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20世紀ウイザード異聞【改稿】2-⑤

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・パーティー

 波音が聞こえるものの、足元は砂浜ではなく岩だ。いや、人工的な石の広場のようになっている。 
 潮の香のする夕闇の中でいくつもの白い光の円柱が立ち上がり、その中から着飾った紳士淑女が現れる。それぞれに挨拶を交わしながら、向かうのは岸壁だ。岸壁の前では門番のように巨大な一対の石像が見下ろしている。人びとがその石像の前で名乗る度にさっと岩が割れ、またすぐに閉じる。
 オーリもまた進み出て、石像に向かった。

「初代ワレリーの娘たる賢女オーリガの息子、オーレグ・ガルバイヤン。及びその弟子ステファン・ペリエリ」

 低く、よどみなく、呪文でも詠唱するような声で告げる。
 え? とステファンがオーリを見上げる間に、目の前の岸壁が割れた。「先生、今の名前って……」
「わたしの本名だ。行こう」
 オーリはステファンの背を押して岩の向こう側へ進んだ。急に明るくなって目が眩みそうになる。ステファンの目が慣れてきた頃、淡い光に照らされた庭園と古い屋敷が姿を現した。
「オーリローリは画家としての名だ。ガルバイヤンというのも本来は祖父の持っていた『雷を操る』という意味の通り名なんだよ。母国のジグラーシでは魔法使いは姓を持っていなかったんだけど、祖父がこの国に移り住む時、移民局での手続き上必要になって、通り名を姓として登録してしまったというわけさ」
 ステファンは屋敷に集まる人びとを見回した。オーリの話は半分ほどしか理解できなかったが、魔法使いにも竜人同様、複雑な事情があるらしい。「そうなんだ。でも誰もローブ着てないね。魔法使いの集まりじゃないの?」
「いや、ほとんどが同郷の魔法使い、魔女だと思うよ。ただ、今日は魔力の無い一般人の客も来るはずだからね。武装してたんじゃ失礼だろう」
「武装って?」
 広間に進みながら、オーリもまた周りを見渡した。
「いいかいステフ、『杖とローブ』というのは魔法使いの象徴であり、武器であり、鎧でもあるんだ。わたしたちは常に杖を携帯しているけどそれは、ピストルを隠し持っているのと同じくらいに物騒なことなんだよ」
 ステファンはどきりとした。杖を持つにはややこしい手続きが必要、とは聞いていたが、そんな理由があったのか。

「よう、オーリ! ステファン!」
 広間の向こうからきさくに声を掛けてきた青年がいる。一瞬誰だかわからなかったが、声には聞き覚えがある。
「ユーリアン、さん?」
 目を丸くするステファンの元に、褐色の笑顔が近づいてきた。丈の長い真っ白な異国の民族衣装を着ている。襟元から胸にかけての金糸を使った刺繍と、肩から長く垂らした緋色のショールが照明に映えて目を引く。
 隣に立つトーニャもまた、ユーリアンに合わせた緋色のベールと民族衣装だ。右肩だけ出したドレスが、丸いお腹の上でドレープを描いている。
「おい……2人とも、キメすぎだ。そりゃ綺麗だけどさ、主賓より目だってどうする」
 オーリはしげしげと夫妻の姿を見た。
「なあに、普通にしてたって僕は目立つんだし。それに僕の故郷じゃこれが正装だぜ。失礼にはならないだろう」
「どちらが失礼だか。結婚式にはオーリ以外だれも来てくれなかったんだから、今日はお披露目よ。大叔父様だって喜んでくださるわ」
 ユーリアンと腕を組むトーニャは、周りの親戚に向けて挑むような笑みを見せた。
「ステファン、君もなかなかの男っぷりだ。魔女たちが騒ぐだろうなあ。覚悟しておけよ」
 ユーリアンがにやにやしながら言う。冗談はやめて欲しい。ステファンは冷や汗を浮かべた。それでなくても、見たことも無いオーリの一族が集まるパーティに自分みたいな子どもが来てよかったのか、戸惑っているというのに。
「エレインはやっぱりダメだったのか?」
 周りをはばかるように、ユーリアンが小声で聞いた。
「ああ、仕方ないさ。今日集まるのはソロフ門下ばかりじゃない。竜人を見下すような連中もいるだろうし」
「そりゃ……しょうがないよなぁ」
 ユーリアンは同情とも慰めともつかない表情でオーリの肩を叩いた。
「こっちは崖から飛び降りるつもりで2年間の思いの丈を全部告げたつもりなんだがな。守護者としてじゃなく、パートナーとして共にいてほしいと。『愛してる』ってちゃんと言ったさ。まさか『やなこった』のひと言であっさりフラれるとは思わなかった。人生最悪の日だよ」
 オーリは冗談めかして肩をすくめたが、目の中には悲しげな光の珠が揺れている。そんな『人生最悪の日』に、自分の感情に沈むよりもオスカーの手掛かりを探すことを優先してくれたのだ。先生ごめんね、とステファンは胸の中で詫びた。
 けれど、今のステファンにはオーリを思いやっている余裕は無い。なにしろさっきから、広間中の視線がこちらを向いているのだ。無理もない。きらびやかな異国の衣装をまとったユーリアン夫妻は絵本の中から抜け出たようだし、彼らと相対しているオーリもまた、別な意味で際立っているし。
 視線というものは不思議だ。直接的な力が加わるわけでもないのに、人を怖気づかせ、傷つけもする。ましてこの場に居るのはほとんどが魔法使いと魔女だ。ただでさえ強い目をしている彼らから発する圧力といったら! 好奇心やら嫉妬やら、羨望やら非難やら……それらが千本の矢よりも鋭く刺さってくるというのに、この3人はなぜ平然としていられるのだろう。

