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ミュージシャンがアウトドア会社を興す起業記録 8

シカゴでの大学生活が始まり、人生で初めてのベースの先生で初めてのアメリカ人の先生、Scott Masonとのレッスンが始まりました。

当たり前だけど、一対一の音楽も英語も逃げ場なし(笑)

テクニック的なことよりも理論の話がほとんどで、刺激的な話が多い毎回のレッスンでした。 それまで何となく弾いていたことに理論づけられることによって弾く音の意味が変わる。クラシックの練習をそれまで20年近く続けていたけど、いかに楽譜を間違わないで弾くか?が重きだったのに対し、ジャズの理論は自分で考えて弾くという新しい側面に触れることになります。

学校では、他に20人くらいの生徒で演奏するビッグバンドのクラスや5人くらいのコンボのクラスなど演奏がメインのクラスに対して、歴史や当時出始めだったコンピューターを使ったレッスン、そしてそしてアメリカらしいな、と後で思ったのが「セルフプロデュース」の授業。

プロになるためにいかに自分を売って行くか?

この5年後くらいに日本に帰ってきてプロとして活動をしていく時に、この授業がモノを言うことになります。

さて、学校の授業には満足していたものの、本当のジャズの演奏や練習の授業だけでは物足りなくなってきて、ソウルやファンクもやりたい!と21歳のアジア人ベーシストはシカゴのジャズクラブ、夜の遊びに目覚めます。

自分の足くらいの太さの腕を持つ黒人ドラマーや、体が鳴ってるんじゃないか?と思うほどの強力な黒人のベース、リズムキレッキレのギタリスト・・・何もかもが新しく、毎日学校帰りはジャズクラブ通いになります。

その中で出会ったのが、あのマイルスデイビスでツアー中だったベーシストのRichard Patterson

アリスでMBSの生放送のため大阪城ホールに向かう新幹線車内、たまたま乗ったのにボズスキャッグスの日本ツアーに来日中の師匠とバッタリ同じ車内で会うという稀すぎる偶然!

彼から受けたレッスン、音楽界で進んでいく考え方や覚悟。

大きな勉強をすることになります。

あのジャズの帝王、マイルスデイビスが選んだ最後のベーシスト、のちにサックスのDavid Sanbornのバンドマスター、ボズスキャッグスのバンドマスターと輝かしい地位に辿り着く彼からの宝石のような時間は自分の財産です。

次は、このRichardだけでなく全米中の超有名ベーシストに無謀なメールを送り続ける日本人ベーシストの日常を書きます。

好き、ってすごい。

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