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ホッキョクグマに立ち返る

最近、わたしもこの社会で働く一人として、
自分のモチベーションや描く未来は何かと考える事が多くなってきた。

私は自分がこういう人間ですと説明する時に、「”環境問題”に関心があって…」と話すことが多いけど、本当はその一言ではまとめることはできない。ペラペラと話し上手でないから、いつも伝え方に悩む。


 私の転機はおそらく小学生の時。たまたま見ていたNHKで、ホッキョクグマの住処がなくなり獲物がいなくなり衰弱していく場面、そしてクマは年々数を減らしているという事実を知った。その背景には、地球温暖化が原因で、小さな昆虫や植物たちが絶滅の危機にさらされているという話だった。このまま地球温暖化が進めば、数千という種がなくなってしまうという話も聞いた。
 「絶滅」っていう言葉があまり報道で使われなくなったのは、ネガティブに捉えられるからだろうか、最近はあまり見ない。いや、悲しくなるから意図的に見ないようにしてるのか、私は地球上にいる生き物たちが「絶滅」しているという事実に、心が張り裂けそうになる。何千どころか何億年もの歳月をかけて進化してきた生き物たちが命を落として、そこから二度と生き残ることはない事が、本当に悲しかった。それが、人間の活動が原因だとするのであれば、それは人間ならばどうにかできるはずと、という使命感を持つようになった。

 大人になればなるほど、環境問題に関心がある人と自分の片側だけを見られないようにと考えすぎるようになった。一度そういう人だ、と見られれば、その後どんなに伝えたい事を発信をしても、聞く耳を持ってくれなくなるんじゃないか?と思った。まるで童話にも出てくるオオカミのように…なので、伝えるのを辞めたり、柔らかく言い過ぎたり、いつしか蓋をしてしまっていたよなぁと思う。
伝える・響かせるには、どれが正しい発信の仕方なのか分からないまま、今も模索し続けている。正解って多分ない。でも、立ち止まるのではなく、発信しながら考えたいと時間をかけて思うようになってきた。

あと4年」。

最近世界中で多くの人が感じてるように、環境問題は深刻化してて、さらに気候変動による壊滅的な被害を避けるためには、期限があと4年しかないということを発信するためのムーブメント。それを知って、発信に戸惑ってる暇はないからどんどんトライしてこうと思った。

 幼い頃から環境問題を解決したいと思ったけど、そんな簡単にはいかないのは分かった。一番身近な家族に理解してもらうことは難しい。環境問題について意識を変えてもらうことはものすごく時間がかかった。15年前、平日は必ずペットボトルを買って仕事に向かっていた父に、私が人生節目で進路の選択によって示し続けた結果、今ではあの父が水筒を持ち歩くようになり、休日は畑で無農薬野菜を作るようになり父はものすごく変わったと思う。

わたしも、変化した。
自分の思考回路を何周も回って、地球のことばかり考えてた幼少期。
社会全体の仕組み変えないとという責任感があった社会人ほやほやな時期。
数年経って今では半径2メートルくらいのそばにいる人を大切にしたい想いが大きくなった。そして今は、人間も自然も境目なんてなくて全て一緒だと思ってる。(今は、というより幼少期のLisaに立ち返れたと思う)

友達が子供を生む年代となったとき、決して他人事ではなく、子供たちの未来が危ういと感じる。私たちが今最高って思える瞬間や感動することだって、気候変動で環境が悪化すればそんなの考えられないかもしれない。

怖い世界も想像できるけど、一方で描いてばかりで進まないから。感じたことを残すことで、自分を作るし何かが生まれるはず。わたしは引き続き、the Mother earth に優しく、自分が幸せでいれることの実践を。そして発信し続けることを。

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