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山内マリコさんとお友達になりたい問題について

本書「山内マリコの美術館は一人で行く派展」をはじめとした山内マリコさんの本を読むにつれて、僕の中で山内マリコさんに対してムクムクと湧き出る気持ちがある。

それが何かと言えば、

友達になりませんか?
いや、友達になれる気がする(たぶん、きっと)

という実生活では決して口にしない想いである。

そもそも、第15章で「キューレーターになりたい!」と言っときながら、「(実際にはなれないけれどね)」と本音が透かし見え、そこから「本を展覧会に見立てちゃえばキューレーターになれるじゃん」。

著書「買い物とわたし」の中で「東京の展覧会行ききれない問題」を取り上げ「月に2回くらいの頻度では行ききれない」と宣う。
「東京ちゃ、そげん毎月展覧会がありよるとね」と博多もんの僕は展覧会の数に最初驚いたのだが、本書の連載時期と丸かぶりだと気づいたときに、月2回の頻度の理由がわかり、ある種の抜け目なさに拍手喝采をする。
同じく「買い物とわたし」で試写会で観る映画は面白くても楽しめないと告白していたのだから、当然自腹で展覧会に行くことになるよねと同意する。
キューレーターは山内マリコさんたった一人なんだから、その人間性がこの本に色濃く出るはめになる当然だし、そこに共感するものが多ければ多いほどお友達になりたくなるわけである。

そう思って読んでいけば……

何度も繰り返される「主流になれなかった(遅れてきた私)&これからもなれそうにない(ついていけない私)」諦念。
うん、わかる。
アメリカの青春映画で言えばプロムのパーティーで相手にされない感じといえばいいか。
そこには地方出身者体質もあるだろう。僕は今も地方(福岡)で暮らしているのだから厳密には地方出身者ではなく地方在住者なのだが、しょせん都会もんには敵わんのだよね、といった忸怩たる思いは常にある。

建築好きらしいとこも話が合う。
富山県出身ときいて、以前富山にあった富山県立近代美術館の設計と福岡市立美術館の設計が同じ前川國男とわかるとさらなるシンパシーを感じる。

富山市立図書館で「本のヌード展」をやっていて、「脱いでもすごい本」との切り口で本の紹介をしているのを知ったときには「さすが山内マリコさんの出身地」と笑って受け入れられるのも友達になりうる証だろう。

で、お友達になった暁には山内さんに書いて欲しい小説の話をするつもり。
「日本のJ〇になれるよ」と。
ちなみに、JBではない。
まあ、山内さんが「ゲロッパ!」と叫ぶのを見てみたい気はするが。
それとJMでもない。
富山でムーンウォーク見てみたくもあるが。

答えは……
直に会ってお話しましょう。

#読書の秋2021
#山内マリコの美術館は一人で行く派展
#美術館
#アート

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