アメリカ大都市でシングルマザーになった話③

そういうわけで、私はシェルターに入るという選択肢を選ばなかった。ことを荒立てずに、穏便に、物事を進める。それは、私が子供の頃からいつも選んできた道だった。すでに複雑に絡み合った問題に対して、火に油をそそぐようなことはしたくなかった。とにかく、全員にとってベストの道を選びたい、そう考えていた。

その当時、別居するにあたり何がベストな方法かを考えに考えて、いくつかの選択肢を検討していた。

1つ目の選択肢は、都市部から電車で2時間ほど離れた郊外のエリアにあるアーティストハウジング。ここなら、息子と二人で住み、さらに制作環境も整った場所に1100ドルで住める予定だった。別居を決めてからすぐに申請作業を開始して、知り合いから推薦状を書いてもらったり、下見にその街を訪れたりした。だけれど、審査はなかなか進まず、2ヶ月ほどたっても返事はなかった。その間に、元夫からは「そんな遠い場所に住んだら共同養育が難しくなる」と反対された。

2つ目の選択肢は、同じく郊外エリアに住む親友の家に同居させてもらうこと。19歳の頃からの大親友の彼女からは、この当時ものすごくサポートしてもらった。彼女が家族と住む家はかなり大きく、部屋も余っているし、子供同士で遊ばせられるし、住み込みのナニーもいるし、いつまででも居てくれて良い、ととても寛大な提案をしてくれた。幸運にも、彼女の家は義実家からそう遠くなく、そういう意味でも良い選択肢に思えた。しばらくそこで生活を立て直して貯金してから、ちゃんとしたアパートを探そうと思っていた。だけれど、これも遠いとかなんとか理由をつけて反対された。

3つ目の選択肢は、隣の州に家を買うことだった。今考えると無謀な話に思えるけれど、頭金になるくらいの預金はあったし、長期的に見ると一人で賃貸するよりも経済的なのではないかと思った。このアイディアももちろん、反対された。学区の良いエリアに住めるのか、車はどうするのか、トンネル代だってかかる、元夫の住む場所から遠すぎる・・・結局、不動産会社何軒かに問い合わせて審査も受けたりしたけれど、結局家を買う案は非現実的だと思ってあきらめた。

4つ目の選択肢は、元夫の住む区域に自分でアパートを借りる案。一人でアパートを借りたことはこれまでにもあるし、なんとかなるだろうとたかをくくっていた。だけれど、以前賃貸契約をした頃から10年ほど経って、不動産の状況は大きく変化していた。家賃は当時の約2倍に跳ね上がり、法律が変わって、賃貸契約の条件が厳しくなっていた。その条件の一つが、賃貸契約者は家賃の40倍の年収がなければならない、というものだった。その区域で借りられる一番安いアパートはおよそ1600ドル。ということは、年収は最低6万4千ドルなければならないことになる。その当時、私は出産して2年目。妊娠時に勤めていた会社を辞めてフリーランスに移行したのだが、妊娠〜出産〜乳児期を経て、収入が大幅に減った2年だった。つまり、6万ドルの年収なんてものはなかった。どんなにクレジット履歴が良くても、どんなに預金があっても、この州では年収証明が賃貸契約の必須事項なのだ。一つ、私に残された道は、ギャランター(保証人)を立てて賃貸契約をする道だった。その頃はまだ義両親と仲が良かったから、法律事務所を経営する義両親ならば賃貸契約の保証人になってくれるはず、と思っていた。結婚生活を通して、私がお金に関してきちんとしていることは理解してもらっていると思っていた。だけど、驚くべきことにこのリクエストは断られてしまった。理由は、「これまでに保証人になったことがないから」。10年前は、海外保証人も受け入れられていたのだけれど、法律が変わってからそれも不可能になった。正規契約は無理ということだ。

義両親に保証人になることを断られるまでは、私は彼らのことをかなり信頼して慕っていた。とても良い人達で大好きだった。義母と電話で話していた時に、「保証人にはなれないけれど、大丈夫よ。シェルターなんて大げさなこと言わないで。」と言われた。何が大丈夫なのか分からなかった。私にはこの国に他に頼れる人がいないのだ。この時、もう義両親に頼ることはできない、したくない、という事を理解した。離婚するのだし、彼らは最終的には元夫の味方なのだ。

選択肢がすべてダメになって、目の前が真っ暗になった。その間にも、元夫からは「君が別居すると言い出したんだから早く出ていけ」とプレッシャーをかけられた。一緒に住んでいたアパートは私名義なのだけど。私はもうそのアパートに住む気はなかったし、彼を追い出すという面倒くさいことをする気もなかった。

結局、アパートを所有している友達から個人契約で部屋を借りることになった。値段は、想定したよりも少し高い金額。毎月払えるのか分からないけど、どうにかするしかなかった。とにかく、住む場所がやっと見つかってホッとした。

契約を交わした次の日、まだ家具もないガランとした部屋に息子を連れて行って、「ここにマミーと息子くんは一緒に住むんだよ。でもダディのところにも行けるし、いつでも好きなように行き来できるんだよ。」と教えた。息子は2歳。「I love this place!」と喜んでくれて、ホッとしたのを覚えている。息子は割とあっという間に「自分には家(home)が2つある。一つは mommy's place でもう一つは daddy's place」と言うようになった。息子の適応力の高さには本当に助かった。

一人で大都市で賃貸契約することがどんなに大変か、この時に十分すぎるほど理解した。家賃が高いというだけではなくて、しっかりとした額の年収を証明できなければいけない。フリーランスで生活するアーティストの私には高すぎるハードルだった。

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