人生を諦めるよりも、親を諦めることのほうが難しい|あなたはどうやって親を諦めますか?
【お返事】親へのあきらめと、人生へのあきらめは、人によって違います。3タイプに分けて考えてみました。
※今回の記事はラジオでも視聴できます。テキストを見ながらどうぞ▼
※この記事は、Twitterの質問箱に来た質問を深掘りして回答したものです。
■親への期待が強い人⇒少ない
登山に例えてみました。
親を諦めることはエベレストに登るようなものです。
人生を諦めることは富士山に登るくらいです。
つまり、人生を諦めたほうが容易いということになります。それくらい親への執着が強いということです。
親を諦めることができないので、結局人生も諦めきれず、無間地獄の苦しさが続きます。
しかし、親とは違うもの、例えば友人(双子のカメレオン)などに出会うことで、親を諦めることができるようになって、苦しみから抜け出すことができます。下記の記事をご覧ください。
■親へ過度な期待がない人(普通の家庭で育った人)⇒多い
親への苦しみがないので、苦しいのは人生だけになります。その人生も順調にいくことが多いでしょう。
親を諦める必要はないので、人生を諦めることへのハードルが高くなります。
つまり、親を諦めることはないけれど、普通に人生を生きることで、普通に人生の苦境に追い込まれることもあります。その結果、(まれに)人生を諦めることもあります。
しかし、人生について真摯に向き合う時間が増えるので、苦境を何度も乗り越えていける耐性もついてくるでしょう。そのとき親の協力もあるかもしれません。それをありがたく受け入れる。こうやって、親のバックアップを感じつつ、自分の人生を乗り切っていくのです。
非常にノーマルな関係を親と作れた人は、親を諦める必要もないし、人生を諦めることもないのでしょう。ただ、人生の途中で行き詰まって、人生を諦める事態に陥ることもあります。そのときは、その人にとって人生最大の危機に直面することになります。
■親へ期待していない人(親へのファンタジーから解けた愛着障害の人)⇒まれ
親へのファンタジーがポイントになります。
親へのファンタジーが解けているため、親に何も期待していないので、すっきりと親を諦められています。
もともと人生に対しての執着が薄いので、生きることにそれほど執着はありません。
親へのファンタジーがあったときは、人生を諦めていたかもしれませんね。親との関係を(謎に)期待しているわけで、それが叶わないという部分で諦めもあったかもしれません。
しかし、親へのファンタジーが消え去ると、人生に対しての執着の薄さがクローズアップされます。それを周りの人からは、活力がないように見えて、人生を諦めていると思われることもあるでしょう。実際は諦めているわけではなく、執着していないということです。
このような人は、親からも人生からも影響されずに生きていくのです。
人生は、得るものもあれば、失うものもあります。愛着障害の人はその回復の過程で、「親へのファンタジーが崩壊すること」を得て、「親へのファンタジー」を失います。これが【平和】というものです。
■まとめ
親への期待の強い人は、親を諦めることが難しい。自分の人生を諦めるより難しい。
普通の家庭で育った人は、親へは期待していないが、感謝をしていて、親のバックアップで人生を生きていく。
愛着障害から回復した人は、親を諦めていて、人生に執着もしていない。
◇ラジオのおやすみ談話室:昨日の夢。ハスラー400の動画を見ている。自分のバイクだ。20代に乗ったバイク。同じように、サリンジャーの本は16~17歳のときに読んでいた。何かを体験するには、その時期が必要という話。
⇒解決しない悩みのある方は、ソレア心理カウンセリングセンター へご相談ください。
Twitter でも発信しています。フォローいただくと、発信ばかりでなく質問箱のQ&Aを見ることもできます。【Twitter】→ https://twitter.com/soleapsy
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?