名称未設定-1

文房清玩を愛でる

「文房四宝(ぶんぼうしほう)」という言葉を知ったのは3年前。

浅草の書道用品専門店〈宝研堂〉で、3代目の青栁彰男さんとお話をした際、「硯」「墨」「筆」「紙」の4つの書道具を指す言葉であると聞いた。

またそれらに加え、「水差し」「硯屏」「文鎮」「印材」など、中国の文人が賞玩した、書にまつわる文具の品々を「文房清玩(ぶんぼうせいがん)」というのだとか。


「なにも高いものじゃなくていいんです。硯でもなんでも、自分の気に入ったものを触ったり、飾ったり、眺めたり。印材なんかは、いつもポケットに忍ばせて、ときおり手でなでたり、もんだりしていると“古色(こしょく)”というのがついてね、より味わいのあるものになるんですよ。私らなんかは、それを友人と見せ合いっこしてね、楽しんでいるんです」


なんという、ささやかながらも風雅な大人の遊び……!

この日から、書道具への羨望と、粋な大人たちの娯楽に憧れがつのるようになり、古くて美しい形の品々、手仕事が光る工芸品など、価格云々ではなく、直感に訴えてくる、姿の美しいモノたちに、これまでにも増して心奪われるようになった。


葛飾区立石にある書道用品専門店〈百八研齋〉の店主の渡邉久雄さんは、宝研堂に15歳から丁稚奉公として入り、65歳まで50年勤めあげた、文房清玩の目利きである。

百八研齋近くにある自宅には、久雄さんが50数年にわたって蒐集してきた
珍品・名品の書道具を展示した一室(書斎兼ギャラリー)があると知り、久雄さんにお会いできればいいなあ……くらいの軽い気持ちで店を訪ねた私は、実にラッキーなことに、あれよあれよと自宅に通され、久雄さんのコレクションを拝むことができたのだった。

甘い香りの御香が微かに漂う書斎には、古硯、印材、墨、筆、奇石、書のほか、私なぞ素人には見当もつかない形の美しいもモノたちが、ただならぬ存在感を放って、中国製の古い飾り棚やガラスケースに品よく並べられている。

「何時間でも居座れる、危険な場所……!」と思った。

にこやかに出迎えてくれた久雄さんは、次々と高貴極まりないコレクションを書斎の片隅から、奥の倉庫から、2階から、なんどもなんども部屋を出入りして見せてくれた。


「これはね、16歳のとき宝研堂で初めて買った中国の硯。
このころ、宝研堂の社長が中国から硯を買ってくるようになって、入荷品を整理したり磨いたりしているうちに、その魅力に引き込まれてしまって。
当時のお給金が9千円だったんだけど、この4千円の古硯を毎月500円ずつ月賦で払ってね」

画像1

左下に楕円の石紋が入った、手のひらに収まる小さな硯。
極めてシンプルな姿形だけれど、なんともいえない品のよさだ。(下手な写真じゃ伝わらないのが悔しい)

60年近く人生を共にしてきた硯を「どうぞ、触ってみて」と気軽に手渡してくれる久雄さんの寛容さに恐れおののきながら、ひんやりとすべらかな石肌に「あああああ」と感動しつつ、そんな大切な硯を手にした緊張から、ドカッと流れる手脂が石肌に吸い込まれて、シミになってしまうんじゃないかとヒヤヒヤした。


「これは、蘭台秋という篆刻家の作品でね」

と、明治から昭和にかけて活動した匠の、希少な木印コレクションを見せてくれた。

印材といえば、石や象牙といった素材と、そこに彫刻された龍や獅子などの装飾が鑑賞ポイントだと思っていたが、底面の篆刻にこそ、その価値があるのだ、と教わった。同じ印材でも、印字を彫刻する篆刻家により、価値が大きく変わるという。

画像2

改めて蘭台秋が手がけた落款印を眺めていると、墨書とはまた違う字体の味わい深さ、造形美、1ミリにも満たない繊細な刻印を浮かび上がらせる、一刀一刀の息遣いまで伝わってくるようで、印材のおもしろき世界に、ほんの少しだけ足を踏み入れることができた気分だった。


「これは琥珀に彫刻した印材でね」(化石であり宝石のあの琥珀を印材に……⁉ 贅沢! 意外と軽い!)

「これは文化大革命の前に作られた筆で」(よく残ってたし、よくこんなに集めましたね……!)

「これは蘭台秋のお父さんが篆刻した象牙の茶杓で」(どんな金持ちが発注したのか……!)

「中国には、書くより鑑賞が目的の蝋箋という紙があってね」(2メートルもの蝋箋を見せてくれるとは……!)

「これは仕入れたばっかりだから、人に見せるのは林さんが初めてだな笑」(ありがとうございます……!)


清水の舞台から飛び降りる覚悟で手に入れたという、この世にふたつとない希少品をはじめ、ありとあらゆる品々を惜しみなく見せてくださり、「遠慮しないでいいから、触ってみて」と触れさせてくださる久雄さん。

次から次に運ばれてくる品々に「なんかすみません!!!」と恐縮しつつも
それらを眺める楽しさの方が勝ってしまって、なんだかんだと2時間半近くも居座って、堪能させていただいたのだった。

画像3

これらの品々は、宝研堂に勤めているなかで、顧客である著名な書道家や、文房清玩の愛好家と交流が深まり、購入したり、譲り受けたりと、蒐集してきた品々だそう。

必然ともいうべき巡り合わせで久雄さんの手元に来た品もあれば、不思議な再会を果たした品も。

膨大なコレクションにもかかわらず、ひとつひとつの作品がしっかり久雄さんの頭の中で整理されているのは、所有していた主との思い出や、譲り受けた際の記憶が鮮明に蘇るから。

譲ってほしい、という声も多くあるが、手放せないのにはそういった理由がある。

また若い人たちにこそ、これらの文房清玩の楽しみ方を知ってもらえたら、という願いがあるのだという。


「今は硯も墨も売れなくなっている時代。筆の職人さんなんかは年々少なくなっています。でも、こういった姿形の美しいものがたくさんあるという事を、若い人たちにも知ってもらって、たくさん見て、目を肥やして、文房清玩の世界に興味を持ってもらい、文化を繋いでいってもらいたい。
若い人にこそ、間近で触れられる資料として、どんどん見せていきたいんです」


書斎には、同業者やその道に造詣の深い愛好家が多く訪ねてくるが、久雄さんの噂を聞きつけて訪れる若い人もいるそうだ。時には大学で書道を専攻する学生などがグループで訪れたりすることも。本物と贋作の違いを見てもらうなど、実物によるレクチャーは、若い人の目を数倍も肥やすことだろう。


「外出していることも多いけれど、時間に都合がつけば、いつでも書斎に来ていただいて構わないですよ」


興味があれば、気軽に問い合わせしてほしい、という久雄さん。
美術館に所蔵されているような珍品・名品を、間近で見て、触れることのできる書斎は、とてつもない喜びをもたらし、審美眼を養ってくれる、至極のギャラリーだ。

2時間半居座っても、まだまだ居たい、久雄さんの話を聞いていたい……。
思った通り、私にとってやっぱり危険な場所なのだった。


百八研齋
https://twitter.com/cD6JEmIrRtVg20t


♡朗報
2020年11月には、神保町のギャラリーで、
久雄さんを含めた文房清玩愛好家3人展を開催する予定とのこと。
とっておきの愛蔵品を展示するそうで、期待はふくらむいっぽう!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?