20世紀ウイザード異聞 最終話
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・明日には明日の風が吹く
そして12月も終わる頃。
ステファンはリル・アレイの駅に居た。田舎とはいえ、年末のプラットホームは人や荷物がせわしなく行き交って賑やかだ。
「どうしても杖は持って帰っちゃだめ?」
不満そうに口を尖らせて、ステファンはローブの裾をゆらした。
「駄目だ。君はなんといってもまだ見習いなんだからね。杖の練習は、年が明けてから。それまでは魔法使いとしてではなく、ただの子どもとしてしっかり両親に甘えてくること。マーシャにも休暇を取ってもらっているんだから、年内は戻ってくるんじゃないよ、いいね」
ステファンはふと不安を顔に浮かべた。
「もし、《両親》じゃなくなってしまったら?」
「こら、そんな顔をしない。大丈夫だよ、お父さんとお母さんの手を見てごらん」
ステファンは振り返り、父と母それぞれの手に、まだしっかりと指輪が光っているのを見とめた。
「顔を上げるんだ、ステファン。それに何があろうと、君がオスカーとミレイユの子どもだってことに変わりはないだろ?」
「そうだよね!」
明るい顔で両親の元へ駆けていく後姿を見ながら、エレインがため息をついた。
「人間ってややこしいのね」
「ややこしいよ。愛想が尽きそう?」
ふふん、とはにかんだように笑って、エレインは慣れないスカートの裾を気にした。トーニャが贈ってくれた流行のペプラムスーツはウエスト部分が細くなっていて、エレインの体形にとても良く似合っている。
「そうだ、一つ疑問が残ってるんだけど。オスカーはなぜ何度も辞書を使う必要があったの? ミレイユの記憶を消すためだけなら、一度で良かったんじゃない?」
オーリは答えず、昨日オスカーに同じ事を問いただしたことを思い出した。あの時オスカーは言ったのだ。フィスス族が滅んだ原因のひとつは自分にもあるのではないかと。遺跡を発掘しながら偶然竜人の守り里を見つけ、同じチームの人間が発表してしまったことをずっと悔いている、と。その後オスカーが何のために、誰の記憶を消そうとして何度も辞書を書き直したのかは、訊かなかったが。
「人間は、ややこしいんだよ」
それだけ言ってオーリがもう1度ペリエリ家の3人を見ると、目が合った途端ステファンがこちらに駆けて来た。そのまま両腕をエレインに伸ばしてハグをする。
「エレイン! もし先生とケンカしても、あの家を出ていっちゃダメだよ。それから先生」
ステファンは腕を離してオーリに向き合った。
「もう2度とエレインを泣かせないで。今度また泣かせたら、ぼくがエレインと契約して守護者になってもらうんだからね!」
言いたいことを言ってしまうと、照れたように、ステファンは再び両親の元へ駆け戻っていく。
「しまった、思わぬところに恋敵が潜んでたか。あいつめ……」
「何のこと?」
きょとんとしているエレインの問いをかき消すように、列車は長い汽笛を残して走り去った。
「あのう……もしかして、エレイン、さん?」
驚いて振り返る2人に声を掛けたのは、スケッチブックを抱えた画学生風の少女だった。広い額に掛かる前髪を掻き分けながら、金色に近い瞳で見上げる。
「フィスス族の……エレインさんですよね? それにオーリローリ先生。雑誌に記事を連載していらしたでしょう」
「よく知ってるね」
オーリが愛想よく答えると、少女は顔を輝かせた。
「ああやっぱり! あたし、あのお話大好きだったんです。雑誌の記事、全部切り抜いて大切にしてます。あの、サインをいただいても……?」
少女は遠慮がちにスケッチブックを開いて差し出した。ページの中央に、オーリの描いたペン画の切り抜きが貼り付けてある。
「2人連名でいいかな」
そう言うとオーリは万年筆を取り出し、『サイン』の意味が分からず戸惑っているエレインの手に握らせると、自分も手を添えて『エレイン&オーリローリ・ガルバイヤン』と記した。
「わあ、ありがとうございます!」
感激した面持ちの少女は、周囲を気遣いながら小声で告げた。
「じつは、あたしの母もエレインさんと同じような身の上だったんです。誰にも内緒だけど」
「あなたのお母さんは?」
「ずっと前に亡くなりました。でも亡くなる前、悔いの無い一生だった、って父に言ってたんですって。母と父は駆け落ちして一緒になったんですよ。これも内緒だけど」
少女はそれだけ言うと軽く膝を曲げる挨拶をし、スケッチブックを大切そうに抱えたまま走り去った。
「オーリ、見た? あの娘の目!」
「ああ。竜人の目をしていたな」
次の列車に乗る人の列に紛れて、少女の姿はもう見えなくなっていた。それでもエレインはなお、少女の去った方向を見ながらつぶやいた。
「あたし、竜人の血を残せるのかも知れない……」
やがて列車が走り去ると、駅は再び田舎の静けさを取り戻した。
オーリはひとつ咳払いをし、改まった顔でエレインに向き直った。
「ところでエレイン、今日が新月の日だって覚えてるかな」
「覚えてるもなにも、あたしが一番分かってることだもの。どうしたの?」
「久しぶりに王者の樹に会いにいってみないか、ふたりで」
「今から? なぜ」
「だから、今日は新月だから、その……」
オーリは緊張して言いよどんだが、エレインの手を取るときっぱりと言った。
「竜人の君が人間の言葉『愛してる』の意味を理解できなくてもいい、何度でも言い続けるから。君が故郷で迎えられなかった『新月の祝』を、あの神聖な樹の下で迎え直したいんだ!」
緑色の目が大きく見開かれた。
「あら、『新月の祝』というのは何十人もの候補の中からひとりの伴侶を選ぶものよ。あたしには選択の余地がないってわけ?」
「ない! ないったらない! 君の伴侶候補は、このオーリローリひとりで充分だ。不満か?」
「ふーん?」
エレインはからかうような目つきで、必死な表情をしているオーリを見上げた。
――『選択』ならとうにしている。2年前、故郷と共に滅ぶよりもこの風変わりな魔法使いと共に生きることを選んだ、あの新月の日に。新月の夜に誓いを立てるのは特別な相手だけ。なのに人間という異種のこの男は、こっちの覚悟に気づいてなかったのか。この2年間、守護者どのと呼ばれる度に泣きたくなるような思いでいたのに? 鈍感にもほどがある。
先のことなど誰にも分からない。何もかもが目まぐるしく変わっていく時代の波の中で、変わらずに輝く物など無いのかもしれない。それでも、信じられるものがあるとしたら? ――
「いやその、約束だけでもいいから……そりゃ、僕は竜人の男に比べたら頼りないかも知れないけど」
次第に弱気になっていくオーリの声に吹き出しそうになりながら、エレインは大胆に腕を組んだ。
「ま、いいでしょ」
柔らかな冬の陽射しが斜めに傾く中で、どう、と風が吹き過ぎる。
風の中にひと筋、紅色と銀色の光が走り、笑い声と共に過ぎていったのに気付いた人はいただろうか。
静かな森の中で、常緑の巨大樹は、いっそう輝きを増した。
(了)