 ステファンがいたたまれなくなった頃、広間の一隅がざわつき始めた。「主役のお出ましよ。相変わらずね、大叔父様」
 トーニャが皮肉な笑みを浮かべた。
 数人の美女に囲まれて、音も無く大きな椅子が現れた。
 革張りの背もたれと重厚な彫刻入りの縁取りが見えるが、肝心の「大叔父様」の姿は周りの人の頭に邪魔されて見えない。
 列席者は次々に集まって椅子に向かい、順番にお祝いの言葉を述べていく。大叔父様はきっととても小柄な老人なのだろう、とステファンは勝手に解釈した。
「ステフ、あれは何に見える?」
 オーリが顎で示すのは、椅子の周りにいる、中世の婦人のような装束でかしづく美女のことだ。
「なんというか……人間じゃない。生きてるけど、なんか恐いな」
「そう。はっきりした本性が見えなくて幸いだな。あれは大叔父と契約している、ハーピーだの水妖だの、まあそういった連中だ。現在じゃほとんど見ることのない絶滅危惧種ばかりだな。中世風の美女に変身させてるのは大叔父の趣味だろうけど」
 オーリはそういうと、視線を落とした。
「本来の姿を偽って、魔法使いのしもべのごとく振舞って……そんな風に生きていくしかない彼らは、自分をどう思ってるのかな」
 エレインのことを考えているのだな、とステファンは思った。
「先生はエレインのこと、『しもべ』だなんて思ってないよね。 ううんエレインだけじゃない、インク壷のアガーシャだって、庭にいる変な連中だって、大切にしてるもの」
「もちろんだよ。エレイン、マーシャ、ステフ、他の皆のことも、家族だと思ってきた。家族が欲しかったんだ、とても。でもエレインはそう思ってなかったのかもしれない」
 らしくない言い方だ。ステファンはふんっと息を吐いた。

「弱気になっちゃ、いけないんじゃないかな!」
 オーリが目を丸くしてこちらを見ている。師匠にこんなことを言う自分が信じられなかったが、家を出る直前に見たエレインを思い出すと、言葉が勝手に口から飛び出してくる。
 ステファンは足を踏み出した。
「あのね、ぼくの家族はお父さんとお母さんだけど、先生からも家族って言ってもらえてすごく嬉しいんだよ。エレインだって、マーシャだってそうだと思う。みんな先生が好きであの家にいるのに、なんで勝手に諦めてがっかりしてるの? 先生はエレインが好きなんだよね、ケンカしたってパーティーを断られたって、大好きなことに変わりないよね? 両方が大好きで大切なのに家族じゃなかったら、おかしいよ!」
「……言うようになったなあ、君も。ほんの2か月前まで自信なさげにボソボソ言ってたのに」
 オーリは感嘆したように呟いた。
「ありがとうステフ。そんな風に考えたこともなかったな……」
「おおい、いつまでそこでグダグダ言ってる? さっさと挨拶を済ませてこい。飲もうぜ!」
 ユーリアンがシャンパンの入ったグラスを掲げて陽気に声を掛けてきた。
 そうだ、大叔父様に挨拶しにきたんだった。心の中はそれどころじゃないのに、目の前の現実は待ってくれない。
 椅子の前まで進むと、オーリは礼儀正しく胸の前に右手を置き、目線を下げる。
「賢女オーリガの息子オーレグより、大叔父様の180歳のお誕生日をお祝い申し上げます」
 ステファンも慌ててオーリに倣ったが、頭を上げてぎょっとした。失礼だとは思ったが、椅子の上を凝視せずにはいられなかった。

――これって、人間?

