『パラサイト 半地下の家族』を観て頭を抱えている話

何も言わずにまずはチケット取って映画館に行ってほしい。話はそれからだ。

アカデミー賞で話題になった瞬間にチケットを取った。その前からTwitterで話題になっていたけど、トイレが近い私は2時間以上の上映時間に尻込みしていたのだ。「映画終わるまで何も飲まんかったら出るものも無い」と意気込んで、土曜日一番に上映されるチケットをえいやと購入した。

映画好きのアカウントを多くフォローしている私のタイムラインでは、この映画が賞を取ったことのすごさ、感動が激流のように流れていき、それに混じってネタバレギリギリの綱渡りのような感想が目にとまる。なのでTwitterも封印し、極力何も事前情報を入れずに、映画館の席に座った。私がチケットを取ったときにはまだ席に余裕があったのに、行ってみればもう満席で、前日の自分の行動力に拍手したい気持ちだった。

上映時間が長いので、とためらっている皆さん。気にせずチケットを買ってほしい。前半で話にのめり込んで、後半にジェットコースターに乗っているかのように振り回されてるので、膀胱に神経を使っている暇が本当に無い。目と耳に全神経を使って、すべてのシーンに意味があると思って観てほしい。いやでも、やっぱり不安になるので飲み物は控えたほうがいいです。

おもしろかったのは、シアターから出るときに「期待しすぎた」「意味がわからなかった」という感想も結構聞こえてきたことだ。もちろんこれが悪いわけではないし、偉そうに「頭をかかえてしまった」なんてタイトルに書いている私が見当違いなことを考えているのかもしれない。映画の登場人物にも言えることで、人間は「自分が見えている範囲しか認識できない」ので、今まで見たことないような裕福な家庭・貧困な家庭の状況を見ても、「まじなんであの行動に出たかわからん」と感じる人もあると思う。

この映画には悪者はいない。悪意もない。全員が全員の「自分の感覚」で発言し、考え、行動している。どうしようもないズレと、仕方がない出来事で、ここまで何もかもが崩れてしまうのか。「気をつけましょう」の限界を見た気がする。

○○○

ここからは、本当に映画を観てから読んでほしい。そんな大層な考察でも感想でもなく、私が頭の整理のために半ばメモのように書いていくんだけど、それでも映画の中盤以降の話は出てくる。よくこの映画の感想で「ジェットコースターのように」という言葉が出てくるが、落ちる角度や高さがわかって乗るのと、何も知らずに乗るのと、同じ「初回鑑賞」なら後者がいいに決まっているので。



!SPOILER! !SPOILER! !SPOILER!



○2つの家族の対比○

「なんでこのカットがこんなに長いねん」と思ったのが、ギテクの足の裏のシーン。パク夫婦に見つからないように机の下に隠れ、2人が寝入った隙に這い出して玄関に這い進む。しかし途中で夫婦が起きてしまい、ギテクは音を立てないよう、うつ伏せのままストップ……。

このとき、身動きしないギテクを上から撮ったシーンがあるのだが、めっちゃ足の裏が頭に残る。もう何?ってくらい汚い足が映る。

その後、ダソンのバースデーパーティーに向けた買い出し中に、奥様は車の中で足を助手席の背に上げている(めちゃめちゃ行儀悪い!)。行儀云々はいいとして、この人の足の裏はすごく綺麗。「女性だから」と決め付けたいが、ポスターの家族写真を見ると、チュンスクの足は奥様に比べてやはり少し汚れている気がする。

これも貧困と裕福の環境の対比だったのかなぁと思うとゾワゾワっとした。別にダソンが劣悪な環境で働いてるとか、そういう特別なことは無いにしても、「足の先まで綺麗に洗える環境か」とか?たぶんもっと細かい、何気ないシーンにもこういうのがたくさんあるんだろうな。

