バッドエンドを突っ走れ|その先には何があるか?|Running on Empty

【質問】ハッピーエンドじゃ救われないって思うのは暗過ぎでしょうか? なんかプレッシャーなんですよね、前向きな終わり方は。「バッドエンドの方がこういう結末があってもいいんだ」と許されたようで、かえって軽くなるというか。

【お返事】最悪の事態を想定するというのは、生きる戦術としてはアリです。自分を防衛する1手段です。それを否定する権利などは、誰にもありません。バッドエンドも1つの最悪ではなくて、これでもか、これでもか、という何個もの最悪で終わるのですね。
ハリウッド映画はバッドエンドに見せかけて、最後の大どんでん返しで終わることを皆、知っているので安心してみられます。
ハッピーエンドは作られた幸せと思うのは、シニカルすぎるでしょうか?

だいたいにおいて心理士はほぼシニカルに出来ているのではないでしょうか。認知行動療法の人々は違いますけどね。私も例にもれず、シニカルでしょう☺

※今回の記事はラジオでも視聴できます。テキストを見ながらどうぞ▼

※この記事は、Twitterの質問箱に来た質問を深掘りして回答したものです。

■人の感情の仕組み~不安ファースト

人間の感情は不安がまずスタートなので、その慣れ親しんだ感情ー不安ーを軽減する情報には皆さん飛びつきます。それがハッピーエンドですね。SNSなんかは、自由な投稿が飛び交っているように見えますが、実はハッピーエンドを気にしています。不自由なんですね。不安なことをつぶやこうものならフォロワーは激減しますから。

ハッピーエンドは、その不安をベースにした人間の感情の仕業(しわざ)ともいえます。それを利用したマスコミ(マーケティング)の戦略がハッピーエンドです。視聴率を取らないといけないからハッピーエンドへ舵を切る。不安をあおるという方法ー例えばコロナ報道ーでも視聴率は取れますが、これは一時的な戦略で、長い目でみたら、「コロナをみんなで乗り越えよう」という、一致団結を促すハッピーエンド思考がそこにはあります。

■ハッピーエンドではなく受容(アクセプタンス)

しかし本筋は、ハッピーエンドではありません。そこに「受容」があるかどうかでしょう。バッドエンドでも、その最悪の終わり方が受容されていれば、その先には何かが芽生えてくる予感があります。

どんなに暗い終わり方でも、その主人公の人生が最終的に肯定されていれば、それはバッドエンドでも、「それだけではない」ということが分かってくるでしょう。

ハッピーエンドは分かりやすいですが、そういう幸せなストーリーに依存するのではなく、主人公の感情がちゃんと受容されているか。そこにストーリーの深さが現れてきます。自分の人生においても、そのような視界が開けてくると、ハッピーエンドやバッドエンドに囚われなくなっていくでしょう。

そして、「それだけではない何か」を理解するには、ハッピーエンドではなくバッドエンドがあるからこそ、その理解に近くなるとも言えるでしょう。質問者さんがバッドエンドのほうが軽くなるというのは、最悪だからそれ以下がないということもありますが、それ以外に、それだけではない何かの気配を感じているからではないでしょうか。

■空虚の中を突っ走れ!

Running on empty (Jonice Webb, 2014)

こういう本があります。教えてもらった英語の本で、愛着関連の本です。今回の記事を書きながら、バッドエンドの連続の中を生きている愛着障害の人のことを思い浮かべたので、このタイトルが思い浮かびました。

この本のサブタイトルが、Overcome your Childhood Emotional Neglect で、社会的(情緒的)ネグレクトを越えていくために、バッドエンドを突っ走れ!という意味です。

これから読み進めます。この本の話をときどきしましょう。空虚の中を突っ走れ!なんて希望あふれるタイトルですね☺

(余談:悲しき天使の間違い)

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