 ふかふかの絹のクッションの上に鎮座しているのは、赤ん坊の頭ほどの茶色く干からびた木の切り株、いや、球根、いやそれとも?
「おお、オーリガの息子よ、ありがとう。お前も息災か」
 茶色い物体の裂け目が人間の口のように動いた。と、その上部に2つの裂け目がカッと開き、ステファンに向いて叫ぶように言った。
「待っておったぞ、オスカーの息子よ!」

 ステファンは驚きで声も出なかった。
「なぜオスカーの名を……!」
 驚いているのはオーリも同じらしい。
 大叔父様と父がどこでつながりがあるのか、いやその前に、この不思議な干からびた塊りがなぜ『大叔父様』なのか、頭の中が疑問符だらけで目まいがしそうだ。
 なにか言葉を紡ごうと焦ったが、その間にも茶色い塊りの目と口――そう呼べるのならば、だが――は再び閉ざされ、沈黙してしまった。お供の美女たちがさっと椅子を囲む。
「眠ってしまったようだ。話の続きは後だな」 
 オーリは舌打ちこそしなかったが、苦々しい顔でその場を離れた。
 挨拶の順番待ちをしていた人びとから残念そうなため息が聞こえたものの、みんな何ごともなかったような態度で広間の中に散っていく。ステファンが振り返ると、大叔父様は既に美女や椅子もろとも姿を消していた。
「ええっと、どういうこと?」
 ステファンは迷子にならないよう懸命にオーリの後を追った。
「気にすることはない、大叔父は起きている時間のほうが短いんだ」
「そうじゃなくてさ、なぜぼくのこと知ってたの? 大叔父様ってお父さんと知り合いだったの? だいいちあの姿って……180年も生きてるとああなっちゃうの?」
 矢継ぎ早に質問をするステファンに、やっとオーリの顔が向いた。
「最初の2つは直接本人に聞くしかないな。いつもああやって謎かけのような言葉を吐いて、引っ掻き回しては楽しんでるんだから。始末の悪い年寄りだ」
 広間にはいつの間にかいい匂いが漂っている。壁際のテーブルには料理やグラスが並び、人びとは主役の居ないまま思い思いの場所に立って乾杯をし、談笑を始めている。
「なるほど、ご馳走が並ぶ場にハーピーを同席させるわけにはいかないものな」
 オーリはそう言ってフルートグラスを手に取り、ステファンには蜂蜜色の飲み物を渡した。 
「そして最後の質問だが。昔の高名な魔法使いが400年も500年も生きたことを思えば、180歳なんてまだ壮年だよ。なのにあの姿だ。なぜだと思う?」 
 ステファンに判るわけがない。質問しているのはこっちなんだけど、と困っていると、オーリは細いグラスの曲面に映る自分の顔を見ながら言葉を継いだ。
「一族を守るために、自分の魂を裏切る魔法を使った代償さ」
「ええ?」
 思わず大声で聞き返したステファンに、周りの何人かが怪訝そうに振り向いた。
「どういうこと? 先生こそ、それじゃ謎かけみたいだ。ちゃんとわかるように言ってよ」
「よう、どうした。何を揉めてる」
 人びとの輪の中から抜け出して、ユーリアンが近づいてきた。
「大叔父がなぜあんな姿になったかという話」
 オーリはグラスの中の細かな泡を見つめながら呟いた。
「こっちへいらっしゃい、ステファン」
 トーニャは壁際の椅子にステファンと並んで座ると、皿に盛ったオードブルを勧めながら話し始めた。
「大叔父様の姿は何に見えた?」
「わかんない。木の切り株かな。それとも球根?」
「近いわね。あれは、巨大樹の種子よ」
「巨大樹って、王者の樹みたいな?」
 ステファンの脳裏に、いつか森の中で見た、神秘的な王者の樹の姿が鮮やかに浮かんだ。

