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自分の思いや考えと同調できる人の中に身をおくことでしあわせになろう

通勤の途中、パンを焼くいい香りがした。
パン屋さんの前を通って歩いている僕の顔をほころばせてくれるいい香り。
パンの香りというのは、一瞬でしあわせを感じさせてくれる。


昨日も書いたが、今回のオリンピックはメディアがこれでもかとスキャンダルのスクープばかりを書き立てた。
メディアは鬼の首でも取ったかのような気持ちだったのだろうか。
ただひたすら多くの人にアンハッピーなネガティブエネルギーをまき散らした。

もちろん、政治家や関係者の対応がよくなかったのは事実だけれど、スキャンダルにおびえるあまり委縮して、次の不手際につながっていったとも思える。そうなるとだれも前向きな気持ちでたずさわれなかったのではないだろうか。

何も最近のことでもなく、もうここ数年ずっと続いていて、誰のことだったか忘れたけど、数年前のロゴマークのコンペぐらいから始まっていると思う。

たくさんの理想があったはずなのに、それらを語ろうとすると、語る資格がないかのような言われ方さえする。


それらのことをただ指摘するためにニュースにしたとしても、スクープをする人に「正義」が感じられない。
世の中を良くするためのニュースではなく、ただひたすら人を不幸にした。

当事者だけでない。運営に関わって働いている多くの人たちやそれを目にする読者や視聴者をも不幸にしている。

ただでさえコロナでみんなのこころが疲弊しているのに、この数か月はとてもいやな感じだった。

メディアは、悪いニュースで人を怖れさせるところがある。
そのためには情報操作さえする。
国や自治体が発する情報でさえ、信用できないときもある。
そうなると、コロナで対応した医療関係者の美談でさえ、メディアが作った作り話かもしれないと思えてくる。

コロナのワクチンで強い副反応がでることばかり、ニュースにする。
でも半分以上の人は、たいしたことない反応で終わるということはほとんど言わず、心配や怖ればかりを煽る。

ひとはどうしてこうもネガティブな情報にばかりくいつくのだろう。
そういう性(さが)みたいだけれど。

できれば、それに振り回されたくない。
ネガティブな話をする人にはならないようにしたい。

他人の批判をしない人は身の回りにもいる。
そういう人と一緒にいるといい循環になる。
自分もその循環の一部になるようにしていたい。


家を出る前に、妻と今度のオリンピックで起きたこのいろんなスキャンダルやゴシップの話をしていた。
普段はあまりこんな話を妻はしたがらないが、妻も真剣にこのことをとらえていた。


今日は大雨が降っている。

今週はずっと雨らしい。

オリンピックが終わってからこんな風にずっと降るのは
悪いエネルギーを流し去るためにためなのかもしれない。

流し去ってくれと願っている。


雨の中、会社まで歩いていると
パンの香りがして、一瞬でしあわせの気持ちになった。
僕もだれかにパンの香りのようなしあわせを与える人になりたい。



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