○土台と積み木○

これは完全に個人の感想なんだけど、この映画には2つ「崩れる」ものがあると思う。ひとつは前半を占めていた「ギウの計画」、もうひとつはきっと全編通して積み上げられた「ギテクの感情」(これ以外に言葉が見つからないです、我慢ではないと思う)。

ギウの計画は、とても不安定な地盤の上に積み上げられたきっちりとした積み木のよう。「バレたら解雇かな」という中で、笑っちゃうくらい上手く、確実にパク一家の中に入り込んでいく。ただ、やはり地盤が不安定だから、ちょっとした揺れ(めちゃめちゃデカい衝撃でしたね)であっという間に崩れてしまう。もうこの地で計画を積み上げるのは難しい。でも他に場所もない。

ギテクの中には、無計画で楽観的と言えどギテクの人格・感覚・考え方というような基盤があったはず。そこに、パク夫婦のちょっとした言葉、ちょっとした仕草、聞いてしまった話が不安定に降り積もっていく。でも崩れない、崩れたらおしまいだから、ずっと飲み込んでいる。そして、最後に全部が崩れてしまい、一人暗いところに行き、きっと今後、彼の基盤も狂ってしまう。(その前の住民も、その兆しがあったように思う)

え、救いが無い……。

○誰が誰に寄生していた?○

これは本当に悩ましいんだけど、一見すると「貧困家族が裕福家庭に寄生!ここからお金を吸い取っている!」なんだけど、一方でパク夫婦も家政婦達がいないと何もできないんでしょう?顕著なのが、前任の家政婦を解雇してから、次を探している間の描写。料理も掃除もできない奥様、「家政婦がいないとうちはすぐにゴミ屋敷になる」とマジで言う旦那様。裕福な家庭もまた、雇う貧困家族がいないとままならないのだ。

寄生虫は宿主が死なない程度に色々吸い取るものなのだ。ギテク達はお金は吸い取るけど給料としてだし、ちゃんと役割を果たしているし、それでパク一家もハッピーになっている。一方で、パク一家は割りかし無茶振りをする。今日バースデーパーティーをすることになったから来てね、お金は払うからね、来ないわけないよね。

ここで頭に入れておきたいのは、パク一家に全く、まっっっっっったく悪気がない、100%善意で動いているということ。裕福な人って暇なん???ってくらい、このバースデーパーティーにも参加者がゾクゾクやって来る。これがこの人達の世界であり、見えている視界である。それがギテク達を疲弊させていたとしても。

○知らないことは想像できない○

一番しんどいのが、最後の最後に語られるギウの計画が、最も現実離れしているということ。その最後のシーン、引っ越してきたギウとお母さんの荷物は、業者を雇うまでもない、ダンボール数個だけのもの。いやお金持ちの引っ越しなんか実際どうなんか知らんけどさ。

ギウがこの程度の荷物しか想像できないなら悲しいね、と思ってしまった。

何もない家、何も飾られない壁、すっからかんの棚。そこからしかギテクは出て来れない。あそこをパク一家みたいに調度品や絵でいっぱいにすることがイメージでもできないのかもしれない。おかげで最後のシーンはめっちゃ綺麗なんだけど、そしてこの考えは間違っているかもしれないけど、ちょっとそう考えたらしんどくてしんどくて……。

奥様の仕や言動もそうで、彼女の中であの日被害を受けている人はいない。いたとしてもニュースで見る「遠い遠いどこか」の話にすぎない。だから車の中であの言葉が出てくる(まるで自分がめっちゃラッキーみたいに)。

この映画には悪者はいない。悪気もない。ただ、全員が「自分の感覚」で発言し、考え、行動している。だから、知らないうちに誰かに影響を与え、視界の端で何かが起こってしまう。これは実際の生活でも起こることで、「気をつけましょう」でも限界があることだと思う。でも、「自分の認識している世界には限界がある」ことは頭に入れておかないといけない。

とりあえず考察読みあさって2回目観に行きます。



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