「私たちのお祖父様や大叔父様がこの国に移り住んだ頃はね、生きていくだけで大変だったの。魔法使いの地位を高めるために、大叔父様たちはあらゆる手を尽くしてくれたと思うわ。戦争に加担することもあった。綺麗ごとでは済まされない手段も使った。それがいいとか悪いとかじゃなく、そうしなければ生きていけない時代だったのよ。
私たちが今、魔女、魔法使いと名乗りながらも普通の市民として暮らしていられるのはね、大叔父様たちの世代が土台を作ってくれたからよ」
「けど、失うものも大きかった」
 くい、と一息に残りを飲み干して、オーリはまずそうに顔をしかめた。
「そうね。魔法といっても所詮は人の心から生まれるもの。世の中が落ち着くにつれ、自分達の過去を問うようになると、罪の意識に耐えられなくなった最初の世代は急速に魔力を失っていったわ。大叔父様はああして人の姿を捨てて、やっと自分を保っているの」
「そうなんだ。でもなんかそれって……あんまりだ。大叔父様、かわいそうだ」
 神妙に考え込むステファンに、トーニャは微笑んだ。
「大叔父様は望んであの姿になったのよ。自分が亡くなったらこの岬の土に埋めて欲しい、そこから大いなる樹に成って皆を見守りたいって言ってたわ」
「あの様子じゃまだまだ樹には成れそうにないけどね。美女を侍らせたりして俗っ気が多すぎるだろう、あの爺さんは」
 皮肉たっぷりに言うオーリはチョップを少しかじって、再びまずそうな顔をした。
「味を感じないんでしょう、オーリ」
 トーニャは笑いをこらえるような顔をしている。
「砂を噛む思い、とはまさにこれだな。どういう料理人を雇ったんだ?」「そうか? シャンパンもラム肉も極上だと思うが」
 ユーリアンは自分のチョップを骨だけにしてしまうと、満足げにナフキンで口を拭った。
「あなたが大叔父様に対して心を閉ざしている限り、ここでは何を口にしても同じでしょうね」
「へえ、光栄だな。じゃあ結構だ、食事が目的で来たわけじゃなし」
 オーリはムスっとした顔で、壁の天使像が持つ皿に食べさしの肉を置いた。天使は途端に顔じゅう口だけの怪物に変わり、ラムチョップをひと呑みにすると、再びすまし顔に戻った。
「そうとんがるなよ。大叔父様が目覚めたら一緒に部屋へ伺おう。それまでは時間を有効に使うんだ、オーリ」
 ユーリアンはトーニャの腕を取ると、さっき話していたのとは別の魔法使いに近づいた。最初は硬い表情で挨拶をした相手も、少し言葉を交わすうちにたちまち笑い声を立てるようになった。そうしてものの5分とたたないうちに、ユーリアン夫妻の周りには人の輪ができてゆく。
「たいしたものだよ」
 オーリは苦笑いをした。
「彼は周りと違うことを最大の武器にして、人の心をつかんでしまうんだ。職業の選択を間違えたんじゃないかとさえ思えるね」
 ステファンは目を丸くして夫妻を見るうちに、オーリの言葉とは別なことを思った。 
――本当は皆、ユーリアンと話してみたかったんじゃないだろうか。
 なのに、何かが目に見えない障壁になって、人を緊張させ、遠ざけさせる。ユーリアンはあえてその障壁を自分から踏み越えに行ったようにも見える。
 なんで魔法使いたちは、自分からユーリアンに近づこうとしなかったのだろう。1度でも彼と会って話してみれば、楽しくていい人だとわかるのに。

