんあるだろう。でも、その状態だからこそ、出来たこともたくさんあった。どちらがいいとか悪いとかではなくて、私がそれをどう使うか、ということだと思う。

人生は与えられたカードで勝負するしかない。
でも、カードの使い方は自分次第。
殺虫剤が買えないなら、てんとう虫を探せばいいのだ。


私の日本語のルーツについて知りたい、とリクエストをいただいたので書きました。
ありがとうございました。

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