 
 すう、と冷たい風が流れ込んで来た。と共に、静かな衣擦れの音と重々しい気配が近づいてくる。目を向けたステファンは、思わず後ずさった。黒いドレスと円錐形の帽子を被った魔女が数名、こちらに近づいてくる。
「これは伯母上。お久しぶりです」
 オーリは自ら歩み寄って、懐かしそうに先頭の魔女の手を取った。
「元気そうね、オーレグ」
 まるで女王のごとく威厳のある態度でオーリの挨拶を受けた後、魔女は水色の目をステファンに向けた。この顔には見覚えがある。いつかオーリ宛に届いた『虚像伝言』の魔女だ。黒髪の半分は白くなっているが、老婆ではない。オーリと背が変わらないほどの堂々たる体格といい、氷のような目といい、映像で見る以上の迫力だ。
「この子は?」
「わたしの弟子です。ステファン、こちらはガートルード伯母、トーニャの母上だ。そして一族の魔女ゾーヤ、タマーラ、リンマ……」
 年取った3人の魔女たちは随分小柄だ。老木のようなシワシワの顔を突き出して興味深げにこちらを覗き込む。
「は、はははじめまし、まし……」
 これだけの魔女に囲まれるとさすがに強烈すぎる。恐さと緊張で舞い上がったステファンがまともに挨拶の言葉も言い終わらないうちに、3人の魔女は歯の抜けた口をほころばせて取り囲んだ。
「んまあー可愛らしい。オーリャの小さい頃を思い出すねぇ」
 魔女たちはあっという間にステファンの腕を捕らえると、有無を言わさない迫力でデザートを盛ったテーブルのほうへ引っ張っていく。
「ひぃぃっ!」
 ステファンは助けを求めようとオーリを振り返ったが、彼はまだ伯母と話しこんでいる。その間にも3人の魔女は代わる代わる早口で話しかけてくる。大半は彼女らの母国語なのか意味がわからないが、どうやらテーブルのお菓子を取れ、とさかんに勧めているようだ。
 もとより食欲なんてないが、断るとどうなるかわかったものではない。仕方なくいくつか焼き菓子を皿に取って、顔をひきつらせながら口に運ぶと、魔女たちは満足そうに声を立てて笑った。その声さえ恐くて胃が凍りそうだ。早くオーリの話が終わらないかな、と泣きそうな思いで、ステファンは2個目の菓子を口にねじ込んだ。

 オーリはといえば、伯母に連れられて来た別の魔女に挨拶している。随分若くて綺麗な魔女だ。少し話をしたところに、また別の魔女が挨拶に来る。数分のうちに、オーリは何人もの魔女と会話をしなければならないようだった。
 ステファンにもうすうす事情がわかってきた。これは一種のお見合いだ。厳しい監視役のように立つ伯母の傍で、オーリは苦役に耐えるような目をしている。3人の魔女にステファンを『拉致』させたのだって、邪魔者を追っ払うためだろう。
 若く美しい魔女たちは、やたら熱を込めた眼差しでオーリを見ている。話が終わった後も、魔女どうしお互いにけん制するように視線をぶつけ合う姿は、見ていて恐ろしい。
 オーリは最初のうちこそ礼儀正しく挨拶をしていたが、次第にイライラした表情になってきた。
『もう充分でしょう、伯母上』そう口元が動いたかと思うと、魔女達には一瞥もくれず、大きな歩幅でステファンに近づいてくる。
「失礼。ちょっと所用がありますので」
 オーリはそう言って、ステファンの腕を引っ張り、3人の魔女から引き離した。助かった、そう思ってステファンは口の中に残った最後の欠片を飲み込んだ。これ以上あの魔女たちの勧めるままお菓子を食べ続けてたら、胃が砂糖漬けになってしまう。

 ステファンを引っ張ってテラスに出ると、オーリは吐き捨てるように言った。
「なにが由緒正しい魔女だ、なにが血統だ! 化粧や宝石でいくら飾り立てたって、腹の中はきたない見栄と欲ばかりじゃないか。だから魔女は好かないんだ! ステフ、君にも多少は連中の心が見えただろう。エレインのほうがよっぽど高潔だ。そう思わないか?」
 一気にそれだけ言ってしまうと、腹立たしげに青い火花を敷石に投げつける。
 そりゃ比べるほうがどうかしているよ、とステファンは思った。高く髪を結い上げ、思い切り肩を出したドレスの魔女たちは、確かにぞっとするほど綺麗だ。けれどその『綺麗』と、エレインの『きれい』はまるきり違う。
 化粧なんかで飾らなくても、エレインの笑顔には濁りが無い。おへそ丸出しの狩猟神のような格好で森を駆け回る姿を見ると、ステファンの目にはいつだって紅い竜と太陽のイメージが浮かぶ。どんなにぴかぴか光ったところで、太陽に勝てる宝石なんてあるもんか。
 広間の中では音楽が流れている。数人がダンスを始めたようだ。
「ぐずぐずしてたらダンスの相手までさせられそうだ。ステフ、そろそろ大叔父のところへ行こうか」
 オーリが懐中時計を取り出した時、広間の一隅がざわつき始めた。

 タキシードや燕尾服の紳士たちの中、大声でわめいている男がいる。口髭をたくわえた赤ら顔には見覚えがあった。
「先生、駅で竜人を苛めてた人だよ」
 オーリもそれは判ったようだ。無言でうなずき、厳しい目を髭男に向ける。が、男と対峙している相手を見てさらに顔を曇らせた。
「悪いがステフ、先に行っててくれないか」
 そして庭に続くテラスを示して手を伸ばした。
「大叔父の部屋は3階にある。広間は通らず、テラス伝いに行って4番目の部屋へ入るんだ。螺旋階段が見えるから、手すりの彫刻にこれを掲げて。そうすれば大叔父様の部屋までの道筋がわかる」
 オーリは手短に言いながら、内ポケットから光る物を出した。トーニャの家で見た水晶だ。ステファンは緊張して水晶のペンダントを首に掛けた。「4番目の部屋、らせん階段、わかりました。でも先生は?」
「すぐにユーリアンたちと合流する。これを」
 金色の火花と共に、オーリの手に『忘却の辞書』が現れた。ユーリアンが分解したままの形だ。オーリは銀髪を束ねていた黒い紐を引き抜くと、辞書がばらけないようにしっかりと束ねた。
「これは別に持っていたほうがいいな。内ポケットに入れておきなさい」
 オスカーの手紙をステファンがしまったのを見届けると、オーリは足早に広間に戻っていった。

「だぁら、場違いらといっておるのだ!」
 ろれつの回らない男の声に、人びとはダンスを止めて何事かと囁きあっている。壁の前の巨大な自動演奏花のみが、金銀の花の彫刻を揺らしながらワルツを奏で続ける。
 酒臭い息を撒き散らしてわめく男の前で、トーニャを庇うようにしてユーリアンが立っていた。
「おっしゃる意味がわかりませんね。失礼ですが、少しお酒が過ぎたのでは?」
 冷ややかな声で応じるユーリアンの純白の上着には、赤い酒の染みが広がっている。
「黙れ、異国のインチキ魔法使いめが。今宵はイーゴリ老の祝いの席だというからこうして知事閣下をお連れしたというのに、お前のような南国者が居ては興ざめだわい!」
 ユーリアンが何か言い返す前に、声を発した者がいた。
「お言葉ですが、彼の出身地はすでにこの国の一部では。それに彼自身優秀なソロフ門下ですし、夫人は初代ワレリー老の孫です。一族の者として、祝いの席に着くことに何の問題もないと思いますが?」
 銀髪を長く垂らしたオーリが、いつの間にか背後に立って髭男を見下ろしていた。長身から発せられる声は冷静だが、水色の瞳には怒りの色を浮かべている。
「ほう、驚いた。異国人がここにもか。ジグラーシ出身の一族にはなんとも奇態な輩が揃っているものだな、え?」
 ざわっと周りの人びとが不快そうな反応をしたのにも構わず、髭男は太った腹を突き出して笑った。
「まあまあ、そう事を荒立てずとも。私は楽しんでおりますぞ、このような異国の徒と親しむのも座興でよろしいではないか。ときに奥方、ご主人は着替えが必要なようだ。その間私が一曲お相手など」
 知事と呼ばれた白髪の男は手を差し出した。片眼鏡の向こうから薄笑いを浮かべ、民族衣装のトーニャを無遠慮にじろじろ見る。
「まことに光栄ですが閣下、ごらんのとおり妻は身重ですのでダンスのお相手はとても……」
「いいえ、ここはお受けしなくては失礼というものですわ」
 トーニャは紅い唇をニヤと曲げて知事の手を取り、自動演奏花に呼びかけた。
「フローティング・ポルカを!」

 声に応えて、金属のタクトが宙に浮かんだまま揺れた。軽快なポルカの演奏が始まる。
 髭男と知事に不愉快な視線を投げながらも、魔女と魔法使いが中央に集まってきた。それぞれに床からふわりと舞い上がり、浮遊したままポルカを踊り始める。
「さあ、知事閣下。どうなさいました? こういうダンスはお嫌い?」
 緋色の衣装から手を伸ばしてトーニャは冷たく笑っている。相手が魔力の無い普通の人間だということを承知の上で誘っているらしい。知事は目を白黒させて首を横に振った。
「慎みなさい、トーニャ」
 厳しい声と共に大柄な魔女が現れた。
「失礼しました閣下。躾の行き届いていない娘の、ちょっとした冗談ですわ」
「ガ、ガートルードどの! これは、こちらこそ失礼」
 知事は魔女と面識があったのか、慌てて一礼すると、逃げるようにその場を去った。
「さてと、カニス卿。うちの娘婿が何か? それともダンスのお相手でもお探しですかしら」
「い、いえ滅相も無い」
 カニスと呼ばれた髭男もまた、ガートルードを見て顔色を変えた。
「それは残念だこと。ではユーリアン、踊りながら話を聞きましょうか。その前に……」
 魔女はユーリアンを後ろ向かせると、何度か爪を弾いた。さっきまで赤い染みのできていた上着が、たちどころに純白に戻る。
「ありがとうございます、お義母さん」
 ユーリアンは微笑んで自分より頭ひとつ分背の高い魔女の手を取ると、オーリを振り返った。
 オーリはうなずき、髭男に鋭い一瞥をくれてから、トーニャを安全な壁際の席まで連れて行った。

「ほう、思い出したぞ」
 髭男はオーリを睨みながらつぶやいた。
「あの銀髪は駅にいた若造だな。あの時はよくも恥をかかせてくれた」
 ダンスに加わる人の数はますます増えてきた。軽やかな2拍子の曲と歓声が飛び交う中で、オーリは何か嫌なものを聞いたかのようにピクと反応した。
「今なら母に叱られないわよ、遠慮せずに行ってらっしゃい。ここで見ててあげるから」
 トーニャは何かを期待するように笑みを浮かべた。
「相変わらず過激だね、わが従姉どのは。別に喧嘩をするつもりはない、そのくらいの分別はあるよ」
「でも、向こうから挨拶に来たら?」
 フローティング・ポルカの輪を縫うように髭男はこちらに向かってくる。しつこい奴だ、とつぶやいて真っ直ぐ相手に近づいてゆく従弟の背中を見送利ながら、トーニャは楽しそうに手を振った。

 カニスはフン、と口髭を揺らし、テーブルに近づいて再びグラスを手にした。オーリもそ知らぬ顔でグラスを取り、隣に立つ。
「オーリローリ・ガルバイヤン、思い出したぞ。この一族には確かそんな別名を持った絵描きが居るらしいな」
「これは光栄です、カニス卿。わたしのほうはご高名をちっとも存じ上げなかったというのに」
 嫌味たっぷりにそう言うと、オーリは杯を掲げた。
「そうとも『卿』だ! この称号を得るために苦労してきたんだからな。貴様らには分かるまい」
「分かりたくないですね。称号なんて我々には無用な飾り物だ。自由な立場で居られるからこそ魔法使いなんだ。そうじゃないですか?」
 オーリの目は壁の照明を受けて冴え冴えと光っている。
「その《《無用な飾り》》こそが力なのだ。君ら絵描きだってそうだろう、コンペで賞を欲しがらない者が居るかね? 画壇で名を上げたいと思うのはなぜかね? 結局のところ、画商に少しでも高く買わせた者が勝ちなのだ。世の中とはそういうものだろう」
「あなたは何もご存じない」
 オーリは『軽蔑』の言葉がはっきりと読み取れる顔を見せた。
 音楽は流行のダンス曲に変わっている。浮かれた曲調に場違いな表情で、2人の魔法使いは睨みあった。
「ときに、あの少年はどうしました? あなたに虐待されていた竜人の少年は」
「ははあ、虐待とはまた大げさな。牛馬に鞭打つのと同じ、飼い主としての正当な行為に過ぎん。まあとうに売り飛ばしたがね」
「売った、だと?」
 オーリの眉がぴくりと動いた。
「そうとも。タダで管理区にやることもあるまい、炭鉱や港ではまだまだやつらの需要はあるからな。だがこれからは科学万能の時代だ、我輩には竜人の力などもう要らん。奴らを売った金でいくらでも新しい技術を買って、古くなれば使い捨てればいい。電気機械は文句を言わんからな」
「あなたは・・・・・・自分が何をしたか分かっているのか!」
 カニスを睨むオーリは拳を震わせている。銀髪の周りで青白い火花が飛び交い始めた。
「おいおい何を怒る、誰でも考えることだろう」
「科学万能だって? では竜人と同じように、魔法使いであるあなたが『必要ない』と言われる日は近いな。契約をカネに換えるだって? ソロフ門下なら決してそんな考えは持たないだろう。竜人との契約は、お互いの尊厳を賭けた神聖なものでなければならないはずだ!」
 カニスは呆気にとられたようにオーリの顔を見ていたが、やがて腹を揺すって笑い出した。
「これは傑作だ! ソロフ門下はいまだにカビの生えた美徳を守っとるというわけか。なるほど君が連れていた美形の竜人なら、別の使い道もあるだろうしなあ、フフフ。おい、聞くところによると竜人はトカゲのように卵から生まれるそうだが、あの美人もそうかね? いっそ試してみるがいい、人間と竜人の交配種は……」

 鈍い音を立てて髭男がふっとんだ。
 オーリの右ストレートが顔面にめりこんだらしい。 
「それ以上口を開くと『座興』では済まなくなるぞ!」
 オーリの全身はいまや火花ではなく放電光に包まれ、目は青白い炎のようにに光っている。
 ダンスの熱が最高潮になっている人びとが見向きもしない中、青ざめたカニスはテーブルの隙間に逃げ込もうとした。
 ピュイ、と口笛を鳴らしてユーリアンが近づいてくる。
「パートナーチェンジだ、オーリ」
 ユーリアンは、オーリの腕を引っ張ってガートルードのほうへ押しやった。
「ああもうひとつ言っておこう。わたしの守護者には美しいヘソがある。つまり胎生だ。卵から生まれたりしてない!」
 オーリはまだ言い足りないようだったが、伯母に引っ張られてダンスの渦の中に紛れていった。
「ぶ、無礼な……」
 鼻血を流す髭男の前に、スッと白いハンカチが差し出された。
「どうぞこれを。それよりカクテルをご一緒しません?」
 トーニャがグラスを手に小首を傾げて微笑んでいる。ぶつぶつ言いながらカニスはハンカチで顔を抑え、おやという表情をした。
「これは……この匂いは……」
 途端に惚けたような顔になり、両手をぱたりと床に落とす。
「あら、お気に召さなくて? ほんの少し、香水を沁みこませてただけなのに。それとも忘れ薬だったかしら」
 トーニャの紅い唇が三日月の形に微笑む。
 恐いこわい、と首をすくめて、ユーリアンはカニスを壁際まで引きずって行き、天使像の下に座らせた。天使像の怪物は目だけじろりと髭男に向け、喰うに値するものかどうかと観察し始めた。
 でっぷりとした腹のまわりに短い手足のついた様は、服を着たローストチキンのようだ。もちろんユーリアンは、カニスの頭にパセリを飾っておくのを忘れなかった。

 ダンスの波に押されながら、オーリはじっと目を閉じて立ち尽くしていた。
 伯母の小言と音楽の渦と。
 その中でようやく目を開いた時には、放電の光も目の炎も消え、彼は思い出したように手を押さえた。
「あ痛っ……今頃になって利いてきた。魔法以外で人を攻撃したのは久しぶりですよ、こんなに痛かったっけ」
「カニスのような小物相手に乱暴な真似をするからですよ。見せなさい」
 伯母のガートルードはオーリをダンスの輪の外に出すと、腫れた右手を見た。
「まあ、小指と薬指にヒビが入ってるじゃないの。画家が利き手を傷めてどうするのです、まったくこの子は」
 口元がぶつぶつと動き、手の上に長く息を吹きかけると、たちまちに腫れは引いていく。オーリは指を曲げ伸ばして微笑んだ。
「相変わらず見事な治癒魔法だ。子供の頃から何度これで助けてもらったかな」
「えーえ、この甥っ子には悩まされましたとも。身体は弱いしソロフ師のところから何度も泣いて帰るし……おまえが無事に成人した時には後見人としての役目もこれで終わると、どんなにホッとしたことか。なのに未だにこうやって手を煩わせるのだから」
「申し訳ありません、伯母上。どこの一族にも出来の悪い者が一人くらいはいるんですよ」
 ガートルードは、涼しい顔をする甥を見て、諦めたようにため息をついた。
「まったくああ言えばこう言う。せめて早く花嫁を迎えなさい、少しは大人になれるでしょうから」
「ご心配なく。心に決めた人なら居ます」
 オーリは窓の外の遠い星空に目をやった。
 曲はゆったりとしたワルツに変わっている。治してもらったばかりの手を差し出して、オーリは頭を下げた。
「では伯母上、改めて一曲お願いできますか?」
「調子の良い子だこと。ステップは心得ているのでしょうね。ユーリアンより下手だったら遠慮なくお尻を叩きますよ」
 ガートルードは水色の目でひと睨みして、それでもオーリの手を取り、優雅に舞い始めた。




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